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マーラー ピアノ四重奏曲/プロアルテ・ピアノ四重奏団

2009年11月16日 21時20分53秒 | マーラー+新ウィーン
 このところブラームスのピアノ四重奏曲を1番から3番まであれこれ聴いているのは、ここにいくつか書いているとおりだが、CDラックを探していたところ、10年くらい前にアルテノヴァから出て、プロアルテ・ピアノ四重奏団という団体(ルーマニアのジョルジュ・エネスコ・ブカレスト・フィルハーモニー管弦楽団のピックアップ・メンバーで構成さているらしい、いにしえのプロアルテ四重奏団とは関係ないようだ)が演奏するピアノ四重奏曲の2番を収めたアルバムを発見した。あぁ、そういえば、こんなのもってたな....という感じだが(笑)、多分、これはブラームスを目当てに購入してきたものではない。実はあまり記憶にもないのだが、お目当ては間違いなくフィルアップに収録されたマーラーのピアノ四重奏曲の方だったのだろう。もちろん、今ならお目当ては当然ブラームスだが、このマーラーの若き日の習作については、ほとんどどんな曲だが記憶に残っていなかったので、まずはこちらから聴いてみることにした。

 マーラーの交響曲以前の作品といえば、18歳の時に書いたカンタータ「嘆きの歌」が有名だが、このピアノ四重奏曲はそれに遡ること2年前、16歳の時の作品らしく、現存するマーラーの作品では一番初期のものともいわれている。マーラーの作品は前述の「嘆きの歌」にしてから、その後のマーラーらしさという点からすれば、けっこうオーソドックスな趣が強いが、その2年前の本作ともなれば更にそういう感が強い。曲は一楽章のみ、全体に悲劇的なムードが横溢している。4分ほどしたところで突如テンポが激変して嵐のような展開になったりする部分、あるいはそれ以降の大きな身振りでもって激情を展開していくあたりは、既にマーラー的なるもの原型を感じさせる部分だが、まぁ、あくまでも「オーソドックスな室内楽の枠」の中での話で、この作品の段階では、後年の捨て身で破れかぶれの音楽をやっているようなところはまだ少ない。また、悲痛な旋律はなかなかのものだが、どちらかといえばロシア・スラブ系の美しさに近いし、全体の生真面目さはいたってまっとうなドイツ流だとも思う。要するに優等生の音楽といった様相だ。

 ところでこの楽章だが、当然この続きがあったのだろうが、続く「スケルツォ」のみが多少残っているくらいのようだ。完成したのに残りが散逸したのではなく、この楽章とスケルツォの冒頭まで書いて、放置されたままにったということらしい。マーラーはこのピアノ四重奏曲をどのように構想していたのだろう?。常識的に考えれば、この悲劇的な楽章をスタートに、やがて輝かしい最終楽章へと進んでいくような、つまり交響曲の5番のようにもの作るつもりだったとは容易に想像できるところだけど、スケルツォがあるところを見ると当然完成品は4楽章以上。かなりドラマチックな展開に満ちた交響詩的なピアノ四重奏曲になったに違いない....こんなことを考えながら、マーラーの若書きを聴くのも楽しいひとときである。
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