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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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ブラームス ピアノ四重奏曲 第2番/バリリ四重奏団、デムス

2009年11月10日 23時23分30秒 | ブラームス
 続いて第ニ番、こちらは未だ曲自体があまり当方に馴染んでいないので、なんともいえなところは多々あるが、緊張感の高い第一番に比べ、より牧歌的、田園的な趣が強い作品な分、この楽団の持つウィーン風なところ、加えて約半世紀前の56年録音という時代的な落差が独特の鄙びた風情を醸し出している。ファウスト、ジュランナ、ムニエ、ハンの演奏では、この曲の規模の大きさやラプソディックな風情に注目し(たのかどうか知らないが)、同じブラームスのセレナードみたいなノリでシンフォニックに演奏していたけれど、こちらはまるで古い木造校舎の音楽室で聴く「生真面目で木訥とした室内楽」みたいなイメージである。では4つの楽章を聴いた印象をざっとメモしておきたい。

 第一楽章はリズムにせよ、曲の流れにせよ、あちこち寄り道をしながら、まるで逡巡するかのように音楽をつくっていくブラームスの個性のようなものをクローズアップしているいるような感じで、いたずらにこの楽章の明るさばかりを強調せず、冬の日だまりみたいな、つつましやかな暖かみを感じさせているあたりがこの楽団の見識を感じさせる。
 第二楽章は時折現れるデモーニッシュな部分がかなり重々しく、結果的にそれに続く安らぎを感じさせるような明るい部分との対照が大きくなっているように思う。従って、こちらは前楽章と比べると、こちらはけっこう構えの大きな演奏というか解釈になっているように感じた。なにしろ、一歩間違えば退屈極まりない凡庸な音楽になってしまいそうな楽章だけに、この老練さはさすがにブラームスを体で知っている人たちの演奏だという感じが強い。

 第三楽章はスケルツォだが、先日も書いたとおり、あまりリズム的に角張ったものではないし、ベートーベン流にシニカルな趣も強くない、いわく形容し難いブラームス流の音楽なのだけど、こういう舞曲風な音楽だと、この楽団が持っていたのであろう「ウィーン風なスウィング感」のようなものがとても気持ちがいい。主部はもちろんだが、多少哀感も感じさせる中間部から再現部へと移り変わっていくあたりの、ほどよく高揚感のようなものは、こうしたスウィング感から来るところが大きいのではないか。一気呵成に演奏しては、おそらくこういう味は出ないのだろうと思う。
 バリリ四重奏団はこの最終楽章を、おそらく全曲のハイライトと位置づけたのだろう。ラストにしては多少座りの悪いこの楽章を、全曲中もっとも明るく吹っ切れたような雰囲気で演奏しているように思える。ほっとするような明るさが印象的だ。デムスの張り切ってピアノを弾いている。
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ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番/バリリ四重奏団、デムス

2009年11月10日 00時03分10秒 | ブラームス
 先のボザール・トリオの全集と一緒に購入したもの。ウェストミンスター・レーベルから出たもので、演奏は50年代のウィーン・フィルからピックアップ・メンバーで構成された伝説のバリリ四重奏団に、ピアノがイェルク・デムスが加わった布陣で収録されている。ウェストミンスターというアメリカのレーベルは、どういうコネクションだったのか、50年代のウィーン・フィル関連のメンバーで構成されるいくつかの団体を擁し、室内楽のアルバムを沢山残したおかげで、現在でも名盤選定の際にはたいてい名前が出てくるくらいに有名で、例えばブラームスのクラリネット五重奏曲をウラッハが吹いたあの大名盤なども、このレーベルからのものだった。そういえば、ヘルマン・シェルヘンのマーラーなどもこのレーベルである。

 さて、このバリリとデムスによる演奏だが、さすがにメンツがメンツなだけにウィーン風なムードと伝統的な表情が濃厚だ。第一楽章冒頭のピアノからチェロにテーマがリレーし、やがてアンサンブルへ発展していく部分からして、くぐもったというか、艶消しで仕上げたような音色が実にウィーン的なものに感じられる。また、全体にリズムの角が少しとれて、縦割りもあまりきっちりかっちり揃っていないのが逆に独特の柔らかな感触を醸成させており、そのあたりもウィーン的なるものを感じさせていると思う。第二楽章のメランコリックなムード、第三楽章の鄙びた風情などは、まさに「おらが音楽」的な自家薬籠中の境地が感じられる。まぁ、そう思って当方が聴いている先入観も大きいとは思うが(笑)、やはりこうした部分はウィーンならではの音楽だと思う。なにしろ当時のウィーン・フィルはまだインターナショナルな存在になる直前で、まだまだ古式ゆかしいローカルな音色を温存していたことも大きいだろう。

 最終楽章は後年の演奏になればなるほど、ホットに疾走しがちな傾向があると思うのだけれど、ここではテンポにせよ、リズムの切れにしたところでかなり節度を持った演奏だ。実をいうと、私はそこにある種の「古さ」や「枠」を感じないでもないのだが、これはこれでひとつの「時代の見識」だったのだろうと思う。ついでに書くと、デムスのピアノが実に瑞々しい気品がある。当時のことなど私は知るわけもないが、その頃、フリードリッヒ・グルダ、パウル・バドゥラ=スコダ、アルフレッド・ブレンデル、そしてワルター・クリーンらともに、当時の彼はの若手のホープだったはずで(確か「ウィーン三羽鳥」のひとりだったはず)、そうしたはつらつさも伝わってくるプレイである。

 ちなみに録音は1956年でモノラルだが、ステレオ録音もちらほら開始されている時期だけにモノラルとはいえ非常に聴きやすい音質となっている。ただ、これはアメリカのレーベル故というべきなのだろうが、やけにオンマイクで楽器に近接した録音のせいで、音圧や各楽器の質感のようなものは非常にクリア収録されているものの、やけに音像が大きく、残響やあまりに少ない、まるでライブをラインモニターで聴いているような音質は、若干の不自然さを感じなくもない(こういう録音はジャズだといいんだけどな)。という訳で、録音にはちと違和感があるものの、全体としてはほとんど違和感がなく、安らかに聴けるブラームスになっている。実はをいえば、この演奏、今の世の中にワルターのマーラーを聴くような、いささか古色蒼然としたものを感じないでもないのだけれど、ブラームスのような音楽だとそういうのはむしろプラスに作用したりするのだ。
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