【四知】 (しち)
『後漢書楊震伝』二人の間だけの秘密でも、天も知り、地も知り、我も知り、相手も知っているから、いつかは他に漏れるものであるということ。 《広辞苑》
不正や悪事はいつかは必ず世間の人に知られるようになるといういましめ。秘密は必ずもれるものであるということ。 《成語林》
「天知る、地知る、我知る、子知る」
という言葉をどこかで聞いたことが有ると思います。何事もこの言葉にある四者は知っているということから「四知」という言葉が生まれました。
後漢書の楊震伝が出典とされますが、楊震伝の原文だと、
天知、神知、我知、子知
であって、よく知られた四知とは違っています。元々は話した内容が文字になった物なので異伝もあって、現在のものもそうした異伝の一つなのでしょう。どちらかといえば「天知、地知、我知、子知」のほうが慣れ親しんだ言葉です。
楊震は後漢の官僚で、当時の最高位である三公にまで昇った人物です。後漢は側近政治の悪弊が蔓延り、賄賂が横行した王朝でした。この話も、そうした賄賂に関係した話です。
楊震が地方の太守に任命されて任地に向かう途中に立ち寄った場所で、その県の県令王密が夜、楊震の宿舎に尋ねて来ました。王密は以前楊震の部下だった人物で、その当時目をかけてくれたお礼ですといって、楊震にお金を渡そうとしました。
楊震はこれを断りますが、王密は
「夜分のことですので、私がここにやって来たことも、お金を渡したことも、だれにも知られることは有りません」
といってなおも渡そうとしました。それに答えた楊震の言葉がこの四知です。
「あなたは誰も知らないと言うが、そんなことはない。天が知っている、地も知っている。なにより私も知っているし、貴方も知っているではないか。何事もこの四者が知らないということはないのだ。」
というのがこの出典となった言葉の意味です。
天地が知っているというのは、当時の中国の信仰に関係する言葉ですし、貴方が知っているというのも賄賂のように渡す側と受ける側といった関係がある場合の言葉でしょうが、「私が知っている」は何事によらず共通する言葉でしょう。
どんなことでも「誰も知らない」ことはない。
常に「私は知っている」のだから。
現在起こる様々な事件に対して、さて真相を知っている四知はどう考えているのだろうと、考えずにはいられないことが・・・あります。
お加減はいかがですか?
心配してます。
どうか、ご無理なさらず、
ご養生下さい。
京のほけん屋さんは、私たちの
ほけん屋さんなんですから・・。
すごいですね。
今度は私には、判りやすい部分と、
へ~っと、驚いて、少し難題な部分が
あります。
でも、最高に勉強になります。
こういうことまで、京のほけん屋さんは
ご存知なんですね。
まさしく、スーパースターです。
楊震について教えて下さい。
コメントに感謝致します。
ご心配をお掛けしてしまい、申し訳ござい
ません。有難うございます。
楊 震(よう しん、54年 - 124年)は、
後漢前期の太尉。字は伯起。
楊牧・楊里・楊秉・楊譲・楊奉らの父です。
■出生
弘農郡華陰県(陝西省渭南市)の出身で、
先祖は前漢初期の赤泉侯の楊喜と
その玄孫の安平侯の楊敞(司馬遷の女婿)
で、父は銜環の故事で有名な楊寶。
楊震は「四世太尉、徳業相継」の第一代
に当たる人物です。
■系図
楊宝-震-秉-賜-彪-修(主簿)
■関連項目
三国志 (宮城谷昌光):宮城谷昌光の小説。
驚きました。
腰の具合は、あまり安心したり、
過信しないで、出来るだけ
養生に努めて下さいね。
長患いしやすい場所です。
京のほけん屋さんのお身体を
思うと、心配でたまりません。
そうでなくとも、
普段から、睡眠時間を削ってまで、
このブログを運営して戴いてるんですから、
肩こりや腕の張りなどもすごいことに
なっていると思います。
私たちは、京のほけん屋さんの元に、
集うだけで、何も出来ません。
だからこそ、
大切な京のほけん屋さんが心配で、
こうしてコメントに代えるしかないのです。
術が他にはないのです。
どうか、完全によくなるまで、
ご無理だけはしないで下さいね。
どんな生涯を送られた方なのでしょうか。
平平凡凡な私なんかには、
理解し難い人生でしょうね。
それにしても、お雛さんのテーマから、
がらりと変わって、テーマは判りやすいけど、
そのストーリ―の中に描かれている
歴史的なお話は、結構、難易度高い
みたいな感じですが、でも、新発見というか
知らない史実をかじることが出来て、
とても嬉しいです。
いつも、素晴らしい話題を有難うございます。
元気な京のほけん屋さんに、
一日も早く戻られますように。
お腰の按配はいかがでしょうか。
心よりお見舞い申し上げます。
人には色々な楽しみ喜びがありますが、
地位や権力を喜びとするような人間は、
一人前の大人として認められないものです。
ましてや、為政者としては失格です。
国民が健やかであることを喜び、
天に対しても、国民に対しても、
決してやましい所がないことを喜び、
そして教育を充実させることに喜びを
実感できなければ為政者たる資格はない、
と、そう思っています。
さて、『菊と刀』は後に「日本文化の型」と
いう副題が付け加えられ、日本文化は
「罪の文化」ではなく「恥の文化」であると
規定されました。
古来、中国の史書に学んで中国文化を
受容して自らの文化を築いてきた日本
なのに、日本人はこの「四知」をあまり好ま
なかったのでしょうか。
それとも、知らずにいた・・。?
「四知」の物語の詳細を、教えて戴けまし
たら、幸いです。
もう、心配で心配で。。。
一日も早く、完治致しますように。
お祈り申し上げます。
京のほけん屋さんの記事は、
どれも奥が深い。
その奥にハマっていくと、これがもう、
クセになるというか、出ることが出来ま
せんね。
毎週、ここに来て、その奥の部分を
覗いて、はまり込んで、そして、
たくさんの知恵を付けたいと思って
しまいます。
ところで、「俯仰、天地に愧(は)じず」
という有名な成語がありますね。
これは『孟子』の次の一文に基づくよう
ですが、この部分の詳細を教えて下さい。
…心配です。
痛みはもうありませんか?
心配してます。
負担がかかったのでしょうか。
心配です。
楊震は 西の孔子と 称えられたように
聞きますが、これはどういう謂れからで
しょうか。
京のほけん屋さんも、さしずめ、
孔子か孟子。
いや、それ以上かも知れません。
よく勉強され、自分のものにされている。
その素晴らしさは、例えようがありませんね。
尊敬致します。
京のほけん屋さんの知識って、
いったいどこからどこまでの時代や、
どんなジャンルまでを知っエいるのか、
すっごく不思議な気がします。
頭の良さだけでなく、理解度も、
それから、ブログのページから感じる
クオリティのすごさから、藝術的な
センスも感じ取れますね。
すごなぁ。
こういう人が居るんですねぇ。
尊敬する人っていう何かの
アンケートがあったら、
「京のほけん屋さん」
・・・・って、書きますね。
くれぐれも、お大事になさって下さい。
3月は気分の重い時期です。
異動もあれば、いろいろと事務処理も
増える時期。
不安と疲労の高まり時期ですね。
そんな時に、このブログは、
一息つける清涼剤みたいです。
このブログを知っててよかったです。
そうでなかったら、
今頃、潰れてたかも・・。
京のほけん屋様、
お見舞い申し上げます。
心配してます。
ご無理なさらないで下さいね。
後漢の政治について教えて下さい。
この時代の中国の政権や政治
情勢にも興味がわきますね。
様々な争いもあったでしょうし、
その中で統治するのは大変だった
ことでしょう。
今でも、多くの人種、宗教を抱えた
国ですから、大小関係なく、
ずっと何らかの内乱が起きてますね。