透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

雨の休日、午後読んだのは長いタイトルのこの本

2007-10-08 | A 読書日記

  

 『マンボウ雑学記』  この新書を手にしたときは岩波新書も変ったものだ、と思った。1981年、26年前のことだ(この年に読んだ本が時々出てくるが偶然)。

「はしがき」に著者の北杜夫が書いている。**これは伝統ある「岩波新書」にはふさわしくない本である。むしろ、中学生や高校生むきのエッセイといってよい。** 

著者の謙遜もあるだろう、内容は総じて難しくて対象が中高生かどうか。 だが確かにこれはエッセイ、だから読了後に先のような感想を持ったのだった。

今は新書ブーム。新書の創刊が続いた。そして新書のイメージも変わった。エッセイが新書に収録されることも別にめずらしいことではなくなった。

今日『池辺の棲家』を読み終えた後、この長いタイトルの本を手にした。新書だがこれもエッセイ。著者は映画の字幕翻訳者の太田直子さん。海外の映画作品翻訳の舞台裏、それに気になる日本語について綴っている。

男「どうしたんだ」
女「あなたが私を落ち込ませているのよ」
男「僕がなにかしたか」 

吹き替えならこれで問題はないが、字幕は一秒四文字が原則だそうで、

男「不機嫌だな」
女「おかげでね」
男「僕のせい?」

と、こんな字幕ができあがるのだそうだ。流石、という他ない。でも著者はこれを苦肉の策だと書いている。女の台詞で皮肉がすんなり伝わるかどうか気になるとのこと。きちんと伝わると僕は思うけれど。

長いタイトルは日頃のうっぷん(?)晴らしか?

日本語の誤用などについての厳しい指摘はきちんとした文章を書こうと思っているブロガー必読かも知れない。

著者はこんな指摘もしている。**時間とカネの節約。このふたつを最優先にする効率主義がちまたにあふれている。質を保つために必要な時間(労力)とカネを惜しめば、世界は低劣で薄っぺらなものになってゆくだろう。けれどもヒトは順応性が高いので、いつの間にかそれに慣れてしまう。怖いのはそこだ。**

どこかの業界にも当て嵌まるこの鋭い指摘、「正鵠を得ている」って言うんだっけ。

『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』太田直子/光文社新書


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