一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

国会議員とタレント、世襲でも勤まる

2012-10-15 05:42:23 | 日記

今の世の中、国会議員とタレントは世襲でもできる商売になった。いや、世襲しかできない商売かもしれない。国会議員を「商売」と云う言葉を使ったが、今の仕事ぶりはまるで商売である。「国民のため」と称して立候補するが、いつの間にか商売になってしまう。やはり歳費が問題なのである。これほどうまい商売は外にない。タレントも世襲で成り立っていることは確かだ。親子兄弟、親せきなどを数えたら、国会議員並みに商売として成り立っている。

世襲は貴族の間で保たれてきた。江戸時代は、武士の地位を世襲だけで保っていたが、無理があった。今、国会議員とタレントが世襲と云うことで継続しているが、いつかは無理が出てきて破綻することになるだろう。特に国会議員の世襲は、議員の質の低下を招いている。選ぶ方の質が悪いのかもしれないが、選ばれる方の質も相当悪くなってきた。

民主党も自民党も大量の当選者を出した時に、その質の悪さが浮かび上がる。どの政党も大量の当選者を出すと同じ事が起きる可能性は高い。ここで問題となるのが定数である。国会議員の定数は、何回も書いたが半数で十分足りる。今の国会議員の働きは、もしかするともっと少なくてもいいかもしれないが、まあ、半数で取り敢えずやってみる価値は十分にある。

何故定数が半数で十分なのか。それは、都道府県、市区町村にも議員がいるからだ。日本の小さい国土で、これだけの地方議員を抱えているのに、国会議員は定数過剰である。地方議員の役目をもっと充実すれば、国会議員は半数でやっていける。よく使われる言葉に「民意」がある。国会議員をどれだけ増やしたとしても、全ての民意をくみ取ることはできない。民意は最大多数の最大公約だからだ。民主主義であれば、多数を取った方が民意と云うことになる。少数の意見をどれだけ反映するかは民主主義の尺度である。日本は隣の中国のように一党独裁国家ではない。例え多くの国会議員を当選させた政党があったとしても、独裁は許されないのが民主主義国家である。

世襲に頼っていると、国会もタレントと同じようになってしまう。人気取りである。議員としての能力に欠ける国会議員が続出したら、国も終わりに近づく。民主主義も最終章である。訳の解らないことを言っている国会議員が多くなったのも、世襲のせいかもしれない。世襲に頼らない開かれた政党が出ることがいいことなのだが、それは夢なのか。最近のタレントも、大きな声を張り上げているだけで、何か物足りない。国会議員が物足りないのはタレントと共通点がありそうだ。

コメント (1)
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