(童話)万華響の日々

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三浦綾子作品1 「塩狩峠」 その印象

2011-06-12 22:08:08 | 読書三浦綾子作品

読書「塩狩峠」三浦綾子 新潮社 昭和43年9月25日発行
 
 鉄道職員で旭川六条教会員でもあった実在の長野政雄氏の殉職事件

の小説化ということである。

主人公の永野信夫は明治十年の生まれで、まだ江戸時代の武士生活の

風紀が色濃く残っていた時代であろう。父の家は元武家であったという。

だが信夫の両親は江戸時代には禁教であったキリスト教を信仰してい

た。幼なじみの友達を町人呼ばわりして、父に酷く叱責される。やがて、

父が急死したため、母や妹を養うために就職するが、親友であった吉川

が住む北海道へ彼の妹であるふじ子への恋情を抱きつつ移住し鉄道会

社へ転職する。

 やがて、職場上司の和倉に気に入られ、彼の娘との見合い結婚を薦め

られるが、それを断りひたすら肺病とカリエスを病むふじ子を慰問する。

 そんな折りにキリスト教に目ざめた信夫は不正事件起こした同僚の三

堀を更生させようと教化し努力をする。和倉は信夫の熱意に打たれ旭川

への転勤を条件として三堀の復職を認める。

 ふじ子との結納の日、信夫の乗った汽車は塩狩峠で暴走の危機に瀕

し、彼はどうしようもない人生の窮地へと引き込まれるのである。

 純粋にキリストへの信仰に生きようとした青年が、自身のいのちの犠牲

をもって列車の暴走をくい止めたという事件であった。小説では運命的に

結びつけられていた恋人との結婚も代償にされるが、死んでもなお生き

る真のいのちの存在が鮮やかに描かれる。

 更に、他人の厚意への率直な感謝の念を忘れ猜疑心と萎縮した歪ん

だ心で生きていた三堀、いわば神のみ前から失われていた人間が信夫

の犠牲的死を目の当たりにしてキリストへの信仰に導かれる。

 信夫が肌身離さず持っていた遺言書には、”苦楽生死、均しく感謝”とし

ためてあった。まさにこの世の自己中心的善悪の価値観とは異なる

生死すらもかに超越した境地に達したキリストへの篤い信仰心の存在

を証してせたのである。