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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

新東宝名画傑作選 「花嫁吸血魔」

2009年11月09日 22時21分50秒 | MOVIE
 特に意識もしないでレンタルしてきたのだが、この作品、どうやら知る人ぞ知るカルト映画らしい。このあたりの事情はネットでもいろんなところに出ているが、Wikiによれば、本作に主演した池内淳子は『新東宝からデビューして脚光を浴びていたが、柳沢真一と結婚して1957年に一時芸能界を引退していた。翌1958年には離婚して復帰したが、結婚に反対であった新東宝社長の大蔵貢から冷遇され、本作のような毛むくじゃらの怪物という不本意な役も泣く泣く引き受けなければならなかった』らしい。で、そもそもこうしたプロセスを経て製作された上に、その後テレビで大スターとなる池内は、本作のことを余ほど自分の黒歴史と考えたのだろう、『後に新東宝よりフィルムを買い取り焼却処分してしまった。』というオマケがついて、本作は「若き日の池内淳子が主演した幻のB級ホラー」という評価が定着した訳である。

 ストーリーの方は一種の吸血モンスター仕立ての復讐譚である。同じダンススクールに通う4人の仲間のうち、主人公(当然これが池内淳子)だけが女優や恋愛に大きく羽ばたいた結果、他の3人からは嫉妬と憎悪の対照となり、崖から突き落とされる羽目になる。主人公は辛くも九死に一生を得たものの顔が大きな痣と傷を受ける、母親は自殺、と不幸のどん底に陥ることになる。自殺した母親の遺書に従って、すがるように陰陽師の曾祖母を訪ねると、一旦自殺しかけた主人公の命を救い、おまけに顔の傷まで治して、自分を不幸にした3人に復讐するよう差しむけた....。この主人公はどうやらモンスターの家系で、夜な夜な毛むくじゃらな狼男のようなモンスターに変身、復讐を続けていくが、最後は自分も絶命してしまう....というものだ。

 池内淳子といったも、今の若い人には馴染みがないかもしれないが、昭和40~50年代はテレビ界の大スターだった。出るテレビが軒並み高視聴率だったことから、当時「20%女優」などといわれたりしたし(状況は違うが、まぁ、今でいえばキムタク並に視聴率の稼ぐ人だったのだ)、彼女が主演したテレビドラマ「女と味噌汁」を母親の傍らで観て、子供心にも彼女にはその和服姿から得も言われぬ大スターのオーラを感じたりしたから、やはり当時は相当なものだったのだろう。ともあれ、後に大スターになった人が、後になって黒歴史として消してしまいたい作品として買い取った作品ではあるが、確かに冒頭の陰陽師の部分などおどろおどろしいところはあるし、むむくじゃらになる変身のシーンは「お嫁さんにしたい女優」の上位にランクインして彼女にとってみれば耐え難いものだったかもしれないが、今みればどうということもない。

 むしろ、池内淳子演じる主人公が、結局「悪」に染まりきらずに、結局は善良なヒロインの悲劇として物語を閉じるあたりは、池内淳子のイメージを全く裏切っていないし、むしろラストの切なさはある種感動的な感慨すら感じさせるのだ。ちなみに芸能界を舞台とした本編部分では随所に昭和30年代のファッションだの風俗をいろいろみせてくれてちょっとうれしくなった部分であった。という訳で、なかなか楽しめた一編。個人的には石井輝男のモダンな新東宝作品より、こういう古色蒼然としたB級映画の方がなんだかほっとするようなまったり感があって楽しめる。
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ニューヨーク・トリオ/ビギン・ザ・ビギン

2009年11月09日 01時04分08秒 | JAZZ-Piano Trio
 先日取り上げた「ラブ・ユー・マッドリィ」の二作あとのアルバム。もっともこの間に入る「星へのきざはし」はリクエストに応えて作られた一種の「企画物的なお仕事」っぽいから(同じ2005年に発売されているし)、これがニューヨーク・トリオの第4作というべきなのかもしれない。で、こちらはチャーラップお得意の作曲家シリーズで、前作のエリントンに対し、今度はコール・ポーターである(ちなみにこのあとはリチャード・ロジャース、ブルーノートの方ではガーシュウィンをとりあげることなる)。コール・ポーターといえばジャズ・ミュージシャンに好んで取り上げられるスタンダード・ナンバーの大御所であり、当方もかつてエラ・フィッツジェラルドのソング・ブック集をけっこう聴き込んでいるおかげか、聴き染みのあるナンバーがずらりと並んでいるせいで、こちらは気負いなく素直に楽しめた。

 冒頭は特に有名な-とりわけ日本で好まれていそうな-「帰ってくれたらうれしいわ」にはじまる。ニューヨーク・トリオとしては「過ぎし夏の想い出」以来の再演となるが、長目のピアノ・ソロからシャレたフックを経由してトリオへと移行するプロセスや後半のピアノとドラム8バース・チェンジなど前とほぼ同じパターンであるものの、前回に演奏に目立ったテクニカルなメリハリを後退させ、落ち着きやムーディーさ表にだしたでかなり深みを感じさせるのが、このトリオのほどよい熟成を感じさせる。チャーラップらしくゆったりとしたテンポで解釈された「ソー・イン・ラブ」もいい。この曲はコール・ポーターの作品でも個人的に特に好みの曲なのだが、ミディアム~アップ・テンポで演奏されることが多いこの作品をぐっとスローに演奏してしまう手管はチャーラップらしいところだし、また中間部移行の変幻自在なテンポの変更も楽しいところだ。前作のバラード路線を再現したようなムーディーな「ビギン・ザ・ビギン」もじっくり楽しめる。

 また後半はスウィンギーな「フロム・ジス・モーメント・オン 」、「イー・ジー・トゥ・ラブ」がフィチャーされ、その間にはピアノ・ソロでたっぶりと歌った「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」も聴かれる。ラストは私の大好きな「エブリタイム・ウイ・セイ・グッバイ」 で、これまた星空を見るようなきらめくような感覚としっとりしたムーディーさがあって、実に「聴かせてくれる」。
 そんな訳で、このアルバムはとても楽しめる内容だと思う。また、以前のアルバムに比べて個々の曲のクウォリティが一段上がっているような気もしないでもない。かつてはチャーラップのスウィンギーなところに惹かれたものだが、気がついてみたら彼のバラード演奏の巧みさに聴き惚れてしまっているというのも、そういうところが作用しているのかもしれない。
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