透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

つながるということ

2024-04-29 | A あれこれ






 私は鄙里の戸数が70戸に満たない小さな集落で暮らしています。集落の過半を縁取る里山の一部が公園、といっても街中にある遊具が設置されているような公園とは違い、東屋があるだけの・・・、そう、自然公園とでも言えばいいのか、そんな公園として整備されています。公園という呼称が相応しいのかどうか、分かりませんが・・・。東屋まで登る歩道、いや山道の脇に蠶玉様などが祀られています。昔、長野県は養蚕が盛んで、この辺りでも行われていましたから(*1)。

今日、4月29日は地元住民が「公園のお祭り」と呼ぶ祭りの日。産土神様を祀る神社のお祭りは5月の連休中に行われますが、それとは違うこの集落独自のお祭りなんです。この僻村には30近くの集落がありますが、このようなお祭りをやっている集落は他にはありません。

2020年から昨年まではコロナで行われておらず、2024年の今年、5年ぶりに開催されました。朝7時半から住民総出(ちょっと大げさ)で公園一体の草刈りや雑木の枝払い、公園周辺の水路の泥上げなど、例年通りの作業。のぼり旗も立てました。やはり、のぼり旗ってお祭りのシンボルですね。右側の旗には蠶玉到福之神  大正十五年一月と書かれています。100年近く前の旗です。左側の旗には読めない漢字があり、かつ、竿に巻き付いていて読み取ることができません。

9時半から簡単な神事を執り行って、奉献酒をいただき、一旦解散。午後2時から集落内の集会所で直会、懇親会です。 同じ集落に暮らしていても普段はあまり顔を合わせることがない人もいて、近況を知る機会になりました。懇親会は3時半に予定通りお開きに。

住民どうしが適度な距離を保ってつながっているって(*2)、大事。災害のたびにこのことが指摘されますが、内閣府の防災情報にも載っています。♪ひとりじゃないって すてきなことね、って昔、天地真理が歌いました。いろんな人とつながっているって幸せなことなんですよね。

懇親会で飲んだビールが効いてきました。太文字にしたところを結論として、アルコールなブログになる前に(って、少しなってますが)止めます。


メモ 
*1 **明治維新以降、大正、昭和初期にかけて、生糸は日本最大の輸出産品であり続けた。1876年から1933年までの58年間、日本の輸出を支えたのが生糸だった。**『国道16号線「日本」を創った道』柳瀬博一(新潮文庫2023年)
*2 『山アラシのジレンマ』L. べラック(ダイヤモンド社1974年)


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