PATEX HUNTER

マルクス経済学の視点で、「パテック・フィリップ」と「ロレックス」の世界を中立的私見で、社会科学的に分析しています。

「善なる人々が行動を怠れば、必ず悪が勝利する」(エドモンド・バーグ、英国)

2011-03-27 | 社会・経済

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浄水場の放射能汚染水、次の日には放射能レベルが下降したから、直ちに健康被害にはならないから。という政府、マスコミの人事のようなご説明。

「ちょっと待てよ」と私はふと思う。

ちょっと前まで大新聞の下段に、ちょっとでも不良品を出した食品メーカーや、大して騒ぐほども無い故障品を出した機械メーカーは何千万円もかけて新聞謝罪広告を出して自主回収を大忙しでしていた。

国や都県はなぜ同じことをしないのか。上水道水の自主回収を。社告はマスコミ代りに報道するのでやらないだろうが。

それにしてもお役所の思考は社会平等という観点からはクエスチョン。ヤクニンは税金を自己資金と考えているのだから恐ろしい。

更に言えばマスコミの誤報だって、番組中または自分の媒体でほとんど無料の軽い謝罪でおしまい。

しかし、それなのに大企業はもとより、中小零細にはカネ、ヒマかけて社会に謝罪しろという無言の圧力。

今や自己責任の名の下にいつも泣くのは日本の伝統産業または経済を支えている基幹産業であり、よってたかって無責任で優位な立場から罵倒する一方の国民が居る。

もう大震災を境にして、こういったことはいいかげんにしてはどうだろう。マスコミが加害企業に広告料をたかり、海外でも日本ほどこれほど頻繁には見られない社告や自主回収の新聞報道にもう、うんざり。たかり屋しか気にしてはいないのに…。

今回の大震災は、無情の個人主義「日本」の実態を教えてくれているのではないだろうか、と私は思います。

不平等思考の日本社会の行きつく先は、皆が皆で足の引っ張り合いの羅生門下の無限地獄経済。人的資本しかない我国の唯一の打開策は、各個人の意識に芥川の『蜘蛛の糸』のあのシーンような、下の者を蹴落とさない限り、生き残れないという強い自我がなければ復活はできないと思う。

 蹴落とされたってがんばればいい。生きる、という観点からすると、邦画『ベロニカは死ぬことにした』のラストシーンは少しだけそういった人に元気が出るような気がします。V

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