政治の空白が大震災被災者にもろに被せられている。政治家たちは自己の主張だけをしていればいいのだが、被災者たちは今の生活が懸かっている。政治の道具に使われている震災復興予算、今のままではどうにもならない。国民が何を望んでいるのか、政治家には全く理解できないようだ。政治家はよく、「民意」と云う言葉を口にするが、「民意」とは一体誰の事を指しているのだろうか。
大震災が発生してから1年6ヵ月が過ぎた。震災復興を目指していた政府のドーンダウンは甚だしい。まるで忘れてしまったかのようだ。復興予算を早く審議すればいいのに、何もしないでただ騒いでいるだけ。政治家は歳費を懐に入るだけだが、被災者は何も入る手段を持っていない。生活苦に喘いでいる被災者を横目に見ながら何もしないで通り過ぎていく政治家の神経を疑う。
民主党、自民党、公明党と云った政党は、自分たちの主張を叫んでいるだけで国民の考えを何も実行していない。政党政治のなれの果てなのか。未熟な政治は何時まで経っても未熟が残る。成長しない、成長できない今の政治は本当の民主主義には到底成れない。橋本大坂市長が言っていた議員定数半減は正しいような気がする。こんな政治を見せ付けられると、歳費だって多すぎる。
震災から1年6か月を過ぎても震災復興の重要な部分には手が付けられないという事態はどう見ても異常である。被災地を殆ど報道しなくなったマスコミは、もっと真剣に取り組まなければ、益々被災者や被災地は忘れ去られてしまう。復興という文字だけが歩いていて、中身は全くない、と云う状態が今後も続くのだろうか。今回の震災は、地震、津波、原発事故、の3つである。どれをとっても大変な事態なのだが、今の政府の力では完全な解決は見込めない。
何もしない政治家たちが、寄り集まっているだけで烏合の衆と云うことになる。総選挙を間近に控えているからだろうか。国民の生活がどうなろうと一向に動かない政治家、政治の空白が国民生活を徐々に圧迫しているように見える。外国から尖閣諸島を責めてきたら、ほとんど無抵抗のまま掠奪されてしまうかもしれない。政治家が無能だというが、その政治家は国民が選挙で選んだのである。次の選挙では一体誰を選べばいいのだろうか。震災復興に力を貸してくれる政治家は現れるだろうか。国民の生活を少しでも豊かに考えてくれる政治家はいるのだろうか。そんなの夢のまた夢に違いない。