一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

日本のマスコミの前面にいる朝鮮系の人たち

2017-01-15 05:21:23 | 日記

職業選択の自由は憲法で保障されている。従って、朝鮮人がマスコミにいることも不思議なことではない。また、その人達が取材記者であることも何でもない。しかし、そういう人たちが、日本人の記者として質問などをしている姿を見ると、その内容は日本人のものとは到底言えないことが多い。矢張り本国のことに関心が高いのは致し方ないのかもしれない。そうはいっても、ここは日本である。日本のマスコミである。それなのに何故韓国や北朝鮮のことを敢えて質問に出すのだろうか。

何回でも書くが、ここは日本である。そして、日本のマスコミを代表しているはずだ。日本の国、日本人のために働いているとは到底思えない。最近、マスコミには非常に多くの朝鮮系の人たちが働いている。テレビ局などでもディレクターになっている人もいるという。彼らはそれなりの能力があるという事で働いているのだが、本当に日本という国のために働いているのだろうか。

小生は敢えて言わせてもらえれば、マスコミが侵略されているように思えてならない。日本で働いているのは何も朝鮮系の人たちだけでないことは十分に知っている。アメリカやヨーロッパ系の人たちもいる。それはそれでいいのだが、特に朝鮮系の人たちは何となく日本に反感を持っているように思えてならない。従って、質問などの内容も彼らの祖国のための質問の様に受け止められる。

決して彼らを非難しているわけではなく、マスコミという立場から公平に扱うことが望ましいと思うのだが。諸外国では西洋や特定の団体に偏ったマスコミも多く見受けられる。日本ではそのようなことがないように法律で縛っていることも確かだ。それでも多少偏見に思えるような報道も多く見受けられるのが事実だ。このブログも、幾つかの報道機関や新聞社の記事を見て偏見が見受けられる。

A新聞社のように編集者が偏見を持っているために、全ての記事が偏見に満ちているように見えてしまう。T新聞社にも同じことが言える。新聞が偏見に満ちていると同じ系列のテレビも同じような意見の人が採用されている。判断基準は飽く迄も新聞社が決めているのだろう。同じ出来事を複数の新聞で見ると、その違いが良く解る。一つの新聞記事しか見ていない人には解らないだろう。

日本のマスコミが偏見に満ちているのは何が原因かは国民はよく知っている。偏見に満ちた記事しか載せなければ、そのような新聞は自然に読まなくなってしまう。購買者が離れるのは当然のことだ。何故購買者が離れてしまったのか認識しているかどうかは知らない。これが自然淘汰という事だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする