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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ジャック・ルーシェ/バッハ・トゥ・ザ・フィーチャー

2009年11月29日 16時04分19秒 | JAZZ-Piano Trio
 「デジタル・プレイ・バッハ」に続く、復活ルーシェの第2作。前作がデッカ時代の「プレイ・バッハ」の再演ばかりを収めていたのに比べると、今回は新レパートリーばかりで構成されているのが特徴だ。多分、前作の成功にルーシェ自身が大いに気をよくしていたのだろう、再演を潔しとせず、3楽章からなる協奏曲を3曲も収録し、かつ随所にコンテンポラリーなアレンジも盛り込んでいるところに、彼の本気を感じさせた。もっとも、発売当時「ちょいとやり過ぎなんじゃないの」みたいな意見は当然あっただろうし、かつてバッハをやりつくした後の「落ち穂拾い」みたいなところがなくもない、いささか地味な選曲ではあるが、個人的にはけっこう好きなアルバムである。内容をざっと見ていこう。

 冒頭に収録された「協奏曲ニ長調、BWV.1054」の第1楽章は、フュージョン風のシンコペした現代風のリズムで料理している。第3楽章ではジャズ・ワルツをベースにしながら、ファンクっぽい味付けがあり、とにかく新しいセンス(特にリズム面で)を導入してやろうという意欲が感じられる仕上がりになっている。「小フーガ」はロック風な8ビートで演奏されており、更にピアノは多重録音してかなり作り込んだアレンジになっている(さすがにこれはちと違和感を覚えたものだが)。8ビートといえば、続く「協奏曲ハ短調、BWV.1060」の第1楽章もその線でアレンジされていて、この上にピアノとベースがかなりモダンな感じで絡んでいるのがおもしろく(インタープレイといってもいい)、とても聴き応えがある。第2楽章はあまり旋律線は追わずに詩的なインプロを主体にしたジャジーな演奏で、いつもとは違った美しさがある。

 3つの大作である「協奏曲ヘ長調、BWV.1056」だが、これはアレンジ的には一番冒険している作品といえそうだ。第1楽章はもろにロック的なリズムを使いつつ、随所にひっかけを用意したり、途中ムーディーな4ビートにリズム・チェンジしたりとかなり、凝ったアレンジになっている。第2楽章はいつものルーシェ節だが、第3楽章は再びかなり凝ったリズム・アレンジとなる、途中、スウィンギーな4ビート、そしてピアノとベースの4バース・チェンジ、無伴奏ピアノ・ソロと、いろいろな聴き所が用意されているのが地味にうれしい。残り5曲はいずれも小品だが、個人的には「パストラーレ ハ短調、BWV.590」 と「メヌエット ト長調(アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳 BWV.追加114より)」が従来のルーシェの路線を感じさせるエレガントさがあって楽しい。
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ジャック・ルーシェ/デジタル・プレイ・バッハ

2009年11月29日 14時42分46秒 | JAZZ-Piano Trio
 ジャック・ルーシェといえば、60年代はデッカ、その後、復活してから近年はアメリカのテラークでアルバムを出しているけれど、80年代中盤にスタートというマイナー・レーベルからプレイ・バッハの取り直しをしたアルバムが、実は復活のはじまりだったことを、そろそろみんな忘れてきていると思う。誰の発案だったのか、かつてのプレイ・バッハ・シリーズから十八番の曲をデジタル録音で取り直すというアイデアは、すぐさま続編が続いたくらいだから、けっこう受けたはずだ。思えば、この時期の活動がその後の90年代に、今度はテラークで収録されることになる新バッハ・シリーズ、その他に繋がっていくことになるのだ。

 そえいう経緯で、このアルバムはおそらく単発企画として製作されたものだから、選曲的にはまさにプレイ・バッハ・グレーテスト・ヒッツである。私はこのアルバムを、確か今はもうない千葉市新星堂で、「イタリア協奏曲」がプレイバックされているを一聴して購入したように記憶しているが、この「イタリア協奏曲」のいささか権威主義的な第1楽章をスポーティーかつカジュアルな形で崩して演奏するセンス、いささか辛気くさい第2楽章ここまで洗練されたブルージーなアレンジする垢抜けた感覚、そして第3楽章を豪快なスウィング感と達者なテクニックにいたく感心したのだった。当時の私はオイゲン・キケロは知っていたけれど、多分、ジャック・ルーシェについてはほとんど知らなかったと思う。なので、このオイゲン・キケロより数段洗練されたルーシェの演奏を聴いて、「へー、こんなにお洒落なクラシックのジャズ化があるんだね」と、一聴、惚れ込んでしまったのだ(まぁ、オイゲン・キケロには彼なり良さがあることに後年気がつくのだけれど)。

 という訳で、このアルバム、80年代から90年代にかけてはずいぶん聴いたものだった。一曲目は「G線上のアリア」からスタートするが、この静謐なイントロからしばらく続いた後、あの有名な旋律が登場するアレンジがあまりに印象的だったので、テラークでの「プレイ・バッハ」シリーズのベスト盤が、前奏曲第1番ハ長調から始まることに大きな違和感を覚えたくらいなのである。もちろん、他も曲もいい。「イタリア協奏曲」と並ぶ十八番の「トッカータとフーガ」も、デッカ時代のオリジナルよりコンテンポラリーなセンスを取り入れて、良いアレンジ演奏だと思うし、 このふたつほど有名ではないが、「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」も、あまり有名でないからこそ、従来のバッハ的世界を心地よく裏切るインプロビゼーションを楽しめる。また、「主よ、人の望みの喜びよ」「コラール前奏曲第1番~目ざめよと呼ぶ声あり」といった小曲は、この人らしい実にセンスの良いお洒落な演奏で実に心地が良い。

 という訳で、このアルバム、自宅で、車で、結婚式の会場で....と、あのバブル最盛期の頃にはずいぶん活用させてもらったが、今ではそれもずいぶん昔の話となってしまった。今時、結婚式に絵に描いたようなフランス風のルーシェなんか気取って使ったら、ガチすぎて引いてしまう人も多いことだろうな(笑)。ついでにいうと、音質はデジタル録音初期であるものの、ルーシェ諸作ではこれが一番自然だと思う。その後のテラークはちと低音(特にバスドラ)がエゲツなさ過ぎで、その迫力感はさすがテラークという感じ凄いのは認めるが、あまりにスットン、バッタンした音質には少々違和感があった。やはりルーシェにはこういうシルキーな音質が良く似合うと思う。
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宮川泰/ゲバゲバ90分ミュージック・ファイル

2009年11月29日 11時00分19秒 | サウンドトラック
 1969年から数年間のことだったが、ナイターのないシーズンの火曜、夜8時から日本テレビで放送された「ゲバゲバ90分!」だったが、斬新なバラエティとして、大変な人気を博した名物番組であった。巨泉と前武を筆頭に、宍戸城、小川知子、朝丘雪路、宮本信子、小松方正といった非お笑い芸人が多数登場して、ソープ風、ミュージカル風な短いギャグを、適当な区切りに例の「ゲバゲバP!」を挟みつつ、テンポ良くつるべ打ち状に構成したような番組だったが、その後、このスタイルを踏襲したバラエティがほとんど存在しないことあり、テレビ史上でも極めて特異というか、ワン&オンリーなプログラムとして現在でも高く評価されているようだし、単純にあれを懐かしむ声も多い。当時小学の高学年だった私も、ご多分にもれずこれを夢中で観ていたクチだ(なにしろ、日曜の昼に30分とか60分の編集された再放送も観ていたくらいだし)。

 さて、このアルバムはその「ゲバゲバ90分!」のサウンドトラックで構成されたものである。ちなみに「ゲバゲバ90分!」は、現存する映像から起こされたDVDも出ているらしく、残っていないといわれた、あの当時の映像の一部を今でも楽しむことができるのだが、さすがに今観て昔のように笑えるか不安なので私は購入していない。実は番組に使用された音楽についても、私はほとんど記憶に残っていないので、実はどうしてこのアルバムを購入したのか、よくわからないのだが(笑)、おそらくオプティミズム全開のオープニング・マーチでも聴きたくて購入してきたのだろう。という訳で、アルバム・トップは当然、「ゲバゲバP!」に続いて「オープニング・テーマ」である。いかにも高度成長期ニッポンのオプティミズムが全開という感じで、実に懐かしい。同時にメインのシステムで聴くと、テレビでは聴こえてこなかった(単に記憶にないだけかもしれないけれど)、ストリングスのカウンターメロディだの、バンジョーだの、シンバルの細かい音が聴こえて、かの曲はこんなに情報量の沢山あった音楽なのかと驚きもしたりする。

 以降に収録された約40に渡るトラックは、当方の記憶にはほとんど残っていないが、今聴いてもなかなかおもしろい。様々なテーマのヴァリエーション、ボサノバ、ジャズ、ディキシー、モダンなヨーロッパ映画風、往年のハリウッド風、ゴーゴー、バロック風、ピンクパンサーのぱくり、ジョビンのぱくり、スウィング、ティファナ・プラス風にアレンジされたカルメン....と、箱庭風にあれこれ様々な音楽ジャンルをつまみ食いしていく(これを器用に演奏していく、当時の日本人ミュージシャンもさすが)。いかにも宮川らしいバタ臭さい洋楽指向といった感じだが、そのセレクションのセンスはさすがだ....などとニヤニヤしながら聴いていたら、あっという間に60分過ぎてしまい、ミュージカル風に4ビートにアレンジされたオープニング・ヴァリエーションになっていた....(ちなみに、番組の方はこのエンド・タイトルの後、実は何分かオマケがついて、唐突に終わるのというのが、いつもパターンだったように思うんだど?)。
コメント (4)
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世界樹の迷宮 第四層到達

2009年11月29日 00時11分51秒 | GAME
 というこの一週間もヒマを見て、「世界樹の迷宮」はちょこちょこ進行中である。第三層は熱帯林の場所で、まずは11階と12階の地図づくりがミッションになっていて、例によって楽しくて面倒くさい作業をちまちまと続ける訳だけれど、特に問題もなく順調に踏破。この途中でブシドーという日本の侍みたいな職業を取得できるようになったので、このブシドーをパーティーに入れて、Lv20くらいまで育成してみたけれど、既に三十代後半に差し掛かっている他のメンバーまでもっといくのは、ちと面倒くさくなったので、ブシドーはそのまま放置して、ソードマン/パラディン/レンジャー/メディック/アルケミスという布陣でダンジョンの踏破を続けた。ちなみにFFXIでいえばソードマンは戦士、パラディンはナイト、レンジャーは狩人、メディックは白魔道士、アルケミスは黒魔道士という役割である。私は他にブシドーは当然侍だろう。他にも詩人に相当するバード、鞭ジョブのダークハンターとかある。

さて、地図づくりの最後にはボス、クイーンアントとの対決があるが、これまも危なげなく勝利して(むしろ無限に西南のエリアで無限に増殖するアントの方がやっかいだったかな、中ボス倒せばいいことにきがつかなくて延々と戦っていた-笑)、11階と12階が終わると、今度は東西に流れる川がエリアを分断する13階(いったん14階におりてまた上がる、8~9階と同じパターンで行く)、湖みたいなエリアをハスの花に乗って移動する14階と進み、15階に入るとコロトラングルというタコのお化けみたいなボスと対決、これまた当方のレベルが上がりすぎているのか(笑)、これも問題なく勝利して、そのまま階段を下って(このエリアはとても狭い)、先ほど16階、第四層へ到達したところである。
 あと、ほとんど物語らしい物語もないこのゲームだが、そろそろこの世界樹なる樹海が出来た理由、謎の先住民族みたいなものが、ミッションや登場人物の間で見隠れしてきたから、このゲームもそろそろ佳境といったところかもしれないが、本当にこれ何層あるのかな?。
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