UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

なぜヒトはデモなんかに来ないのかについての若干の研究

2015-12-26 01:15:40 | 日記

世の中、なにか政治的によからぬことがありますと、いっときはデモなどにたくさん人が集まったりいたしますが、やがて時を経るにたがい、先細になっていきます、それが世の常といえば常なのではありますが・・・

 GGIが知人たちとともに福島原発事故の二カ月後から始めて、ほぼ月一回のペースで行っているデモも御多聞にもれませぬ、ちかごろはさっぱり人が集まりませぬ、昨日、関電高浜の原発再稼動を認める裁判所の決定が下りましたが、それでも、もうGGIらのデモに急激に人が集まることはおそらくないでありませう・・・

 今日の写真は去る19日に行ったデモの様子を撮ったものです、関電湖国支店のビルの前を通り過ぎて解散地点の湖岸の公園に向かっているところです

 なぜいろいろあっても人は集まらないのであろうかと勉強家の某知人にたずねてみましたら、方丈記を読めばわかる、方丈記を題材にした堀田氏の名作「方丈記私記」を読めばよくわかるとのたまひました

 それではというわけでGGI、久方ぶりにマジメに読書することにいたしました。鴨長明さんあたりなら何か教えてくれるかもしれないと思いましてGGIは堀田善衛氏の作品「方丈記私記」をひもといてみました

 そうしましたら、たいへんためになると申しますか意味深いことが記されておりました、以下は「方丈記私記」(筑摩書房)からの丸写しであります

 ・・・それは鴨長明にも、また数々のすぐれた仏教者たちにも何等直接の責任はないことであるけれども、われわれのなかに、厳然として宿っているものである。

 そのものは、言葉を選んでこれを言うとして、いわば無常観の政治化(politisisation)とでも言うべきものであろう・・・・この無常観の政治化されたものは、とりわけて政治がもたらした禍殃に際して、支配者の側によっても、また禍殃をもたらされた人民の側としても、そのもって行きどころのない尻ぬぐいにまことにフルに活用されてきたものであった。

 たとえば、長明の言うように、禍殃に際して

「羽なければ、空をも飛ぶべからず、竜ならばや、雲にも乗らむ。」

「世に従えがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。」

 という、こういうことばを何度か念仏のようにとなえていると、いつか、な~るほど、そういうものか、というところから、そうでもあるであろう、その通りだ、というところまで運ばれて行ってしまい、身を起ててデモに行こう、あるいは戦わねばならぬという意思をそらしてしまう作用をもたらす。もとより、そんなことは無常観とは何の関係もない、長明とも関係はない。ただの俗であるにすぎぬという論があるにきまっている。当然である。私もそう言いたい。しかし、そういう反論も含めて、また俗化したものをも含めて、やはりわれわれの思想生活の根源に生きて横たわっているものを、ともにえぐり出してみる必要はあろう。

 政治は何かを利用しなければ、それ自体では立たぬものであろう。従って政治はあらゆるものを利用する。無常観などはその最有力な武器となりうるものである。・・・・

  なかなかの一文であり、GGIは感じいりました。やはり、たまにはマトモな本をマジメに読んでみるべきあろう、などと反省したしました。

  この堀田善衛氏の一文を読んでから、そのことは方丈記に書いてあるなどと教えてくれた知人に感謝の意を伝えました。

「納得したわけではないけれど、問題が極めて深刻であることはよく分かった。ところで君は来年一月はじめのデモには来てくれるやろうな?」

「う~ん、なにしろ長明さんも言うてはるように、古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らずやからなあ・・・」

「何をわけの分からんこと言うてるのや、はっきりしろ」

「この意味はまた教えてあげる・・・まあデモのことは前向きに・・・」

「ええかげんなこと言うな、コーヒーおごってやるから来い!」

「わかった、でもコンビニの百円コーヒーなんてケチなことするなよ」

グッドナイト・グッドラック!


明鏡止水なんて言ってもなあ・・・

2015-12-25 01:18:29 | 日記

今日の写真は「明鏡止水」を撮ったものです、どうかクリックしてご覧になり、明鏡止水の心境に浸ってくださいませ

 わが淡海が一番美しいのは春でも夏でも秋でもなく冬です、冬になりますとしばしば明鏡止水が出現するかれです

 ところでちょっぴりお勉強・・・

 「明鏡」とは何でありませうか、そんなことわざわざ勉強するほどのことではない、明鏡は明鏡じゃないか、鏡は明るいに決まったいるではないかなどと言ってごまかしてはいけませぬ、なぜばら暗視鏡というものもあるからです

「明鏡」とは、一点の曇りもなき鏡のことであります、いわばGGIの心の如きものであります

「止水」とは何でありませうか、そんなことわざわざ勉強するほどのことではない、止水は止水じゃないか、止まっている水のことに決まっているではないかなどと言ってごまかしてはいけませぬ

「止水」とは流れずに静止している澄んだ水面のことであります、まあ沈思黙考を得意とするGGIの内面のようなものであります

 「荘子」によりますと、「明鏡」は、甲徒嘉のことば「鑑明らかなれば則ち塵垢止まらず、止まれば則ち明らかならざるなり」に由来しているのだそうです。

同じく「荘子」によりますと、「止水」とは、孔子のことば「人は流水に鑑みること莫くして、止水に鑑みる。唯止まるもののみ能く衆衆の止まらんとするものを止む(人は流水を鏡として使うことはなく、静止した水を鏡とする。ただ不動の心を得た者のみ、心の安らぎを求める者に対して、それを与えることができる)」に由来しているのだそうです

「荘子」云々は、GGIはガクはありませぬので以下のサイトからの借用です

http://kotowaza-allguide.com/me/meikyoushisui.html

「明鏡止水」の英語はAs bright and clean as a stainless mirrorであるそうであります。英語のことなんかGGIはロクに知りませぬが、でも、これは違うよなあ、誤訳とはいいませぬが、これは勘違いだいよなあ、ぜんぜん分かってないようなあなどと思ってしまいます、

アホなGGIはステンレス製の鏡のようにキレイなんていわれてもちっとも魅力的じゃないよなあ、わが庵のキッチンにもステンレス製の鏡のようなものあるけれど、ちっともキレイじゃないよなあ、「君はステンレス製の鏡のように美しい」なんて言ったらどつかれてしまうよなあ、なとど思ってしまいます

こんなことを書きますと、GGIよ、おまえはキッチンの掃除をしないからそんなこと考えるんや、セッセと磨けばピカピカになって、明鏡止水の心境になるのやと叱られそうであります

でも結局は、GGIはホンマにあほなやなあ、英語力、まるでないなあなどと笑われてしまうのでありませう

 今日もまことにどうでもいい話になりまことに申し訳ありません、みなさまクリスマスイブだけではなくクリスマス当日もおたのしみくださいませ

 グッドナイト・グッドラック!


昨日は旗日だったぁ、忘れてたあ・・・でも、ちっとも目にしなかったなあ・・・

2015-12-24 00:59:24 | 日記

昨日、もう日暮れが近づいているのに夕刊が来ていませんでした、雨も降っているし新聞屋さんわが庵にくばるのを忘れたのかなあ・・・

わが庵の郵便受けは垣根にではなく勝手口の壁に取りつけてあります、ですから勝手口のドアを開けるだけで郵便物や新聞を手にすることができますのでGGIにとりましてはとても便利なのですが、郵便屋さんや新聞屋さんには不便であります、いちいちオートバイを降りて裏木戸をあけて勝手口までたどりつかなくてはならないからです

したがいまして(かどうかは不明ですが)、ほんのたまにではありますが、新聞屋さん、わが庵に配達するのを忘れることがあります

今日もひょっとしたら忘れたのかなあ、と思って電話で問い合わせようとして、そうだ今日は旗日なんだ、だから夕刊はないんだと気が付きました

でも、街ではわが日の丸なんかちっとも目にしませんでした、近頃、全国の公立小中高校などでは卒業式などには日の丸、いうこときかないで座ったままでいる先生はペケですよ、などという意味なき習慣が広がっているようでありますが、旗日に「日の丸」を軒先に掲揚する習慣、すっかりすたれてしまったように思われます。

今日の写真は近くの旧道に面している民家の壁に貼ってあったポスターを撮ったものです、よろしければクリックしてご覧くださいませ

右上には大きく「凛として」、左下には「未来へつなぐ日本」、そして右下には小さく「祝日には国旗を掲揚しましょう」と記されております

GGI、オツムはまあ人並み程度ではないかと思っておりますが、しばらくこのポスターを眺めていたものの、この三つのセリフの関係がわかりかねました・・・

「凛として」はおそらく、いま矢を放たんとしている女性の様子を指しているのでありませう、ということは理解できるのですが、さっぱり分からないのは「未来へつなぐ日本」です、「未来へつなぐ」は形容詞句なのでせうか?つまり「未来へつなぐところの日本」ということでせうか、そうであるとしますと「日本」は何かを未来へつなぐことになるですが、いったい何をつなぐのでありまうか・・・日本が全人類の、全人民の希望を未来つなぐのでしょうか?そんなたいそうなこと・・・それに、この未来云々というセリフと「祝日には国旗を掲揚しましょう」とはどういう関係なのでしょうか・・・・

実は、このポスターはいつもは歴史的長期独裁政権を誇るわが自民党のポスターが貼ってある場所に貼られていましたので、GGIは得意の邪推を試みてみました、その結果、このポスターは伝えたいことは以下のような事柄であろうという結論に達しました・・・

「ちかごろ軟弱になって国家のことなんか忘れて自己中心主義のぬるま湯につかっているわが民よ、日本人よ、この写真の女性を見習え、この女性のように凛として、人類を未来へ導く責務を負っていることを自覚しよう、その証拠として祝日には国旗を軒先に堂々と掲揚しよう(お断り:このポスターは自民党広報部様のご依頼により自民党御用達㈱電通がつくったものであり、©ありです。このためこのポスターの写真をコピーしたり写真に撮ることを禁じます)

グッドナイト・グッドラック!

 


八雲琴の音色にしばし若干清らかなる気持ちになったのだけれどの記・・・

2015-12-23 00:35:51 | 日記

一昨日の日記に、若干重要なるミッションで京都は亀岡にある大本(教)本部に赴いたと記しました

 大本教は神道系の宗教、正しくは「教」をつけずに、単に「大本」(おほもと)というそうでありますが、ここであるセレモニーがあったからです

 案内状によりますとセレモニーの名称は「死刑執行停止を求める諸宗教による祈りの集い2015 in 天恩郷大本本部」というものでありました、このセレモニーは毎年12月に京都市内で宗教関係者による主催で行われています

 その内容は「死刑を執行された人とその家族、被害者とその家族、執行を待つ死刑囚、冤罪と闘う死刑囚、執行にあたる刑務官など、死刑に関わるすべての人に想いをはせ、祈りをささげる」というものです

 信仰のある人もない人もいらっしゃいということでありますので、信仰無きGGIも参加したしだいです、参加者は主に宗教関係者(大本、天台宗、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、浄土宗、真宗大谷派(東本願寺)、日本基督教団など)、それに市民団体の人たちなど、およそ三十数人、

 セレモニーは「万祥殿」という立派な建物の大広間で行われました。大広間の大奥には神々しき神棚、まず大本の神官と思われる白装束の人物が、「死刑廃止云々」という文言が入った祝詞を奉納、次いで大谷派の僧侶が神殿に向かって何やらお経、ついで各宗教団体の方や市民団体の人による祈りやメッセージ・・・

 そのあと、音楽の奉納が行われました、この大広間の片隅にしつらえられた能の舞台、そこで白装束の三人の女性による「八雲箏」(やぐもごと)の演奏が行われました。

 今日の写真は、この八雲箏の演奏の様子を撮ったものです、よろしければクリックしてご覧ください。

 「八雲箏」というのは古くから伝わる弦が二本しかないお琴のことだそうです、

でも三人による演奏でしたので、とても弦が二本しかないとは思えない豊かな、透明感に満ちた音色であり、GGIはしばし若干心が清らかになるような思いをいたしました

 そのあと、同じく音楽の奉納、今度はニューヨークはハーレムでの演奏経験もあると言う日本人のジャズ・ミュージシャンによるテナーサックスの演奏、ほとんど即興での三十分ばかり息つく間もない熱演、大広間にテナーサックスの音色が浪々を響き渡りました

 最後にこのミュージシャンによる静かな曲の演奏が流れる中でしずしずと献灯が行われました、ひとりひとり、小さな火が灯されたキャンドルを神棚の前に捧げます

 なかなか心のこもったセレモニーでありました

 このセレモニーの二日前、二人の死刑囚に対して刑が執行されていました。このうちの一人は裁判員裁判で判決を受けた死刑囚でした。裁判員裁判の制度が始まって以来、初めて市民が判断した死刑囚に刑が執行されましたので、当然ながら裁判員裁判について話題が集中しました・・・・

 朝日新聞も、刑が執行された18日の夕刊と翌日の朝刊で裁判員制度による死刑判決に紙面を割いていました、それによりますと、裁判員裁判で死刑判決にかかわったことのある人たちの想いは様々です

「判決は遺族感情や被告の生い立ちを十分に考慮した結果だ…人の命を決めるのは一般市民には重い決断。死刑が求刑されるような事件には、裁判員裁判は適用しないで頂ければ」(18日に執行された人物の裁判にかかわった当時大学4年生であった人物)

「僕らで人を殺したと考えられるので、精神的につらいものがありました」(同じく18日に執行された人物の裁判に関わった20代の会社員)

「自分の出した結論で一人の命を絶つわけだから気が思い。このつらさは裁判員しか分からない」(18日に執行された人物に裁判にかかわった、判決から二年後の取材で、死刑執行のニュースのたび誰が執行されたのか気が気でない日々を送っていたと語っていた20代の男性)

「重い事柄なので弁護団と話しあわないとコメントできない」(18日に処刑された人物の弁護人の一人)

「いつかこうした日が来るとは思っていた。国民の判断によって一人の命がなくなったわけで、あらためて責任は重大だと思う・・・私は一生背負っていく覚悟でいる(死刑判決が下された裁判で裁判員裁判の経験がある50代の女性)

「裁判官が判決を告げるときには体と手がふるえた・・・死刑が執行されれば、裁判員の自分たちが殺したようなもの。その苦しみは一緒消えない。二度と裁判員はやりたくない」(ある裁判員裁判に関わった40代の男性会社員)

「他の裁判員の判断。話すことはない・・・人ひとりの命を扱う重大事。どこまでも考え抜いて意見を述べたが、これでいいのかという迷いは常にあった。有罪か無罪かの判断だけではなく、量刑判断まで委ねられたのが重かった。いつまでも思いが残っている」(鳥取連続不審死事件の裁判で裁判員を務めた50代の男性会社員)

「罪と向き合い、一生背負い、苦しみながらでも、生きた方がいいと思うことがある」(裁判員になるまでは、死刑はあってもいいと思っていた20代の男性)

みなさんのお考えはいかがでありませうか?

グッドナイト・グッドラック


無念・・・福島原発事故の記憶が風化していく・・・

2015-12-22 02:07:43 | 日記

昨日の朝日新聞、夕刊の一面に「福島・双葉 あの看板撤去」と題して写真入りの記事が掲載されていました

 この記事は目にして、GGI、「ああ無念」と若干絶句いたしました

 福島原発事故で全町避難がいまでも続いている福島県双葉町、21日の朝、町内に設置されていた「原子力 明るい未来のエネルギー」と記されていた原発推進の二枚の大きな看板、その撤去作業が始まったというニュースです

 今日の写真はこの記事に付されていた写真を撮ったものです、どうかクリックしてトクとご覧くださいませ

 この看板、今年3月はじめ、双葉町が老朽化していて危険だということを理由に撤去することに決めたことが報じられました

 このニュースを知ってGGIは、なんということをするんだ、カンバンをなくせば済むという話題ではなかろうとまずはじめに思ったのであります、そして次にGGI、とっさに、撤去して捨ててしまうぐらいなら、ひとつオレがもらい受けて、大通りに面しているわがガーデンに安置してやろうと我ながらまことに殊勝なことを思いついたのでありました、そのことを遊びにきていた某知人に話しましたら、「GGIのおっさんよ、あんたにしては珍しくグッドアイディア、さっそく双葉町の役場に電話するべきし、役場は臨時にどっかに移転してるはず、いまスマホで探してやるから電話しろ」とのたまいました

 電話しましたら女性の職員がでました

「もしもし、双葉町の役場ですか、わたくし湖国から電話してるのですが」

「はい、双葉町役場です、どのような御用件ですか」

「あの~今朝の新聞で見たのですが、あの~原子力云々ん看板の件なのですが・・・あの~カクカクがシカジカなので、撤去して処分されるようでしたら、私がもらい受けたいと思うのですが・・・いかがでしょうか・・・」

「ああ、あの看板のことですか・・・実はまだ正式に決まってという訳ではないのでず、町内には撤去すべきでないという方もおられたりしますので・・」

「そうですか・・・何とかお願いしたいのですが」

「あの申し訳ありませんが、今日は土曜日で、担当の者が出勤しておりません、月曜日朝いちばんに電話させますが・・・」

ほんとうに月曜朝いちばんに電話がありましたが、内容は女性職員の方が言っていたのと同じでありましたので、撤去して廃棄することが決まったら知らせてくれるのようお願いして電話を切りました

 この看板の一件に関しましては以前に何回かこの日記に書いておりますので、関心のある方はよろしければ以下のサイトをご覧くださいませ

http://blog.goo.ne.jp/ugugggi/s/%C1%D0%CD%D5%C4%AE

この問題、小学生のときにこの「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語を考えて採用された大沼勇治さん(39歳)という方が「原発事故の悲惨さを後世に伝えるべきだ」と、撤去する方針が発表されたときに反対していました、このたびもこの人物、現場近くで「撤去が復興?」と書いたパネルを掲げてがんばっているそうであります。

GGIはこの人物にとても感心していました、自分のやったことに責任を持つというのはこのようなことを言うのだなあと感じ入ったのです

撤去しても、将来建設が見込まれている町関連の復興施設での展示を視野に入れて「復元可能な状態で倉庫に保管する」などと町長さんは言っているそうですが、あまりこれはあてにならないでありませう

 「老朽化しているので修理に費用を要するので撤去することにした」と町の関係者は言っているそうなのでありますが、修理費用ぐらい東京電力に負担させればいいのです、東電さんもイヤとは言えないはずですから・・・

 昨日も今日もカンバン話になってしましました、みなさんも気軽にヘンなカンバンを立てたりしないようにしませうね!

グッドナイト・グッドラック!