UGUG・GGIのかしこばか日記 

びわ湖畔を彷徨する独居性誇大妄想性イチャモン性前期高齢者の独白

日本の裁判における若干好ましい変化か?(その1)・・・

2015-12-02 01:57:35 | 日記

日本の裁判では、相手が県や市といった行政機関である場合はやっかいであります。市民が勝てる可能性が極めて小さいからです。それ以上にやっかい極まるのは、とりわけ相手が国の治安に関係した機関、すなわち検察・公安調査庁・入国管理局などの違法性を問う裁判の場合です。市民が勝つことは至難中の至難と言ってもよいでありませう。勝てる見込みはほとんどないからです。

 GGIも知人たちといっしょに行政(県や市)を相手に公金のムダづかいなどに関して裁判を行ったことがあるのですが、一審で全面勝訴、二審で逆転敗訴という真に苦々しい経験が二度ほどあります

 ところが最近、たてつづけに、おやっ、これは珍しくまともな判決だなあと思われる裁判が三つありました。今日はその一つ目の例を以下に紹介いたします

(その1)

11月28日付けの朝日新聞に以下のようなニュースが報じられていました。今日の写真はその記事を撮ったものです。お手数ですがクリックしてご覧ください

見出しは《殺人元受刑者イラン送還「ダメ」、母国で死刑の可能性 / 大阪高裁、強制退去処分取り消し》

日本に不法滞在中に殺人事件を起こして服役を終えたイラン人男性が入国管理局から母国イランへの強制退去処分を受けたことを不服として起こしていた裁判で、大阪高裁が、イランには死刑制度が存在しているため、イランに送還すれば「生命にさしせまった危険の発生が予想される」として、強制退去処分を取り消したというニュースです(イスラム教徒を殺害した場合は加害者は被害者の相続人の同意があれば死刑になるとされており、このイラン人男性の場合、遺族は許す意思を示していないとのことです)。

これまでであれば、日本にも死刑制度が存在していますから、強制送還されて死刑になるかどうかは相手国の法制度の問題であり日本が関知する問題にあらずということで、この処分は正当であるとされてしまうところです。でも、この大阪坂高裁の裁判官、そのような判断を下しませんでした。GGIが考えますところ、裁判官はおそらく国際的な人権に関する規範のことを念頭においたのではないかと思います。

国際的な人権規範のなかに「ノン・ルフールマン原則」(non-refoulement)というものが存在しています。俗に、強制送還禁止の原則とも言われるものです。これは難民や不法滞在者などの外国人を、生命や自由が脅かされ重大な人権侵害を起きかねない国(母国など)へ強制送還してはならないとする国際法上の原則です。《ノン・ルフールマン原則は個人が再び迫害を受けかねない地域への難民の排除を禁ずる国際法の強行規範であり1951年ジュネーブ協定と1967年の議定書で成文化されています》(ウィキペディアより引用)。ただこの原則が国際社会において必ずしも十分には遵守されているとは言い難いのが現実です。

日本の場合、このような原則が存在はしているものの、日本という国家は死刑を重大な人権侵害であるとは考えておらず、そのため死刑制度が存在していますので、この原則は無視されかねません。ところが大阪高裁の裁判官、この原則と同じ理由で強制送還の処分を取り消したのではないかと考えらえます。

一般に日本の裁判官は国際的な人権条約や人権規範への認識が非常に浅いとされており、このため数年前、国連の人権機関が日本の人権状況全般に関して勧告を行って際に、その報告書の冒頭に、上級から下級の裁判官にいたるまで、すべての裁判官に対して国際的な人権規範に関して徹底した研修を施すべきであると記されていました。でも日本政府はまったく無視しております。それどころか、安倍内閣になってから、「国連の諸機関からの様々な勧告に従う義務はない」とする閣議決定を行っているのです!集団的自衛権は存在しているとしたまことにムチャクチャな閣議決定も驚きですが、国際社会を堂々を無視しようというこの閣議決定も驚きの極致であります 

このような状況のなかでの大阪高裁の判決、これまでならなかなか考え難い判決であり、国際的な人権規範を意識したものであると思われ、見識のある判決であるとGGIは思っております。このような国際的な人権規範を意識した裁判がもっと行われるようになれば、日本の裁判も良い方向に変わっていくのではないかとGGIは期待するしだいです。

余談でありますが、日本に死刑制度が存在しているため、政府が海外にいた日本人を救うことができなかった、あるいは救おうとしても有効な手段がなかったという例が存在しています。それは麻薬所持・密売などの理由により中国で処刑されてしまった何人かの日本人です。日本ではもちろん麻薬所持などは死刑の対象ではありません。ですから、日本に死刑制度がなければ、死刑は最も残虐な刑罰であり人権侵害であるからという理由で、強行に中国政府に対して処刑しないよう求めることができたはずですが、日本に死刑制度があるために、日本の政府にはほとんどなす術はなく、これらの日本人は死刑を執行されてしまいました。

また逆の例もあります。海外にいたために死刑にされずにすんだ日本人もいます。ずいぶん以前のことですが、日本人の青年が国内で殺人を犯して北欧のある国へ逃亡したことがありました。そのとき日本の警察はこの青年の引き渡しをこの青年を逮捕したその国に当局に求めたのですが、死刑制度をすでに廃止していたその北欧の国は、日本に送還されたら青年は死刑に処せられる危険があるからという理由で、ノン・ルフールマンの原則にしたがい、日本の警察への引き渡しを拒否したのです

 (この日記、続くかもしれません・・・)

グッドナイト・グッドラック!