カクレマショウ

やっぴBLOG

感謝の気持ち、「ありがとう」という言葉。

2010-09-07 | ■つながり・コミュニケーション
学校ではよく「感謝の心を大切に」なんていう学級目標が掲げられていたり、校長先生の挨拶で、「ありがとうという気持ちを忘れないようにしましょう」なんて言葉もごく普通に聞かれますね。

でも、「感謝の心」とか「ありがとうという気持ち」というのは、ごく自然に内からわき上がってくるものなのでは? 先生が感謝しなさいと言うから感謝の心を持つ、とか、「ありがとう」が大事と言うからありがとうと言う、というのは、ちょっと違いますよね。

学校に上がる前の幼児なら、「ありがとう」という「言葉」自体の大切さを教えることは必要です。人に何かしてもらって、うれしい時は「ありがとう」って言うと、相手の人もうれしい気持ちになるんだよ、と。でも、小学校になってまで、ありがとう、感謝の気持ちを持ちましょうなんて、大きなお世話というものです。子どもだって、感謝したい時はちゃんと感謝する。もちろん、感謝の気持ちを持っていても、うまく「ありがとう」と言えない子どももいますから、そこをうまく引き出してあげることこそ先生の役割ではないのでしょうか。

要するに、「感謝の気持ちを持ちなさい」とか「ありがとうと言いましょう」と言う前に、「自分一人では生きていけない」とか「自分はいろんな人に生かされている」ということを子どもたちに伝えることが大切なのではないかということです。子どもたちにあえてそういう場面を作ってやること、そして、そのことに気づくようにうまく水を向けることが大人の役目なのではないでしょうか。例えば、「文化祭」をやるに当たって、PTAや地域の皆さんにこれだけ協力してもらっているんだよ、とか。そういう「仕組み」さえきちんと教えてあげれば、おのずと「感謝の気持ち」もわき上がってくるというもので、「だから君たちは、保護者や地域の皆さんに感謝しなければなりません」なんて言葉は一切不要なのです。

考えてみれば、「感謝の気持ちを持つ」ことと「感謝の気持ちを伝える」ことは明らかに違うんです。大人でも、感謝の気持ちを持っていても、うまく伝えられないこともあるし、逆に感謝の気持ちがないのに感謝の言葉を言っていることもある。つまり、本当はそんなにありがたいと思っていないのに、とりあえず、ありがとうございましたと頭を下げる。それは社会の潤滑油にはなっているのかもしれませんが、最近、どうも「お仕着せのありがとう」が増えているような気がします。心がちっともこもっていない、口先だけの「ありがとう」。子どもたちに、感謝の気持ちを持ちなさい、ありがとうと言いましょう、なんて「指導」するようになったのは、そういう大人社会の反映かもしれない。

こんなひねくれたことを言っているのは、そんなふうに子どもたちに「お仕着せのありがとう」を強いることによって、だんだん、自分の「内なる感謝の心」を忘れてしまうのではないかと思うからです。「自分一人で生きているわけじゃない」。「みんなに支えられて生きている」。確かにそう思えたなら、嫌いな人にだって感謝の気持ちが自然と湧いてくるかもしれない。そして、そう思ったら、それを言葉にしてみる。「内なる感謝の心」が湧き出て、それをうまく伝えることができれば、自分の心も穏やかに優しくなれるでしょう。

「ありがとう」という言葉はとても大切ですが、それ以上に、「内なる感謝の心」を持てるかどうか、それも大切ですね。



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