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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

チック・コリア/ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス

2009年11月28日 20時51分15秒 | JAZZ-Fusion
 先日とりあげた「トリオ・ミュージック」の三人が最初組んだアルバム(1968年発表)がこれ。いうまでもなくチック・コリアの名を一躍押し上げた、ジャズ・ピアノの大名盤でもある。多分、偶然だが、私このアルバムを初めて聴くのに前後して、ビル・エヴァンスとそれ以前のピアノ・トリオを集中的に聴いていた。そのせいもあって、このアルバムで聴けるある種の伝統と断絶したような斬新さやフレッシュな躍動感にずいぶん驚いたものだった。例えば、ハード・バップ系のピアノ・トリオを聴いていて、ビル・エヴァンスを聴くと非常にモダンな感じがするけれど、そのビル・エヴァンスの例えば「ライブ・アット・モントルー」のような比較的モダンな演奏の後でも、これを聴くとそれまでのジャズとはそももそも感覚的に違うとしかいいようがない斬新さを体感できるのだ。

 さて、本作だが「Steps - What Was」からはじまる。多少フリーがかったピアノ・ソロからオーソドックスなジャズへと流れが収束するように音楽が進み、込み入ったリズムをもったブリッジを経て、やがて急速な4ビートに雪崩れ込んでいく構成が見事、ピアノ・ソロもモードも飛び越え、時にフリーに接近しつつも、オーゾドックスな体裁を整えているあたりがいかにもチック・コリア的なクレバーさがあっていい。また、ドラム・ソロの後、その後のRTF的なスパニッシュ調になるのもいかにもチック・コリアだ。「Matrix」はやはり込み入ったテーマの後、急速な4ビートに雪崩れ込んでいくパターンで、ここでもコリアのシャープなピアノがめくるめくような展開をしていくところがいいし、ビトウスの鋭利で饒舌なフレーズ、ドライなスウィング感も、コリアの音楽にぴったりとマッチして斬新だ。

 先の2曲に比べると、旧B面の3曲は多少テンションが落ちる感じだが、タイトル曲はややおおらかな流動感があり、これはRTFに受け継がれていくように思う。「Now He Beats The Drums, Now He Stops」はたぶんフリーのインプロヴィゼーション、中間部ではオーソドックスなピアノ・トリオのスタイルとなるが、ここでは変幻自在なビトウスのベースが目立っている。最後の「The Law Of Falling And Catching Up」は短い点描主義の現代音楽みたいな音響系フリー・ジャズ、演奏時間は2分半くらいだから、ちょっと変わったアルバムのコーダとして楽しめるのがいい(ちなみにCDには8曲、30分近いボーナス・トラックが入っていて、本編の緊張感に対して、ボサノバ、スタンダード、モンク作品などリラックスしてやってりして、なかなか興味深い内容だったりするのだが、これについては別の機会に譲りたい)。

 という訳で、このトリオは「トリオ・ミュージック」「ライブ」も良かったが、やはりこちらは別格という感じがする。思えばこのアルバムを聴くきっかけになったのは、私があしげく通ったレコード・ショップのマスターがことあるごとに大推薦していた名盤という理由の方だが、やはり団塊の世代のジャズ・ファンにとって、このアルバムとは時代的にも「非フリー・ジャズ系のコンテンポラリーなジャズの名盤」だったのだろう。フリー・ジャズを意義面では認めるものの、やはり本音の部分ではフリーは音楽としてはちっともおもしろくない....みたいな人ほど、このアルバムをもてはやしたのではないか。そういう折衷音楽的なところが、実はこのアルバムの斬新さの実体であり、分かりやすいところでもあったと思う。かくいう私もそういうところが大好きなのだ。
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Coco Lee / Exposed

2009年11月28日 19時15分05秒 | 台湾のあれこれ
 今調べてみたら、彼女の「ジャスト・ノー・アザー・ウェイ」をレビューしたのが2005年の5月だった。このアルバムの時点で、ココ・リーは既に台湾ポップの大スターだったが、もともとサンフランシスコ育ちということもあり、こうした素性を買われて(?)、全曲英語で歌ったワールドワイドでのデビュー作「ジャスト・ノー・アザー・ウェイ」が作られたのだった。このアルバムもコメントいただいた方から情報でその存在を知り、その直後に購入はしたはいいが、あっちこっち音楽的なよそ見をしているうちに、おきまりの放置状態になっていた。さきほどラックをごそごそしていたら、いくつかの台湾ポップの未聴アルバムに混じっていたコレをを見つけたので、さっきから聴いているところだ。

 前作はワールドワイド発売ということで、流暢な英語によるソウルフルな歌唱と本場のプロダクションによって、ほぼ完全な米国産モダンR&Bになっていたが、どうもそれが逆に没個性になってしまったとスタッフは反省したのかもしれない、本作ではアジア風なエキゾシズムを音楽に随所にとりいれているのが特徴だ。もっとも、アジア風といっても欧米人が歓びそうな味付け程度で、基本はリック・ウェイク(セリーヌ・デュオン、マライア・キャリー)をプロデュースによる前作ラインを踏襲していて、それほどイメチェンしている訳でもないのだが....。1曲目の「Step In」では、いきなり琴みたい楽器が中華っぽいムードを漂わせているのは苦笑してしまうが、そのまま続く「No Doubt」は前作の同様のテクノ・ファンク的な世界に、相変わらずコテコテのソウル歌唱で凄いパンチ力だが、聴いた感触としては脂っこい感じがまるでない、しなやかな鞭みたいな歌いぶりはいかにもココ・リーという感じで、もはや安定感すらただよう。

 ただ、このアルバムではどちらかというとダンサンブルな曲もミディアム・テンポのものが多いし、4曲目「Hush」、6曲目「Touch」あたりはけっこうしっとりしたバラード、ラストの「Magic World」は珍しくアコースティックな趣が強いゴスペル・ナンバーだったすることで、アルバム全体の印象を多少落ち着いた方向にシフトさせているような気がしないでもない。個人的には前作にあったイケイケでぶっちり切ったノリのナンバーが何曲かあっても良かったとも思うが(10曲目「Coll」、11曲目「Music As We Make It」あたりがその線といえないこともないが)、まぁ、これはこれでひとつの趣ではあるだろう。さて、2005年の本作のあと、彼女のインターナショナル路線はどうなったのだろう?。
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ハイドン交響曲第34番「聖堂」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年11月28日 11時44分03秒 | ハイドン
 34番は荘厳なアダージョから始まります。アレグロ本編への序奏ではなく、アダージョのみで6分半くらいやってますから「本気で緩徐楽章を頭に配置」しています。交響曲が緩徐楽章からスタートさせるのは、後年チャイコフスキーとかマーラーが芸術的な必然から、ルール違反であることを念頭に「掟破りな構成」として試みるみとにになる訳ですが、実はハイドンは5番、11番に続いて3度目のルール違反をしていたことになります。もっとも、彼の場合、チャイコとかマーラーのように最終楽章も緩徐楽章にして構成的整合性を整えるようなことはしていませんし、なにしろ交響曲という概念そのものがまだ曖昧だった時代ですから、セレナードとかディベルティメントあたりの緩やかな構成に近づいたということでしょう。また、ハイドンらしい茶目っ気というのもあるのかもしれなません。

 ともあれ、この第1楽章は実に堂々たる緩徐楽章になっています。単一楽章で独立曲としてもいいくらいです。軽薄な言葉でいうと、「キャラが立っている」感じがします。短調で宗教的な荘厳さを漂わせて進みますが、ここまで荘厳かつスケールが大きいと、ハイドンでも90番台以降、モーツァルト最終期あたりの交響曲の第1楽章についていた、希有壮大な序奏を予見している感じもしますね。続く第2楽章は霧が晴れたようなニ長調のアレグロですが、私が今聴いているフィッシャーは第1楽章とはほぼ間を空けずに続けて演奏していますから、まぁ、リスナー的にはまぁ長大な序奏のように聴こえないこともありません。重々しい先行楽章とはうって変わって、躍動的な弦の動きやスケール感など、非常に爽快な仕上がりではあるのですが、あまりに大きく存在感がある仕上がりになってしまった第1楽章とバランスをとれるには、この第2楽章、ややハイドンの手癖というか、職人芸でまとめただけみたいなところがあって、今一歩役不足というか、もうひとつ魅力的な「つかみ」が欲しかった感じがしなくもないです。

 第3楽章はメヌエットにしてはやけにきびきびと進み、いつもの鄙びたメヌエットに比べると、トリオを含めてリズムにせよ、ムードにしても鋭角的な感じがします。最終楽章はプレスト、アルペジオみたいな三連符が全編を覆いつくし、途中、ソロヴァイオリンなども入り、かなりとっちらかったせわしない印象があります。時間的に考えてもこの楽章は第三楽章とセットで第三部みたいな考えるとしっくりとくるかもしれません。ただ、まぁ、ハイドン自身はメヌエットと最終楽章をどうおさまりよく配置するか、実験中という感じで、どうも考えあぐねているようなところも散見しますけど....。
 ちなみにニックネームですが、これは第1楽章の厳かで重厚なムードから、ごく自然に「聖堂」としました。「寺院」でもよかったかもしれません。まぁ、こちらはまた使うこともあるでしょう。
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