鉄砲の威力をぞんぶんに発揮したのが、長篠の戦。無敵を誇った武田家の騎馬軍団も、その新兵器の前に、バタバタと倒れていったそうです。
武田勝頼
・・・が、
この戦いを語るとき、かならず、クローズアップされるのが織田側のとった戦法です。
織田信長 イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロによる信長の肖像画 (1583年-1590年頃作成)
鉄砲の威力は、十分に知っていた信長ですが、その鉄砲にも、ひとつだけ弱点がありました。火縄銃に弾丸をこめ、火をつけてから撃つまでに時間がかかることでした。そんなモタモタしている間に攻め込まれると、鉄砲の威力も半減してしまいます。
そこで、信長がとった戦法が、“三段撃ち”。つまり、鉄砲隊を3つに分け、交替に撃たせることによって、時間のロスを防ぎ、しかも連射させることができるというものでした。
ところが、いくら種子島銃だからといって弾丸を撃つまでに、それほど長い時間はかからなかったという説もあって、この“三段撃ち”は“三重の柵”の誤りではないかというのです。
織田・徳川連合軍 馬防柵 一部分復元されていますが、周囲の地形が 当時から変わっていないこともあり、当時を偲ぶことができます。
というのも、この長篠の戦は、信長にとっては、武田騎馬軍団をどう防ぐかが大きなポイントでした。そのため、馬防ぎの柵を2重3重につくり、そのうしろに鉄砲隊を控えさせたという、数にまさる織田側が、まず、柵で動きがとれない武田軍を弓矢や槍、鉄砲で攻撃する作戦だったようなのです。
現実に、武田軍は三重の柵を破ることができず、織田軍はほとんど無傷のまま勝利を手にしています。
この三重の柵の話が、“三段撃ち”にすりかわったのではないかと考えられているのですが、さて、この史実を知る術は無いようで、残念ながら豊かなる想像に頼るしかありません。
織田信長の鉄砲三段撃ちは
本当なのでしょうか?
というより三千の鉄砲で一万五千の
騎馬隊を倒せますか?
織田軍は横一列になり鉄砲を撃った
として、一万五千が横一列になって
攻めるわけでもないし、そこが疑問です。
教えてください。
その時の距離はどのぐらいだったのでしょう・・。
コメントに感謝致します。
火縄銃の飛距離は約100メートルです。
この間に三段撃ちで何回鉄砲が撃てるか?
というのを昔、テレビでやっていました。
答えは3回でした。
つまり、馬が100メートル走っているあいだに
玉込めをして撃つことができなかったのです。
早合(火薬や玉がはじめから固めてあるもの)
を使用して6回です。
では信長軍はどうやって武田軍を倒したのか?
まず考えられる事は、1000丁の鉄砲の
一斉射撃に馬が驚いたということです。
想像しにくいですが、1000丁もの鉄砲が
鳴るとすごい音ではないでしょうか。
その音に驚いた馬が乗り手を落とした・・と
いうことが考えられます。
あと、鉄砲と共に使われた馬防柵の効果も
大きかったと思います。
馬防柵は川沿いに沿ってはられていました。
馬が飛ぼうにも川底は深くなっていた為
(ちょうどこの時期は梅雨であったことからか、
もしくは掘っていたのか?)飛べないのです。
川の向こう岸から馬防柵が飛べない高さに
なっていたと思われます。
というものの、実際、馬防柵は
3つのうち2つまで破られていますし、
たまたま雨が合戦当日にやんだため
鉄砲を使用しただけで、実際は4万5千の軍勢で
包み込もうとしたかも・・・
知れません。
あくまでも想像の範囲ですが・・。
あることを知りませんでした。
鉄砲三千だけで立ち向かったのかと・・。
そこで、鉄砲が無くても四万の軍勢なら
十分、一万五千は潰せると思うんですが。
それにしても、今回も、京のほけん屋さんに
やられたぁ~という感じです。
素晴らしいテーマですね。
それとも後詰め?または一応用意したかとか?
それほど強かったんですか?
勝頼になったばかりだし・・・。
あの時雨が降ったら信長はどうしたんでしょう?
また、勝頼ではなく信玄だったらどうしてたのでしょう?
興味深い話題を今回も有難うございます。
感激です。
って事を聞くんですが、
どういう説なんでしょうか。
また、、仮に、三段撃ちがなかったとしたら、
何故、三段撃ちなんて話ができたんでしょうか。
これは面白いネタですね。
すごい。やっぱり、
京のほけん屋さんは、すごい!
どんな段取りで編隊を組んだことに
なるのでしょうか。
こうしたことの、伝説のような話の中にある
偽りか真実かの討議って面白いですね。
このブログって、いったいどこへ
私たちを連れて行ってくれるの
でしょうか。
感激してます。
どんな方法であれ、機械ではない
のですから大変だったと思います。
なんのためにそんなことをする必要
があったのでしょう?
歴史に絡むこういった話も、テーマ
としてすごく面白い事ですね。
興味を持てる話題がズラリと並ぶ
このブログが大好きです。
また、どんな方法で、この戦略まで
知れ渡ったのでしょうか。
益々、いろんな面での興味や
疑問がわいてきますね。
こんな感じで、歴史を学ぶことが
学生時代にあったなら、もっと
歴史に興味を持てたでしょうね。
でも、今からでも遅くないかな。
このブログから新しい情報を得ながら、
こうして新しい知識を得ていけば、
今からでも興味の幅は広がりそうですね。
ここにいる幸せを感じます。
・・・って、良い話ですよね。
こういう討議が出来るって、
ブログにしておくのはもったいないくらいです。
昨今の歴史の流れでは鉄炮の
三段撃ちは否定的だと、私自身
聞いたことがあります。
決定的に否定している文献等は
あるのでしょうか。
コメントに感謝致します。
歴史を振り返ってみると必ず兵が多い方が
必ず勝つとは限りません。
桶狭間の戦いがいい例でしょう。
武田の騎馬隊・三河武士この二つは
兵の強さとしてはトップクラスでしょう。
しかし、信長の兵は金で雇われているため、
兵の補充には困らないものの、
土地を持ってないぶん、
主君に対する忠誠がなく、
危なくなったら逃げたようです。
そのため尾張兵は最弱とされていました。