首相「原発新たに作る、福島と全く違うものを」というが、国民が自民党に「イエス」を与えたのだから、いいのではないか。しかし、どのような形であれ、原発は原発である。リスクがなくなるわけではない。安全性が問われることには間違いない。原子力安全委員会がしっかりとした基準を造り、それを守って上で新設するんであれば問題はないのではないか。安全性の中身が問題である。
今の原発がどのような形になろうとも、建設する場所は日本に大地である。地震や津波、断層、台風、竜巻、など自然災害の元になるものは従来と変わりがない。災害が起きないように「想定外」という言葉が使われないためにも、安全性の考え方をしっかりと取り纏めてほしい。もともと安全性は人間が考え出したものであり、過去に起きたものを想定するだけでは満足できるのもではない。特に大地が動く地震に関しては、どのような大きさを基に設計するのか。
もう一つ問題なのが、自然災害ではなく、人為的な災害である。空から物が落ちる、暴徒による占拠、など従来よりも厳しく設定することが必要ではないか。ミサイルが飛んでくることも想定する必要があるのではないか。外国人が多くいることを考えると、暴徒の中に外国人が含まれていて彼らが何かを仕掛けてくることも想定する必要が出てくるのではないか。「そんなことは有り得ない」などと呑気なことを言っている時代ではなくなっている。中国人や朝鮮人などでも日本に恨みを持っているものも多くいる。
原発が新設されるのはいいが、従来からある原発の寿命もだんだん近づいている。これらの原発をどのような形で壊していくか。通常の建物や橋などを壊すのと訳が違う。高濃度の放射能が含まれた構築物を壊すのである。日本にはその技術がまだ確立していない。フランスなどの技術を借りて実施するしかないのである。しかし、この技術を日本が修得すれば、これも国際的に商売が成り立つ。世界には多くの原発があり、これから中国などの国が多くの原発を建設することになっており、日本が先鞭をつけて原発の取り壊しの技術を習得する意味は大きい。
原発を新しい技術で建設する、というが、それほど簡単ではない。新しい技術にはそれなりのリスクが伴う。それをどのように克服するかである。日本が先進技術をもって開発して、より安全性の高い原発を造れれば、それも日本として商売に結び付く。取り敢えず、日本における原発の安全性をより高く確保できれば、これからのエネルギー政策は進めやすくなる。日本の場合は、エネルギーを他から直接入手することが出来ないのである。そこがヨーロッパと大きく異なる所だ。