PATEX HUNTER

マルクス経済学の視点で、「パテック・フィリップ」と「ロレックス」の世界を中立的私見で、社会科学的に分析しています。

消費増税は単なる出来レース。役者というより茶番だね。

2013-10-02 | 社会・経済

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企業は企業優遇されて利益が出でる。利益が出れば自社の見栄や利益追求のためにその利益を資本として設備や広告宣伝に大方は投下される。それでも余る利益は今後のさらなる企業の見栄や利益追求のために資本蓄積される。それでもコップから僅かに滴り落ちようとする利益の水滴があれば役員賞与という形でなくなる。

〝企業が回復基調〟〝良くなってきている〟と現在進行形の脆弱な回復。私的には回復は一進一退だと株価や為替をみたら誰にでもわかる。
病人だって体調が回復しつつあるときにもいきなりマラソンさせたり、ハードな仕事を与えたら体調は前よりもかえって悪化する。こんな当たり前のこと、なぜ判らないのか不思議ですし、すべてがパーになりかねない。

つまり一般庶民に消費税増税分が直撃され、暮らしは破壊されてしまうということです。

それにしてもカラトラバっていいですよね。どこかのショップの文句ではありませんけど、このカラトラバって〝実に美しい!〟


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バブルですから、流れはあたりまえ。

2013-06-04 | 社会・経済

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大先生やマスコミの論評を聞くまでもなく、バブルですから。でもしっかりと底は上がってきていますよ。今は時計よりも株式に首っ丈。商売ですから当然ですけど(笑)

最近、特にフランキーのユーズド、頻繁に見られますけどノーマルの三針はまだまだ値段が上がる素地もないようですね。

どうしてもフランキーの三振が欲しいというのでしたら、〝日本定価×0.3=中古フランキー店頭価格〟です。

これ以上で中古は買う気はありませんね。

買い取り価格も異常に低いことに驚かされますから。

もっともフランクミュラージャパンで直接販売されている中古フランキーはメンテナンス込みの安心品ですので、プレミアム品(レア)は除いて、×0.5ぐらいはすると思います。


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〝サァ、いきましょうか。〟

2011-03-29 | 社会・経済

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私の周りの多くの白人は大阪にいってしまいました。暑くも無いのに私はいつも水ばかり飲んでいるので、水の都は魅力的ですが、仕事の拠点が、この薄暗くなったメガロポリスTOKYOですので、スタッフとともに留まることにしました。政府発表がデマでなければコレぐらい当然ですが。ヤバケレバ、ヴィトン片手に札幌か大阪にオフィスを転出させます。地元の日ロレ様よろしくお願いいたしますと、いつものように私は楽観的で希望的な観測。

そのようなわけで今日も元気に商談に行ってきました。私の仕事の1つは特定の産業にお金を還流させることですので、少しばかりは震災復興にも役立つと信じてはいます。

〝サァ、いきましょうか。〟大好きな日本の復興のために。

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「善なる人々が行動を怠れば、必ず悪が勝利する」(エドモンド・バーグ、英国)

2011-03-27 | 社会・経済

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浄水場の放射能汚染水、次の日には放射能レベルが下降したから、直ちに健康被害にはならないから。という政府、マスコミの人事のようなご説明。

「ちょっと待てよ」と私はふと思う。

ちょっと前まで大新聞の下段に、ちょっとでも不良品を出した食品メーカーや、大して騒ぐほども無い故障品を出した機械メーカーは何千万円もかけて新聞謝罪広告を出して自主回収を大忙しでしていた。

国や都県はなぜ同じことをしないのか。上水道水の自主回収を。社告はマスコミ代りに報道するのでやらないだろうが。

それにしてもお役所の思考は社会平等という観点からはクエスチョン。ヤクニンは税金を自己資金と考えているのだから恐ろしい。

更に言えばマスコミの誤報だって、番組中または自分の媒体でほとんど無料の軽い謝罪でおしまい。

しかし、それなのに大企業はもとより、中小零細にはカネ、ヒマかけて社会に謝罪しろという無言の圧力。

今や自己責任の名の下にいつも泣くのは日本の伝統産業または経済を支えている基幹産業であり、よってたかって無責任で優位な立場から罵倒する一方の国民が居る。

もう大震災を境にして、こういったことはいいかげんにしてはどうだろう。マスコミが加害企業に広告料をたかり、海外でも日本ほどこれほど頻繁には見られない社告や自主回収の新聞報道にもう、うんざり。たかり屋しか気にしてはいないのに…。

今回の大震災は、無情の個人主義「日本」の実態を教えてくれているのではないだろうか、と私は思います。

不平等思考の日本社会の行きつく先は、皆が皆で足の引っ張り合いの羅生門下の無限地獄経済。人的資本しかない我国の唯一の打開策は、各個人の意識に芥川の『蜘蛛の糸』のあのシーンような、下の者を蹴落とさない限り、生き残れないという強い自我がなければ復活はできないと思う。

 蹴落とされたってがんばればいい。生きる、という観点からすると、邦画『ベロニカは死ぬことにした』のラストシーンは少しだけそういった人に元気が出るような気がします。V


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聖徳太子と日本経済。新紙幣の顔には「龍馬」。

2011-01-09 | 社会・経済

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わが国における聖徳太子の肖像紙幣(1930-1984)は戦前を除いては最高額貨幣として長く継続してきた。

私が子供の時分、2種類の聖徳太子なんぞはどれも滅多にお年玉には貰わず、長州の伊藤さん3枚が圧倒的に多かったし、お小遣いも毎月、長州の伊藤さん2、3枚で充分やり繰りして今よりも物価的価値が非常に高かった切手収集に充てていた。

それは兎も角、激動といわれた昭和以来の日本経済を今、振り返ってみると、ちょうど聖徳太子のお札がこの世から消えたとほぼ同時の時間軸で悪化の一途を辿った、と言ってもいい。

やはり明治の文化人では、聖徳太子と比較しても明らかに貰っても心理的も見劣りする。子供銀行並の玩具紙幣である。

貨幣の肖像というものは国内外的に当然インパクトがあるものでなければならない。

観念的にも現実的にも物事に杓子定規ゆえの役人なので、自発的アイデアや急進的な回天は出来ない。個々勝手なことをすると社会が混乱してしまう。そこで民間から押しに押す。

やはり我々商人にとって少しは現実的に元気が出るものの一つの国策としてこの際、政府は国民心理昂揚に大きな意味を持つ「紙幣切替」を断行するべきだと思う。

それはまず五万円札を先発させ、1年後、十万円札を発行し、それらの肖像に「聖徳太子の復活」させる。段階的なインフレターゲットに持っていくのである。

壱万円札はもちろん我等の「坂本龍馬」である。これには経済界のオジサンらも異論はあるまい。五千円札以下は文化人(平安時代も含めて)以外で革命的野心家であれば誰でもいい。もちろん日本人で。

私はいつも周囲にはこの一策を洩らしている。ただ私のブログで初めて意見いたします。Riyoma 


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