今日の会議で、「今や子どもが消費社会の中心になっている」という趣旨の意見がありました。なるほど、そうかもしれません。
ゲーム機、ゲームソフト、携帯電話、キャラクターカード…。企業は、子どものニーズをうかがいながら、子どもに「ウケる」商品の開発に躍起となっています。かたや子どもの方も、親と祖父母の「シックスポケット」を通して、「ほしいモノ」はたいてい手に入る。
今日の会議では、「最近の子どもたちは我慢することを知らない」という話から「消費社会」の話につながったわけですが、確かに、「我慢できない子どもたち」を作っているのは、子どもたちのニーズを巧みに操る企業や、ほしいと言えばすぐに買ってあげてしまう「シックスポケット」の持ち主なのかもしれません。結局、大人が子どもをそんな環境に置いときながら、大人自身が最近の子どもの風潮を嘆いているのですから世話はない。
ただ、たくさんの商品や情報があふれる中で、子どもたちの消費ニーズも変わってきているのではないでしょうか。もちろん、「はやっているから」とか「みんな持っているから」とう欲求はいつの時代も変わらないと思いますが、最近はなんだか消費ニーズが個性化してきているような気がします。言い換えれば、「細分化されたニーズ」、あるいは「すみわけされたニーズ」。典型的なのが「オタク」と呼ばれる人たちです。彼らは同好の士を求めるというより、「自分だけの世界」を作り上げることに励んでいるように思えます。消費することで自分のスタイルを作っている。そんな細分化された消費ニーズにいちいち対応していかなければならないメーカーも大変ですね。
私は、そんな「すみわけ」が、消費スタイルだけでなく、日常的な人間関係やコミュニケーションにまで入り込んでくるのではないかと危惧しています。人間関係の希薄化、というのは、実は消費スタイルの変化にもその原因があるのではないでしょうか。そしてそれは子どもの消費スタイルに限らず、大人にもあてはまるのです…。
ゲーム機、ゲームソフト、携帯電話、キャラクターカード…。企業は、子どものニーズをうかがいながら、子どもに「ウケる」商品の開発に躍起となっています。かたや子どもの方も、親と祖父母の「シックスポケット」を通して、「ほしいモノ」はたいてい手に入る。
今日の会議では、「最近の子どもたちは我慢することを知らない」という話から「消費社会」の話につながったわけですが、確かに、「我慢できない子どもたち」を作っているのは、子どもたちのニーズを巧みに操る企業や、ほしいと言えばすぐに買ってあげてしまう「シックスポケット」の持ち主なのかもしれません。結局、大人が子どもをそんな環境に置いときながら、大人自身が最近の子どもの風潮を嘆いているのですから世話はない。
ただ、たくさんの商品や情報があふれる中で、子どもたちの消費ニーズも変わってきているのではないでしょうか。もちろん、「はやっているから」とか「みんな持っているから」とう欲求はいつの時代も変わらないと思いますが、最近はなんだか消費ニーズが個性化してきているような気がします。言い換えれば、「細分化されたニーズ」、あるいは「すみわけされたニーズ」。典型的なのが「オタク」と呼ばれる人たちです。彼らは同好の士を求めるというより、「自分だけの世界」を作り上げることに励んでいるように思えます。消費することで自分のスタイルを作っている。そんな細分化された消費ニーズにいちいち対応していかなければならないメーカーも大変ですね。
私は、そんな「すみわけ」が、消費スタイルだけでなく、日常的な人間関係やコミュニケーションにまで入り込んでくるのではないかと危惧しています。人間関係の希薄化、というのは、実は消費スタイルの変化にもその原因があるのではないでしょうか。そしてそれは子どもの消費スタイルに限らず、大人にもあてはまるのです…。
「物に執着する」ということと「他者とのつながりを軽視する」ということは、ひとつのことの裏表だと思います。自分の世界を持つことは大切だとは思いますが、その世界にこもってしまうのはいつまでも母の胎内にいたい思いと変わらないのではないでしょうか。
子供に対して、ものに囲まれているより、人に恵まれて生きるほうが幸せと実感を持って教えてやれる大人も減ってきているんでしょうね。
目の前に誰かと一緒にいるのに、携帯の会話に集中できる人が増えているってのも、これと関係あるのかも。もちろん状況にもよるのでしょうが。でも「ケイタイ」という「物」がなかったら、そんなコミュニケーションは不可能だったわけで。