「暴力教室」という言葉は、中高年では知らない人はいないはず。あの映画で見た暴力教室である。しかし、今はまさかそんなことが起きていないだろう、と思うのが普通である。ところが、常時、暴力を奮う教師が今でもいたことが解った。まさしく暴力教室そのものである。暴力でしか人を動かせない教師が存在する、ということは、この学校を管理・監督をしている教育委員会は一体何をしていたのであろうか。大体2年前に今回の教師とは別の教師が暴力事件を起こしているのである。教育委員会に無駄な経費を支払っていたとしか思えない。こともあろうに、この教育委員会は橋下大阪市長の管轄下にあるのだ。
橋下市長は、テレビの画面で、怒っていた。問題は、この事件が起きていたことに対する懲戒である。懲戒が正当に行われなければ、次の事件は直ぐまた起きる。「正当に」ということは「厳しく」ということだ。甘い懲戒で済まされたら、次の事件は必ず起きる。事件は連続して起きるのである。また、暴力教室は恐らくこの一件だけではないはずだ。外にも必ず存在する。そのことを突き止めることが市長の次の仕事である。突き止められなければ、次の事件が起きる。
また、事件を起こした、この学校の管理職者はすべて入れ替える必要がある。特に教頭と校長のテレビでの映像を見たら、この管理職者なら暴力教室があってもおかしくないと感じた。こんな管理職者なら先生を指導できるわけがない、ということだ。見た目で判断するわけではないが、管理職者の資質がないということ。はっきり言うと、何故、事件が起きたのか、殆ど理解していないようだ。教師の暴力が見抜けなければ、学校は暴力教室と化す。そんな事も解らない管理職者は管理職者失格である。企業においても、部下の不正を見抜けなかった上司は上司失格なのである。
教師の暴力が原因で自殺した生徒は、本来死ななくてもよかったはずである。学校の管理職者がしっかりしていれば防げた事故である。この場合、管理職者の責任は重大である。勿論、暴力をしていた教師は最も責任が重い。当然、傷害罪を適用できるのではないか。少なくとも過失ではない。れっきとした傷害罪である。
教師の責任、管理職の責任、学校の責任、教育委員会の責任、全てにおいて、今回の自殺の責任がある。橋下市長はどこまでこの責任を追及し、裁断を下すのか。