私が中学生のころたまに授業を中止して労組活動に励んでいた教職員労組の隊長のような社会科のセンコーがいて、
授業中に、ことあるごとに、怒こった形相で〝俺の先祖は、秋田の水呑み百姓だったんだ〟
と言っていたことをよく思い出す。
私は、中学生ながら〝こいつも明治維新ですこしは救われた最下級層の身分の一族なんだな。勝手に吠えていろよ。
こんなやつの家族が哀れだ。
でも女しか子供がいないから、この一族の血統はこれでおしまいだな。〟
と、よく思ったものだった。
もちろん、水呑み百姓は、最下級の身分ではない。
百姓にも段階があって、百姓の中では最底辺だろうが。
私の父方の高祖父は秋田藩士で当時、仙北郡の百姓の管理官のような仕事をしていたようだ。
ひょっとしたら、このセンコーの先祖もその組下にいたのかもしれないが、江戸時代の身分というものは
極めて厳格であり、会話することや、藩士に近づくことさえも厳禁であっただろう。
しかし、高祖父の役場は百姓一揆で包囲されたこともあったようだ。
もしもこのとき、センコーの先祖を捕縛していたら、私は中学で不愉快極まりないことには合わなかっただろう。
いまでも思い出す。
そのセンコーが、あり余った長めのブレスに金属のカレンダーを巻いたシチズンのデジタルブレス一体型をしていたことを。