4修学旅行では外せない清水寺。
本堂屋根の瓦
繰り返しの美学な本堂舞台の構造。貫上部の雨除け板がリズミカルで美しい。
5近江八幡の街並み
板張りの外壁、その繰り返しが街並みにゆるやかな秩序をつくっている。
白雲館(確か登録有形文化財)
館内のステンドグラス(横フレを縦に載せる)
4修学旅行では外せない清水寺。
本堂屋根の瓦
繰り返しの美学な本堂舞台の構造。貫上部の雨除け板がリズミカルで美しい。
5近江八幡の街並み
板張りの外壁、その繰り返しが街並みにゆるやかな秩序をつくっている。
白雲館(確か登録有形文化財)
館内のステンドグラス(横フレを縦に載せる)
■ この週末、幼なじみ10人で京都へ。
絵はがきのような写真ばかりではつまらないので、例によって繰り返しの美学なシーンに注目。以下見学コース順に掲載。
1金閣寺
野だて傘の下で抹茶をいただく。
2菅原道真を祀る北野天満宮
拝殿、ここでも繰り返しの美学なシーンに注目。
北野天満宮といえばやはり梅。
3青蓮院 小堀遠州の作と伝えられている庭
繰り返しの美学なシーンを探すと・・・。
4夜
酔っても繰り返しの美学な帯に注目 京料理 花楽にて
■ 愛媛県の西南端、豊後水道に突き出た半島に位置する外泊。石積みの集落については既に書きました。台風から住居を守るために築いた石積みに、地元の人びとのこの地に暮らすという強い意思を感じます。
軒先にまで達する石積み
民家 昔の記録 198003
瓦葺き屋根の棟は強風の被害を受けやすい部位。魚網をかけて細いワイヤで固定しています。傾斜地の集落ですから、こんなアングルの写真が撮れました。自然条件の厳しい地域の民家に見られる様々な工夫です。
■ 前稿に書いた『利休にたずねよ』。利休の美を追求する情熱は一体何によるものだったのか・・・。それを求めて切腹の日の朝から50年も前の出来事にまで何篇もの短篇を連ねて遡っていくというミステリアスな構成でした。
同じ作家の『火天の城』文春文庫を買い求めました。ユニークなデザインの安土城建設というビッグプロジェクトに挑んだ棟梁親子。
これは面白そう。
「U1さん、ブログに載せる会話ってフィクションだっていつか断っていましたけれど、私との会話ってほとんどそのままでしたね」
「そうだっけ」
「別にかまいませんけど・・・。よく覚えているな、って感心してました。別にメモしているわけでもないのに・・・」
「まあ、会話の流れを覚えていれば、再現できるんじゃないかな」
「そうですか・・・。もしかして、プロ騎士が対局を最初から再現できるのと同じなんでしょうか」
「う~ん、あんな能力はないけれど・・・」
「あの、これ」
「何? もしかしてチョコ?」
「少し早いんですけど」
「義理堅いね、今はもう義理切り、だよ」
「でも、本命って今いませんから・・・」
「そう? ま、義理が廃れりゃ この世は闇、だからね」
「え?なんだか演歌みたいですね」
「そう。でもKちゃん若いのに知ってるの」
「ええ、父が歌ってましたから。あの、この本って、この間の直木賞受賞作ですね」
「そう」
「利休ですか・・・。あの侘び茶の」
「そう。Kちゃん、さすがだね。侘び茶ってよく知ってるね」
「ええ。私、高校で茶道部でしたから」
「そう? そういえば和服が似合うかも」
「あ、いえ、成人式の時しか和服は着たことないです」
「そうなんだ。すごく和服が似合いそう」
「そうですか、しとやかに見えます? で、どんな小説なんですか、これ」
「利休って19歳の時、高麗出身の超美人と駆け落ち同然のことをしようとしたんだね。未遂に終るんだけど」
「そうなんですか・・・」
「ン、史実なのかどうかしらないけれど。この小説ではね。で、え~と、どこだっけな。あ、ここ。**あの女(ひと)に茶を飲ませたい―。それだけを考えて、茶の湯に精進してきました。**ってあるでしょ。利休の台詞。どうも、その高麗の女性のため精進したってことらしいよ」
「初恋かどうかわかりませんけど、その女性のために茶道を極めたってことなんですか」
「そう。案外男なんてそんなかもね。で、ここ。**あなた様には、ずっと想い女(ひと)がございましたね**ってあるでしょ。利休は奥さんにこう訊かれるわけ。小説の冒頭でね」
「ふ~ん。利休はその女性のために一生、最後は切腹したんですよね。それまでその女性のために茶道を極めたんだ。奥さん気の毒・・・」
「そう、そういう小説。小説は利休切腹の朝から遡っていくんだけどね。で、高麗の娘と知り合う経緯を書いて、最後にまた元に戻って、利休が切腹して・・・」
「へ~」
「で、その高麗の女性は不幸な死を遂げるんだけど。その形見を利休はずっと大切にしていて・・・。その形見の交合を奥さんが石灯籠に投げつけるところで小説は終っている。嫉妬だよね」
「そうですか。読んでみたいな」
「じゃ、貸してあげる」
■ 昨晩、「手塚治虫・現代への問いかけ」というテレビ番組に安藤忠雄さんが出演しました。
安藤さんには手塚さんが描いた都市について、さらに自身の都市論を熱く語って欲しかったのですが、手塚漫画の魅力をさらっと語るにとどまったのは少し残念でした。
以前、手塚治虫さんについて書きました。同じ内容を繰り返しますが、「鉄腕アトム」はロボットの究極的な姿ですね。今から50年も前にロボット開発の到達点がビジュアルに示されたことは驚きです。
手塚さんはアトムの活躍する舞台として未来都市の姿も提示しました。その姿に今の東京がよく似ている、という事実。手塚さんの予見力には驚きます。都市もロボット同様手塚さんのイメージを追いかけてきたのかもしれません。
番組で安藤さんは、今の建築家は都市のありようを提示できない。みんなどうすればよいのかわからず右往左往している、と指摘していました。
今の建築家は自己完結的な建築にとどまって、構想が都市にまで広がっていかないんですね。伊東さんや隈さん、妹島さんの示した都市構想ってみたことがないです。
丹下さんや菊竹さん、黒川さん、1960年代には建築家は都市の構想をビジュアルに提示していました。
この本には東京湾上の都市の構想(東京計画―1960)が載っています。
今、エコな都市のありようを提示する必要がありそうです。手塚さんなら今から50年、100年先の都市をどのような姿として示したでしょうね。
私は超高層ビルが林立する都市ではないだろう、と思いますが。そう、そろそろ「脱超高層ビル宣言」しないとまずいんじゃないかと・・・。
■ 2月9日。今日は漫画家 手塚治虫の命日。漫画を読まないので書棚に漫画は無い。例外的に並んでいるのがこれ、『火の鳥』。
明日の夜9時からの手塚治虫の特集番組(NHK衛星第2)で建築家 安藤忠雄が手塚治虫の描いた未来都市について語るという。
今の新宿副都心の超高層ビル群とその間を縫う空中道路の景観は手塚が描いた未来都市によく似ている。コクーンタワーが出現してますますそう思える。
安藤が未来都市のありようについて何を語るのか・・・。
■ 酔族会の2次会でY君に島崎藤村の『夜明け前』をすすめた際、この長編小説を加賀乙彦は日本の近代小説の白眉だと、ベタぼめしていると言ったと思う。
その出典がこれ。NHK人間大学「長編小説の楽しみ」という講座(1994年)で加賀さんは12回に渡って長編小説の魅力を語った。
**『夜明け前』は藤村の書いた多くの長編小説のなかで傑出した出来ばえであるとともに、日本の近代小説の白眉だと私は思う。木曽の馬籠を中心にして維新前夜の日本を活写しているとともに、主人公の青山半蔵を始め登場人物が鮮やかに描かれ、また木曽の自然の四季が美しい彩りを与えている。**と加賀さんはこの小説を紹介している。
ところが、この小説を高島俊男さんは『お言葉ですが・・・』文藝春秋のなかで次のように手厳しく評価している。
**島崎藤村に『夜明け前』という、幕末の木曾を舞台にした小説がある。へたくそな小説で、あんなものを名作と言う人の気が知れないが(後略)**
*****
Y君、小説の評価は人によって様々。この小説を読むか読まないか、自分で決めて下さい。私は加賀さん同様、名作だと思います。いつか再読したいと思っています。
梅の花が咲く頃ここに出かけましょう。「ここ、どこっすか?」などと言わないようにね。
■ 言葉、というか表現について。
「後期高齢者医療制度」。後期高齢者などというストレートな表現、評判が良くなかったですね。今は「長寿医療制度」、というんだそうですが。
『メス化する自然 環境ホルモン汚染の恐怖』集英社 という本が10年ほど前に出版されました。帯には評論家 立花隆さんの**本書を読めば、この問題がいまや環境問題最大の問題となっており、すでに各国で次々と対策が講じられはじめているということがわかり、日本はいったいどうなっているのだと叫びたくなるだろう。**という書評からの引用文が載っています。
「環境ホルモン」汚染と聞いても深刻な事態だとは認識できません。「内分泌攪乱化学物質」というのが正式な名称だそうですが、これに汚染されていると知ると心配だな~、という気持ちになります。
「地球温暖化」も同様で、地球環境が今や深刻な事態だということが伝わりにくいように思います。もっとも、これに替わる表現も直ちには浮かびませんが。
先の大戦で日本は負けたのに「敗戦記念日」としないで「終戦記念日」としたのは、厳しい現実をまともに受け止めたくない、という国民の意識の表れだったのかもしれません。
「寝たきり老人」の介護などという表現で、老人介護の現実を突きつけられるのもつらいです。福祉先進国で知られる北欧の国、スウェーデンではどうやらこの「寝たきり」を「水平」と表現するらしいです。そう、「寝たきりの人」ではなくて「水平の人」(随分前の記憶ですから定かではないです、と断っておきます)。
実はこの2日間、わたしはぎっくり腰で「水平の人」をしていました。検索して知りましたが、ヨーロッパではこの「ぎっくり腰」を「魔女の一撃」って言うんですね。
ものは言いよう、表現によって印象が随分かわりますね。
この2日間、わたしは魔女の一撃で水平の人をしていました。直立歩行まであと1日、かな・・・。
「地球環境保護のため、割り箸の削減に取り組んでいます。割り箸が不要のお客様は、お申し付けください。」
夜遅くまで残業するために時々買い求める弁当にこんな表示付きの箸袋がついてきます。
これで割り箸の経費を削減できたり、地球環境の保全に取り組んでいることをお客さんにアピールできれば企業イメージの向上にも繋がる・・・。これも確かにひとつの見識だと思います。
***
木材が他の資源と決定的に違うのは、木が本来の意味での再生可能な資源で、総量が決まっていないということでしょう。いくらでも再生できる唯一の資源、それが木ですよね。
木を育て、木を使うという50年以上の長い循環(サイクル)が健全に維持できていないという現状に問題があることは明らかでしょう。
木の需要がないから木を切り出さない、切り出してもペイしない。切り出さないから山が保全されず荒廃していく・・・。
この悪循環を断ち切って前述した健全な循環にするために、まず木の需要を増やす努力をするということを考えてもいいのではないか、と思います。
今朝の新聞に、落ち込む製材出荷量を回復するために奮闘している木曽の製材会社の社長が紹介されていました。建材以外でも、かまぼこの板、皿、スノーボードなどの新製品を手掛けているそうです。
これらの需要がどの位あるのか分かりませんが、割り箸の需要が増えれば、どうでしょう。木の健全な循環に多少なりとも寄与できるのではないか、と思うのですが。
「地球環境保護のため、国産の割り箸の需要を増やす取り組みをしています。」こんな表示付きの国産割り箸があってもいいと思うのです。
でも割り箸ではこの問題の本質的な解決にはならない、と思います。やはり土木や建築資材としての需要をもっともっと増やすことを考えないと・・・。
建築で造作材として国産材を使うとしたら・・・米松、米栂などに替わる適当な国産材が思い浮かびません。杉、桧、松?
建築設計者はもっと木のこと、木構造のことを勉強しなければいけない、積極的に木を使うことを考えないといけない、そう思います。
まとまりませんが、とりあえずアップしておきます。
①
②
③
④
民家 昔の記録
①宮城県女川町の民家 天然スレート(玄昌石)うろこ張りの外壁 1979年3月
②茅野市の鉄平石葺きの民家 1979年5月
③新島の民家 抗火石葺きの屋根 1980年7月
④対馬厳原町の石葺きの倉 1981年9月
■ はやいものでもう2月。今年初めてのブックレビュー、先月読んだ本のアップ。
『NHK夢の美術館 世界の名建築100選』 本の帯に**あの番組が待望の書籍化!**とある。昨年かな、NHKで放送された「夢の美術館 世界の名建築100選」という長時間(8時間)番組をコンパクトにまとめた本。建築の魅力を的確に捉えた写真を見るだけで楽しくなる。おすすめの1冊。
フランスのモン・サン・ミシェル、二重の円柱を少しずらして配置している繰り返しの美学な回廊。左右対称の白い霊廟、インドのタージ・マハル。カッパドキアの地下都市などなど。訪ねてみたい建築が多数収録されている。
日本国内の建築から29選。長野県からは松本城。白漆喰と黒漆のコントラスト。月見櫓の赤い手摺がアクセントの美しい城。いつかじっくり観察しなくては。
今年は日本の伝統美に注目、ということで『雪月花の心』祥伝社新書、『日本の庭園 造景の技とこころ』中公新書を読んだ。今月も関連本が見つかれば読んでみたい。
■ 民家 昔の記録。今回は茨城県常陸幸田(当時)の民家。
切妻屋根の破風板。
破風板は母屋や棟木、桁の小口を塞ぎ、腐朽を防ぐという役目を負う。棟木を塞ぐ目板が懸魚(←過去ログ)に、軒桁を塞ぐ目板が下り懸魚に、それぞれ意匠的な要素が加わってなっていった。
母屋などの小口を塞ぐだけなら、「通し」でつける必要もないだろうが、こんな破風を見かけた。小さな破風板の連続。1979年10月撮影。