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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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コリア,ビトウス,ヘインズ/トリオ・ミュージック -ミュージック・フロム・T.モンク-

2009年11月24日 22時57分53秒 | JAZZ-Fusion
 チック・コリア、ミロスラフ・ビトウス、ロイ・ヘインズのトリオが14年振りに再開してのアルバム「トリオ・ミュージック」のディスク2はセルニアス・モンク集である。モンクといえば、私のようなスタンダード・ナンバー好きには「ラウンド・ミッドナイト」として有名で、実際このアルバムにも同曲が収録されたりしているけれど、今一歩深度を深めたところで、ジャズ界のミューシャンズ・ミュージシャンというか、ジャズ界でもかなり特異な作曲家として、ジャズ・ミュージシャンの中でもリスペクトの対象になりやすいという存在でもある。私などモンクのユニークさというならある程度感知できるものの、その良さとなるとさっぱり実感できないというが正直なところなのだが(ちなみにデューク・エリントンにこれはもいえる)、それでも自宅にはモンク集といった企画のアルバムが少なからずあったりするから、やはりジャズ・ミュージシャンにとっては、一度は手がけてみたい素材なのだろうと思う。さっそく聴いてみよう。

 さて、本ディスクだが「リズム・ア・ニング」からスタートする。この曲はアコースティック・バンドの演奏で馴染み、遡ってこちらのヴァージョンを聴いたという感じだが、アレンジの大筋は同じだが、アコースティック・バンドでのきっちりかっちりとした演奏に比べると、ディスク1のインプロでトリオ自体が相当のいってしまっていたのか(笑)、かなりフリー....いやかっとんでいる演奏である。およそオリジナル曲を意識にしているコリアだけみたいなところがあり、ビトウスとヘインズはイケイケなノリで飛ばしまくっているという感じか。「ラウンド・ミッドナイト」「エロネル」は、前者は陰、後者は陽という色合いの違いはあるものの、アルバム中ではかなりオーソドックスなピアノ・トリオ演奏だ。「シンク・オブ・ワン」はアーシーなユーモラスさ滲ませた実にモンクらしいアクを感じさせる作品。多分、ジャズ・ミュージシャンこういうアクに、なにやら己のミュージシャン、インプロバイザーとして霊感を刺激されるのではないか?。3人の演奏も実に楽しそうだ。

 「リトル・ルーティ・トゥーティ」も実にモンクらしい、引きつったようなリフがポイントになっている。こういうリフというかモチーフをフックにして、実にスムースにチックのインプロに移行して、ビトウスのソロにバトンタッチするところでもこのリフをフックにしているあたりがおもしろい、ある意味フュージョン的な流れを感じさせる。ラストの「ハッケンサック」も同様だ(そういえばこれもアコースティック・バンドでやっていた)。「リフレクションズ」は、私の場合、ドナルド・フェイゲンのインスト作品で知ったのだけれど、あれはモンクの作品にひそむ都会的な哀感だとかヒューマンな感覚を実にモダンに表現した素晴らしい演奏で、個人的には大好きな演奏なのだけれど、このトリオによる詩的な演奏も負けず劣らず素晴らしい。割とフリージャズ的な奔放さが目立つこのアルバムでは、もっともスタティックな美しさを感じさせる演奏といってもよく、それが故にアルバム中でもひときわ光輝いているという感もある。
 
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コリア,ビトウス,ヘインズ/トリオ・ミュージック -トリオ・インプロヴィゼイションズ-

2009年11月24日 00時26分28秒 | JAZZ-Fusion
 チック・コリアが67年に出した「ナウ・ヒー・シングス」というアルバムは、発表当初からピアノ・トリオの名盤とされ、あれから40年を経た現在も既に「殿堂入りしたジャズ・アルバム」の一枚になっている。このアルバムは「ナウ・ヒー・シングス」のメンバー、つまりコリアにミロスラフ・ビトウスとロイ・ヘインズを加えたトリオが14年振りに会して作ったものだ。この再会劇は3人にとって、おそらくかなりの音楽的な手応えを感じたのだろう。本作はコンセプトがまるで違う2枚のディスクのセットであるし、これに続いてはライブ盤まで出しているのだから、レギュラー・トリオにこそならなかったものの、当時の3人がいかに「ノッていたか」分かろうものである。さて、今夜はまずこのアルバムから1枚目の方を聴いてみることしたい。

 本ディスクはひとくちにいえばインプロビゼーション集である。それもかなりフリーがかった自由なインプロがディスク全編に渡って演奏されているのだが、こういう演奏にありがちな独善性や垂れ流し状態をうまく回避しているのがいい。おそらく、オリジナル・テイクはそこそこの長さがあったとは思うのだが、このアルバムではそのエッセンスとでもいうべき部分のみを抽出して収録されているのだろう、どの曲も比較的短く切られているため-最長でも7分半程度-、フリー・ジャズの良質な音楽的瞬間のみを切り取って、あつめたような潔さがあるのである(まぁ、全編いいわけでもないけれど)。フリー・ジャズはもちろん優れたものも沢山あるけれど、単にミュージシャン・エゴを全開しているだけのものや、マスターベーションとしか思えないものが沢山あるのも事実だ。それは60年代後半から70年代にかけて大絶賛されたアメリカ、そしてヨーロッパで量産された「フリージャズの名盤」の大半が、現在では忘れ去られていることでも分かる(なにしろコルトレーンのフリーだって、今ではみんななかったことにしてるではないか-笑)。

 このディスクには、トリオによるインプロが5曲、ピアノとベースのインプロが2曲、そして限りなくフリーに近いコリアのオリジナルが1曲入っている。冒頭の「トリオ・インプロヴィゼイション1」はヘインズが刻む比較的オーソドックスな4ビートのリズムが主導しつつ、次第フリーがかっていく展開がスリリングだ。ビトウスは4ビートを敷衍したり、そこから遠く離れたりと変幻自在、コリアは天衣無縫にその上をかけめぐる。おそらく長大なインプロの真ん中あたりをカットしたのだろうが、このトリオのもっとも優れた部分が出た演奏といえる。「トリオ・インプロヴィゼイション2」はほぼ完全なフリーで、途中でコリアのピアノがやけにバルトークくさくなるのが笑える。「トリオ・インプロヴィゼイション4」はユニゾンで演奏される三連のモチーフを元に様々なヴェリエーションを展開、ここでもコリアはバルトーク風な演奏になる。2つの「デュエット・インプロヴィゼイション」はどちらも大筋で静的な演奏だが、ビトウスの自意識過剰でエキセントリックなアルコがあまりにでしゃばり過ぎで音楽的感興がそがれているところも散見する。

 「トリオ・インプロヴィゼイション4」はちょっと12音音楽を思わせる点描的なインプロ。こういうのは4分半くらいで切り上げる方が逆に緊張感が伝わる。「トリオ・インプロヴィゼイション5」は一番長い演奏で、ビトウスのアルコとコリアのピアノの特殊奏法もまじえたデュエットから、やがてヘインズが加わり、次第にテンションを上げていくが、爆発しそうでしないところが、ちともどかしい感じがしないでもない(笑)。「スリッパリー・ホエン・ウェット」はこれだけタイトルがついているが、冒頭のテーマこそコリアらしいものだが、それ以降はほぼ完全なフリー・インプロだろう。比較的リズムがはっきりしているため、全体の感触として「1」に近い。
 という訳で、こういう演奏を2時間も付き合いたいとは思わないが、このアルバムくらいの分量なら、私の場合、かろうじて実にいい感じできける。それが選択と編集の結果であるにしても、これは十分に良質なフリー・ジャズだろう。
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