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あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

長篠の戦の“三段撃ち”戦法って?

2010年02月15日 | うんちく・小ネタ

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鉄砲の威力をぞんぶんに発揮したのが、長篠の戦。無敵を誇った武田家の騎馬軍団も、その新兵器の前に、バタバタと倒れていったそうです。

     22_2 武田勝頼                                     

・・・が、
この戦いを語るとき、かならず、クローズアップされるのが織田側のとった戦法です。

  _500                                            織田信長                                                                                    イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロによる信長の肖像画                                                 (1583年-1590年頃作成)

                                                                 鉄砲の威力は、十分に知っていた信長ですが、その鉄砲にも、ひとつだけ弱点がありました。火縄銃に弾丸をこめ、火をつけてから撃つまでに時間がかかることでした。そんなモタモタしている間に攻め込まれると、鉄砲の威力も半減してしまいます。

433                             武田勝頼本陣                                                                      

                                                                  そこで、信長がとった戦法が、“三段撃ち”。つまり、鉄砲隊を3つに分け、交替に撃たせることによって、時間のロスを防ぎ、しかも連射させることができるというものでした。

ところが、いくら種子島銃だからといって弾丸を撃つまでに、それほど長い時間はかからなかったという説もあって、この“三段撃ち”は“三重の柵”の誤りではないかというのです。

111_2                      織田・徳川連合軍 馬防柵                                                                        一部分復元されていますが、周囲の地形が                                                           当時から変わっていないこともあり、当時を偲ぶことができます。                                                                   

                                                                というのも、この長篠の戦は、信長にとっては、武田騎馬軍団をどう防ぐかが大きなポイントでした。そのため、馬防ぎの柵を2重3重につくり、そのうしろに鉄砲隊を控えさせたという、数にまさる織田側が、まず、柵で動きがとれない武田軍を弓矢や槍、鉄砲で攻撃する作戦だったようなのです。

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現実に、武田軍は三重の柵を破ることができず、織田軍はほとんど無傷のまま勝利を手にしています。

この三重の柵の話が、“三段撃ち”にすりかわったのではないかと考えられているのですが、さて、この史実を知る術は無いようで、残念ながら豊かなる想像に頼るしかありません。


120 コメント

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京のほけん屋様 (NOいちご)
2010-02-15 02:45:45
京のほけん屋様

織田信長の鉄砲三段撃ちは
本当なのでしょうか?
というより三千の鉄砲で一万五千の
騎馬隊を倒せますか?
織田軍は横一列になり鉄砲を撃った
として、一万五千が横一列になって
攻めるわけでもないし、そこが疑問です。
教えてください。

その時の距離はどのぐらいだったのでしょう・・。

返信する
NOいちご 様 (京のほけん屋)
2010-02-15 04:33:03
NOいちご 様
コメントに感謝致します。

火縄銃の飛距離は約100メートルです。
この間に三段撃ちで何回鉄砲が撃てるか?
というのを昔、テレビでやっていました。

答えは3回でした。

つまり、馬が100メートル走っているあいだに
玉込めをして撃つことができなかったのです。
早合(火薬や玉がはじめから固めてあるもの)
を使用して6回です。

では信長軍はどうやって武田軍を倒したのか?

まず考えられる事は、1000丁の鉄砲の
一斉射撃に馬が驚いたということです。

想像しにくいですが、1000丁もの鉄砲が
鳴るとすごい音ではないでしょうか。
その音に驚いた馬が乗り手を落とした・・と
いうことが考えられます。

あと、鉄砲と共に使われた馬防柵の効果も
大きかったと思います。
馬防柵は川沿いに沿ってはられていました。
馬が飛ぼうにも川底は深くなっていた為
(ちょうどこの時期は梅雨であったことからか、
もしくは掘っていたのか?)飛べないのです。
川の向こう岸から馬防柵が飛べない高さに
なっていたと思われます。

というものの、実際、馬防柵は
3つのうち2つまで破られていますし、
たまたま雨が合戦当日にやんだため
鉄砲を使用しただけで、実際は4万5千の軍勢で
包み込もうとしたかも・・・
知れません。

あくまでも想像の範囲ですが・・。

返信する
私は実際に三、四万の軍勢が織田、徳川に (駅スパート)
2010-02-15 22:48:00
私は実際に三、四万の軍勢が織田、徳川に
あることを知りませんでした。
鉄砲三千だけで立ち向かったのかと・・。
そこで、鉄砲が無くても四万の軍勢なら
十分、一万五千は潰せると思うんですが。

それにしても、今回も、京のほけん屋さんに
やられたぁ~という感じです。
素晴らしいテーマですね。
返信する
Unknown (再度倍再度)
2010-02-15 22:48:34
銃は雨が降った時の為に用意したんでしょうか?
それとも後詰め?または一応用意したかとか?
それほど強かったんですか?
勝頼になったばかりだし・・・。
あの時雨が降ったら信長はどうしたんでしょう?
また、勝頼ではなく信玄だったらどうしてたのでしょう?
興味深い話題を今回も有難うございます。
感激です。
返信する
長篠の戦いの鉄砲三段撃ちはなかった・・、 (ピラテス)
2010-02-15 22:51:15
長篠の戦いの鉄砲三段撃ちはなかった・・、
って事を聞くんですが、
どういう説なんでしょうか。

また、、仮に、三段撃ちがなかったとしたら、
何故、三段撃ちなんて話ができたんでしょうか。

これは面白いネタですね。
すごい。やっぱり、
京のほけん屋さんは、すごい!
返信する
長篠の戦いの三段撃ちが本当だとしたら、 (梅津街道)
2010-02-15 23:11:50
長篠の戦いの三段撃ちが本当だとしたら、
どんな段取りで編隊を組んだことに
なるのでしょうか。

こうしたことの、伝説のような話の中にある
偽りか真実かの討議って面白いですね。


このブログって、いったいどこへ
私たちを連れて行ってくれるの
でしょうか。

感激してます。
返信する
編隊を組んで銃で攻撃するのは、 (双葉の幸)
2010-02-15 23:31:25
編隊を組んで銃で攻撃するのは、
どんな方法であれ、機械ではない
のですから大変だったと思います。
なんのためにそんなことをする必要
があったのでしょう?

歴史に絡むこういった話も、テーマ
としてすごく面白い事ですね。
興味を持てる話題がズラリと並ぶ
このブログが大好きです。

返信する
これはどんな包囲網だったのでしょうか。 (ほうき星)
2010-02-15 23:46:25
これはどんな包囲網だったのでしょうか。
また、どんな方法で、この戦略まで
知れ渡ったのでしょうか。
益々、いろんな面での興味や
疑問がわいてきますね。

こんな感じで、歴史を学ぶことが
学生時代にあったなら、もっと
歴史に興味を持てたでしょうね。
でも、今からでも遅くないかな。
このブログから新しい情報を得ながら、
こうして新しい知識を得ていけば、
今からでも興味の幅は広がりそうですね。

ここにいる幸せを感じます。
返信する
長篠の戦で鉄炮の三段撃ちはあったのか? (aomori)
2010-02-15 23:55:53
長篠の戦で鉄炮の三段撃ちはあったのか?
・・・って、良い話ですよね。
こういう討議が出来るって、
ブログにしておくのはもったいないくらいです。

昨今の歴史の流れでは鉄炮の
三段撃ちは否定的だと、私自身
聞いたことがあります。
決定的に否定している文献等は
あるのでしょうか。
返信する
駅スパート様 (京のほけん屋)
2010-02-15 23:58:40
駅スパート様
コメントに感謝致します。

歴史を振り返ってみると必ず兵が多い方が
必ず勝つとは限りません。
桶狭間の戦いがいい例でしょう。
武田の騎馬隊・三河武士この二つは
兵の強さとしてはトップクラスでしょう。

しかし、信長の兵は金で雇われているため、
兵の補充には困らないものの、
土地を持ってないぶん、
主君に対する忠誠がなく、
危なくなったら逃げたようです。
そのため尾張兵は最弱とされていました。

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