透明タペストリー

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竪穴住居はかやぶきではなかった

2020-01-02 | A あれこれ



 竪穴住居の復元 増える「土ぶき」 昨年末(12月31日)の信濃毎日新聞にこの記事が載っていた。

**縄文時代の竪穴住居の屋根は、乾燥させたイネ科植物を使った「かやぶき」のイメージが強いが、樹皮を土で覆った「土ぶき(土屋根)」だった可能性があることが分かってきた。**と記事のリード文にある。上の写真を見ると、かやぶきの屋根とは印象が全く違う。土の上に植物を生やし、土の流失を防いでいたようだ。この土ぶきの名残が芝棟だとの見解もある。


芝棟の民家 屋根の棟に草を生やしている。

縄文時代の住居の屋根がかやぶきではなく、土ぶきだったということは以前既に書いた(過去ログ)。昨年12月のココブラ信州の火の見櫓の講座で、このことに触れて、資料も配布した(過去ログ)。

上掲の新聞記事には縄文文化全般が専門の大学教授・水ノ江和同さんの**かやぶきを主張する研究者は知る限りもはやいない**というコメントが載っている。

全国各地にある竪穴住居は土ぶきにするべきだと思うが、**かやぶきとの見方が主流だったことを「史実」として伝えるため、土ぶきの導入を見送ったという**長野県内のある教育委員会の見解が記事の最後に載っている。この様な言い訳を口実に正しく改めようとしない姿勢では困る。


以下過去ログ再掲

**「カヤ葺きの家」も、問題をはらんでいた。文化人類学者が北方民族の例を引いて、〝縄文時代の住居は土葺き〟であったと示唆したにもかかわらず、登呂遺跡(静岡県の弥生時代集落跡)の竪穴住居の復元以来、カヤ葺きの家が一般的な集落景観として固定していったようだ。焼失した竪穴住居が全国で多く発掘され、焼け落ちた柱材の上に焼けた土が載っているのを見ても、なかなか偏見は変わらなかった。カヤ葺きだけでなく、土葺き屋根も相当普及していたのである**230、231頁(『日本の歴史01 縄文の生活史』岡村道雄(講談社2000)  

茅葺きの存在も認める記述だが、これは定説に対する配慮というか遠慮かもしれない。縄文時代の住居は樹皮・草木で葺いた屋根の上に土を被せた土葺き屋根だったと理解していた方がよさそうだ。


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