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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ウィントン・マルサリス/ブラック・コーズ

2009年11月30日 21時01分44秒 | JAZZ
 ウィントン・マルサリスが85年に発表した第3作。本作ではウイントン・マルサリス、 ケニー・カークランド、ブランフォード・マルサリス、ジェフ・ワッツに加え、ベースがレイ・ドラモンドからチャーネット・モフェットに替わり、一曲のみロン・カーターが参加する形で収録されている。ちなみに本作は、2管を擁した第一期マルサリス・バンドの最終作でもあり、収録された7曲はいずれも新主流派~新伝承派の完成型として、素晴らしい充実した演奏を展開しており、ラストに相応しい完成度を感じさせる作品ともなっている。ちなみに、ケニー・カークランドとブランフォード・マルサリスは、このバンドの後、スティングのバンドに加入するが、これなど、1985年というミュージシャンがジャンルを越境する現象が常態化してきた時期を象徴する出来事だったと思う。

 さて、本作が先に書いたとおり、どの曲も非常に充実しており、アルバム全体の完成度が極めて高い。前作の「シンク・オブ・ワン」もなかなかの仕上がりだったが、ジャズ的感興、あるいは聴き応えという点で、ジャズこちらの方が一段上を行くと思う。1曲目の「Black Codes」はかなりエキセントリックな非ジャズ的なテーマで始まるあたりはいかにもウィントン・マルサリスという感じなのだが、前作まであったような「とってつけたような」ところがなく、曲のダイナミズムを拡大していくために、有機的に曲に配置されているのがいい。4ビートへとリズムチェンジするプロセスも実に自然だ。要するにこなれてきているのである。2曲目の「For Wee Folks」は新主流派的な色合いを感じさせるミディアム・テンポの作品だが、適度に思索的でムードの中、多彩なインプロヴィゼーションが展開されていく。その完成度はなかなかだが、ジャズ的なリラクゼーションを忘れていないのもいい。ラクに聴ける....そういう点もジャズには大切だ。「Delfeayo's Dilemma」はよくスウィングしたダイナミックでスポーティーな4ビート作品で、妙にこねくり回さずストレートに演奏しているところがいい。こういう曲ではバンドメンが非常に優秀なのが如実に表れているとも思う。たぶん、アルバム中のハイライトとなる一曲だ。

 4曲目の「Phryzzinian Man」は「For Wee Folks」と同様、新主流派的な色合いを持った作品。5曲目の「Aural Oasis」はバラード的作品で、アーシーでけだるい感じが印象的だが、こういう曲だからこそロン・カーターが呼ばれたのだろう。確かに彼のベースの重量感や粘りはこの曲にある都会的倦怠感のようなものに、いまひとつリアリティをあたえていると思う。6曲目の「Chambers Of Tain」は「Delfeayo's Dilemma」と並んで、このアルバムのハイライトだろう。演奏は黄金時代のマイルス・クインテットがデジタル録音で甦ったような趣だが、ソロの合間に背後にイントロのモチーフを循環させるアレンジは、フュージョン以降のモダンさであるし、ブランフォードのソロが4ビートに転じた後の、スリリングな展開は素晴らしいの一語につきる。ラストの「Blues」は、このアルバム唯一のルーツ系の音楽で、トランペットとベースのデュオで演奏されている。こういう音楽は苦手だが、いささか長目のアルバム、クロージング・ナンバーとして聴くなら悪くない。
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ビル・チャーラップ・プレイズ・G.ガーシュウィン

2009年11月30日 00時31分00秒 | JAZZ-Piano Trio
 こちらはブルーノートでビル・チャーラップ名義、つまれピターワシントンとケニー・ワシントンと組んだレギュラー・トリオによる作品である。先日、書いた「チャーラップの盤歴」のとこからも分かるとおり、時期的にはニューヨーク・トリオ名義の「ビギン・ザ・ビギン」「星のきざはし」と同じ頃の製作ということになるし、母親であるサンディ・スチュアートと組んだアルバムもこの年だから、チャーラップにとって2005年はかなり多作だったということになる。このアルバムだが、内容的にはタイトルからも分かるとおり、ガーシュウィン集である。前作がバーンスタイン、その前がカーマイケルだから、こちらのレーベルでの作曲家シリーズは既に三作目ということになるが、今回はカーマイケル集の時の同じように何人かのゲストを迎えて、フォーマット的にはピアノ・トリオに限定しない、ヴァラエティに富んだ内容になっている。

レギュラーのピアノ・トリオだけの演奏は、1曲目「フー・ケアズ」、3曲目「ライザ」、7曲目「アイ・ワズ・ソー・ヤング....」、そしてラスト「スーン」の4曲のみ(しかもどれも3分程度と短い)。残り6曲はフィル・ウッズ(as)、フランク・ウェス(ts)、スライド・ハンプトン(tb)、ニコラス・ペイトン(tp)を加えた、オーソドックスなコンボスタイルの演奏だから、本作のメインはどう考えてもこっちの演奏である。
 2曲目の「サムバディ・ラヴズ・ミー」は、いきなり四管でテーマが演奏されるから、一瞬ぎょっとするが、四管でやるのはほぼテーマの部分だけ、あとはピアノ・トリオ+ソロのスタイル演奏されていくから、それほどゴテゴテ、ギラギラしている訳ではない。基本、非常に趣味のいいスタティックで洒落たジャズである。さすがチャーラップのセンスを感じさせる。「ハウ・ロング・ハズ・ジス・ビーン・ゴーイング・オン」はニューヨーク・トリオの方でもやっている曲で、ここではフランク・ウェスの渋いテナーをフィーチャーしているが、スロー・バラード風な解釈は基本同じような感じだが、さすがにテナー・サックスでこうじっくりと歌われると、そのムーディーさも格別という感じだ。

 6曲目の「霧の日」は9分の長尺演奏で、やはり四管でテーマが奏でられる。本作の中では次の「スワンダフル」と並ぶ有名曲だが、チャーラップらしい「遅い曲はより遅く」の傾向がよく出たアレンジだ。ソロはチャーラップを長いソロを筆頭に、ゲスト陣も順繰りにとっていくが、この遅いテンポとブルージーなムードがなんともいえない上質なムードを醸し出している。7曲目の「スワンダフル」はピアノでヴァースを演奏した後、いきなりアドリブに突入する意外なパターンで進行、この曲はこのトリオで同名アルバム(ヴィーナス)があるくらいだから、やや絡め手で再演したというところだろうか。アルバム中もっともインプロヴァイズした演奏だ。
 8曲目の「ベス,ユー・イズ・マイ・ウーマン・ナウ」はフィル・ウッズをフィーチャーしたワンホーン・カルテット・スタイル。これもかなり遅いムーディーな演奏で、フィル・ウッズは後半などさすがの貫禄をみせる。9曲目の「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット」は、2曲目の「サムバディ・ラヴズ・ミー」と同様、スウィンギーで軽快な演奏で、ジャム風にソロを回していくのが楽しい。

 という訳で、チャーラップのピアノについては、ニューヨーク・トリオでもたっぷり聴けるし、こういうバックに回ったスタイルでの演奏も悪くない。ただ、まぁ、いかにも日本人向けに製作されたニューヨーク・トリオでの演奏に比べると、選曲にせよ、演奏にせよ、格段にハイブロウというか、渋い内容であるのは確かだ。なにしろ、ガーシュウィンといっても、例えば「サマー・タイム」、「アイ・ラブズ・ユー・ポーギー」といった有名どころは出てこないし、酸いも甘いもかみ分けた....みたいな、全く声を荒立てない落ち着き払った演奏は、じっくりと聴けばその良さはひとしおだが、さらっと聴いたのでは凡庸でありきたりなジャズに聴こえかねない....まぁ、そういうかなり通向きな音楽になっている。同じビル・チャーラップでも、彼に何を求めるかでここまで音楽が違ってしまうのは、音楽の妙というべきだろう。アメリカ人と日本人の考えるジャズというものが、微妙に違うことも改めて認識させられる。
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