「誤報」という一文字で終わりにできない記事であった。科学記事の場合、特に注意を要するのは、新しい物、新しい現象の発見や発明であろう。誰もが見たことのないものを発見者、発明者の意見だけを或いは論文だけを聞いて見て報道することの難しさである。過去においても、このような過ちは何度も起きている。何故繰り返されるのだろうか。
科学記者は、取材に際して、取材したことが事実かどうか、第三者に確認をしたり、過去に論文が出ていたりしたことを、どのように取り扱ってきたのだろうか。小生は今回の記事は決して「誤報」ということではなく、科学記者が確認を怠ったまま発表してしまったのではないかと考える。科学的な根拠を何も検証しないで発表すれば今回のことのようなことが今後も起こり得るのである。その昔、「フロジストン」という新しい化学物質が存在する、という発表をし、それを多くの科学者が信じてしまったという事件が起きた。実際にはこのような物質は存在しなかったのだが、それを証明した科学者がいたということで片が付いた。今回のiPS細胞に関しては、それ以前の検証作業を怠っていたということではないか。
科学は毎日、毎時間、毎秒進歩をしている。そのような中で、新発見、新発明は必ず起きているはずだ。しかし、新しいと思っていたことが既に存在していることもあり得る。科学者でも知らなかったことが既に存在していれば、それは新しい発見でも新しい発明でもない。存在を確認しただけのことである。新しいものを造る、新しいことをやる、ということは如何に難しい事か、ということだ。科学の世界では、今ある物質をどのようにしたら新しいものに生まれ変わるか、ということではないか。全く新しい物質を見つけることは困難な作業の連続であろう。しかし、それでも新しい物質を見つけ出すことに命を懸けている科学者が大勢いる。発見、発明は人類を幸せにすることもあれば不幸せにすることもある。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは本来平和的に使われることを望んでいたものが戦争に使われたことを悲しみ、ノーベル賞を設立した。ノーベル医学生理学賞受賞の発表のすぐ後に、いかがわしい科学記事を載せてしまった読売新聞の罪は大きい。せっかくのノーベル賞が泣いてしまいそうだ。
山中教授が考えているiPS細胞を使った医療は、今後大きく人類に貢献するはずである。もし、不幸な使い方をする科学者が現れたら、それは人類への背信行為である。そんなことがないようにiPS細胞を大きく発展させてもらいたい。