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ハイドン交響曲第34番「聖堂」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年11月28日 11時44分03秒 | ハイドン
 34番は荘厳なアダージョから始まります。アレグロ本編への序奏ではなく、アダージョのみで6分半くらいやってますから「本気で緩徐楽章を頭に配置」しています。交響曲が緩徐楽章からスタートさせるのは、後年チャイコフスキーとかマーラーが芸術的な必然から、ルール違反であることを念頭に「掟破りな構成」として試みるみとにになる訳ですが、実はハイドンは5番、11番に続いて3度目のルール違反をしていたことになります。もっとも、彼の場合、チャイコとかマーラーのように最終楽章も緩徐楽章にして構成的整合性を整えるようなことはしていませんし、なにしろ交響曲という概念そのものがまだ曖昧だった時代ですから、セレナードとかディベルティメントあたりの緩やかな構成に近づいたということでしょう。また、ハイドンらしい茶目っ気というのもあるのかもしれなません。

 ともあれ、この第1楽章は実に堂々たる緩徐楽章になっています。単一楽章で独立曲としてもいいくらいです。軽薄な言葉でいうと、「キャラが立っている」感じがします。短調で宗教的な荘厳さを漂わせて進みますが、ここまで荘厳かつスケールが大きいと、ハイドンでも90番台以降、モーツァルト最終期あたりの交響曲の第1楽章についていた、希有壮大な序奏を予見している感じもしますね。続く第2楽章は霧が晴れたようなニ長調のアレグロですが、私が今聴いているフィッシャーは第1楽章とはほぼ間を空けずに続けて演奏していますから、まぁ、リスナー的にはまぁ長大な序奏のように聴こえないこともありません。重々しい先行楽章とはうって変わって、躍動的な弦の動きやスケール感など、非常に爽快な仕上がりではあるのですが、あまりに大きく存在感がある仕上がりになってしまった第1楽章とバランスをとれるには、この第2楽章、ややハイドンの手癖というか、職人芸でまとめただけみたいなところがあって、今一歩役不足というか、もうひとつ魅力的な「つかみ」が欲しかった感じがしなくもないです。

 第3楽章はメヌエットにしてはやけにきびきびと進み、いつもの鄙びたメヌエットに比べると、トリオを含めてリズムにせよ、ムードにしても鋭角的な感じがします。最終楽章はプレスト、アルペジオみたいな三連符が全編を覆いつくし、途中、ソロヴァイオリンなども入り、かなりとっちらかったせわしない印象があります。時間的に考えてもこの楽章は第三楽章とセットで第三部みたいな考えるとしっくりとくるかもしれません。ただ、まぁ、ハイドン自身はメヌエットと最終楽章をどうおさまりよく配置するか、実験中という感じで、どうも考えあぐねているようなところも散見しますけど....。
 ちなみにニックネームですが、これは第1楽章の厳かで重厚なムードから、ごく自然に「聖堂」としました。「寺院」でもよかったかもしれません。まぁ、こちらはまた使うこともあるでしょう。

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