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リスト ピアノソナタ ロ短調 聴き比べ

2010年03月26日 23時36分36秒 | クラシック(一般)
 リストのピアノソナタを聴くのが断然楽しくなってきた。そのきっかけは先日に視聴したユジャ・ワンの演奏で、それに追い打ちをかけるようにアルゲリッチの演奏があまりに素晴らしかったものだから、この曲につきまとう構造的な面での理解なと、なかばどうでもよくなってしまい。現在では「どういう演奏で聴いてもそれなりに楽しい」という状況になってきた訳だ。とりあえず、前述の演奏の他に聴いてきた何種類かの演奏について、忘れないうちにメモっておきたい。

・ヤノーシュ・ランドー
 これまで自宅にあった同曲の唯一のCD。ナクソスから発売されていたものだけあって、取り立てて良くも悪しくもクセのないプレーンな演奏という印象(ランドーはナクソスのハウス・ピアニストのような存在)。ただし、アルゲリッチやワンの演奏聴いてしまうと、なんというか、この曲の持つ「壮絶さ」みたいなものとか、ピアノを強打した時にガツンと来る打鍵の気持ち良さみたいなものが、あまり伝わってこない憾みがある(ナクソスのそっけない録音のせいもあるだろう)。つまり、全体としては穏健過ぎてイマイチ迫ってくるものがないという感じで、やはりこういう曲だと、もう一歩突き抜けたものを求めたくなってしまう。ただし、抒情面での表現はなかな素晴らしいものがあり、第2部などはまるでショパンを聴いているようにしっとり楽しめるのは好印象だ。

・ジャン・ラフォルジュ
 私はこの人のことは全ったく知らない。名前からしてフランス人だろうか。50年代後半の収録らしく、これまで聴いた3種のモダンな演奏に比べると、加速減速の激しい鈍行列車みたいな演奏で、アバドのマーラーを聴いた後、唐突にワルターのが始まったみたいな、演奏様式の時代的な断絶感を覚える。第一主題のデモーニッシュな部分など、噛んで含めるように弾いているし、名技性の高い部分なども、現代のスムースさからすると、別に下手な訳ではないのだろうが、とつとつしているというか、ふらふらした演奏に感じるのは、きっとテンポが細かく揺らして演奏しているからだろう。ともあれ、後半のテクニカルな部分などは、さすがに現代の高精度の演奏にはかなわない気もするが、この曲のファンタジー面は拡大したような味がおもしろく、また後半の盛り上がりも独特な流れがあって、けっこう楽しめる演奏だ。

ウラジミール・ホロヴィッツ
 さきほど届いたもので、最近発掘された1949年のカーネギーホールでのライブで、先にラフォルジュより古い演奏だが、こちには時代的な誤差をぶっ飛ばす説得力がある。「リストのピアノソナタってのはこういうもんだ」的な自信と鬼気迫るオーラが漂い、全盛期のホロヴィッツの凄みがビンビン伝わる、まさにいにしえのグランドスタイルな演奏。
 全体は27分で終わるかなり早い演奏なハズなのだが、冒頭の第一主題から第二主題へ至る展開からして「もうこれ意外ない」と思わせる緩急が絶妙で、特段早いという気がしないのはまさに演奏の妙味というべきだろう。また、ホロヴィッツらしく、トリルで鍵盤を縦横に走りまくる華麗さ、最強音のところでピアノがまるでクラスターみたいに鳴り響くところの壮絶さなどは無類である。こういう一種の大見得を切るような演奏は、例えば「展覧会」のような曲だと、今の感覚だとちと過ぎな感も覚えたりしないでもないのだが、この曲では不思議とそのようには感じられず、むしろ曲のキャラクターにぴったりと一致していると思わせるのは、それだけこの曲がホロヴィッツという人の向きな作品だったということなのだろう。
 ちなみに1949年の収録ではあるものの、リマスタリングが成功しているのか、音質は極めて良好、同時期のRCAの録音より明晰さ、音圧、情報量という点で勝っているくらいだ。原盤がテープではなくラッカー盤であるにもかかわらず、客席のノイズがビビッドに聴こえてくるのは驚異である。

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