前回に続いてこれも以前古本屋さんにあった『廓清』という女性の人権を守るためのキリスト教系団体が発刊し,前の五千円札の新渡戸稲造や内村鑑三,大隈重信などの偉人が掲載した大正時代の雑誌を読むと,江戸時代から明治になってすぐに海外の日本人社会の基礎を作ったのは邦人女性であって,それも九州からシンガポールや韓国や香港やシャトルやサンフランシスコなど世界中に行った日本人娼婦であったと掲載されていました。
私は日露戦争に勝利し,ロレックスが日本へ輸入されだした第1次世界大戦で日本が脱兎のごとく好況になって海外にどんどん進出したと教科書で習いましたが。私の事実誤認は甚だしいと恥ずかしく思いました。
また大正時代の雑誌『実業之日本』には日比谷公園での追悼会のフォトグラフとともに掲載されていましたが,明治末から大正時代にかけて主として鮭の缶詰で賑わった,北樺太対岸のアムール河口の都市ニコラエフスクという極東ロシアで,現地の日本領事館が霞ヶ関の外務省にウラジオストックや北海道の日本軍の救援を何度も切望したにもかかわらず,今と何も変らない世間ブレした霞ヶ関の楽観主義と希望的観測で無視されたために,援軍の切望空しく,現地人のパルチザンの総攻撃に持ちこたえられずに,全市放火されて灰燼に帰し,日本領事自殺・日本軍守備隊全滅・一般日本人壊滅・全邦人捕虜処刑の合計約800人ものこんなに多くの日本人が無残に亡くなられたことなど誰も教えてくれませんでした。ちなみにこの事件の約20年後に日本の傀儡軍による日本軍留守隊全滅・一般日本人・朝鮮人壊滅事件が北京近郊の通州という場所で起こったそうです。
つまり「当時の雑誌だけが歴史の証言者」となって知り得た私は頭が真っ白になり,犯行者に対してよりも現在の歴史教科書を裁可する関係省庁を情けなく思いました。
確かに私が子供ころから在る専門的な日本歴史全集には簡単に書いてありますけど,国定教科書で教えなければ,また奇特な日本人でもなければ,ご遺族以外は一般に知り得ません。もう何十年も経過していますが亡くなられた日本人がかわいそうだと思いました。
でも私は,当時の真実を自分で偶然見つけたボロボロの雑誌によって現在までに至る日本人の本当の底力を実感しました。
しかしながら現在の心に余裕のなくなった日本人はいったい何所から舵を取り間違えたのでしょうか。外務省の統計によると,日本から外国の永住権ライセンスを取得する日本人は毎年,直近平均12,000人も移民し日本脱出に成功しています。人数から言えば現在の永住権者総数は海外に活路を見出し移民していった大正初期の在留邦人数を遥かに越えています。安直にハワイ永住を決断した私の愚鈍な親戚は別として,これら日本を見限った多くの富裕な日本人の流出は近い将来,日本の国益に大きなマイナスになることは必至です。
それでも私は私の腕にしっかりとしたロレックス・オイスターを着けてこの受難を乗り越えて行きたいです。