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脱「構造改革」、日本経済もうひとつの道へ--山家悠紀夫氏の講演から(7)

2008年02月27日 | 国際・政治
昨日に引き続き、山家悠紀夫氏の講演および著書『「痛み」はもうたくさんだ!脱「構造改革」宣言』から、自民党が「新憲法草案」の基調としている新自由主義的「構造改革」について考えていきたいと思います。(文責:サイト管理者)

山家氏は、政府がよく行う「日本は高齢化社会を迎えており負担が大変」という議論についても、この話には「誇大宣伝」があると批判しています。興味深い指摘なので最後にご紹介します。

山家氏は、厚生労働省などのホームページや出版物などで、よく下に成人が手を上げて台を支え、その台の上にお年寄りが乗っているイラストを見ますが、このイラストは誤解を与えると言います。
その理由の1つは、働く人が支えるのはお年寄りだけではなく、子どもも支えるはずだということ。現在、現実的には大学生くらいまでの子どもも支えている訳ですから、その意味では台の上に乗らなければならないのは、お年寄りと子どもでなければならないと言うのです。
その両方を乗せるという考えで行くと、戦後の日本は子どもが多かったので支える人の比率は55%くらい。その後、高齢化がそんなに進まず、子どもの数も減ったために60数%が支えているという状況に変わりましたが、さらに子どもが減りお年寄りが増えて、また重みが変わってきたというのが最近の状況だと言うのです。その意味では、およそ戦後直後の55対45の比率に戻るということで、そんなに支える人の負担が重くなるわけではないはずだと指摘しています。
理由の2つ目は、戦後の経済水準と現在の経済水準の違いということを指摘します。GDPでいうと何十倍になるわけですから、遙かに豊かになっている現在、お年寄りと子どもを大人が支えきれないと言うのはおかしいと言うのです。
理由の3つ目に、山家氏は「支えきれないからといって、だからどうしようというのか」という点を指摘します。負担増があるなら、これはもう仕方がないと諦めるしかないと。
高齢化社会が負担だからといって、まさかお年寄りに死んでもらうという解決策を提案する人はいないのではないか(今の政府の社会保障切り捨てと後期高齢者医療制度新設などの庶民増税は、まさに「死んで欲しい」と言わんばかりの仕打ちだと思いますが…サイト管理者)とした上で、山家氏は、「大変だから、社会保障を減らしてお年寄りにもっとしんどい目をしてもらわなくちゃいけない」というのは、本末転倒だと思うと述べ、本来の社会や政治のあり方の問題をするどく批判しました。

さあ、山家氏の講演(一部、その著書より補填)はどうだったでしょうか。自民党が2005年10月に発表した「新憲法草案」は、橋本・小泉元首相が掲げてきた新自由主義的な「構造改革」、つまり日本経済の発展を市場の原理にゆだね、政府が日本経済の舵取りで果たす役割も、また国民の社会保障を充実させるという役割も投げ捨ててきた経過がよく分かったのではないかと思います。そして、現在の福田首相も継承する「構造改革」から“脱却”し、日本経済を「もうひとつの道へ」進める根本的な転換が必要なこともよく分かったのではないでしょうか。


【出典】『「痛み」はもうたくさんだ!脱「構造改革」宣言』(山家悠紀夫著、かもがわ出版刊、1800円+税)


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