先月、上海在住の大親友、朗氏から、〝ジャパンのミスターロレックス〟と彼が言う、私のところへ面白い絵画のコピーを紹介してくれました(下記写真参照)。
私は無知で恐れ入りましたが、朗氏曰く、実際には両辺各1m近くあるこの絵画は7万米ドル以上の価値があるそうです。この絵の価値は知らない方がよかったと、そのとき心から思いました。価値観が違うので仕方がありません。。
ところでこの絵の背景は詳細にはわかりませんが、画家の年齢から、中華人民共和国の文革時代(文化大革命。1966年~77年までの十一年間の政治・社会・思想文化に対する運動)に描かれたか、当時を回想したものかと思います。
でも何故、よりによって〝ROLEX〟が〝NO〟、または〝NO〟が〝ROLEX〟なのでしょうか。
中国本土の人民からみれば、当時も(今も…)、ブルジョア・アッパークラスの代表的に身につけるものが、スイスの時計であり、その代名詞としては〝ROLEX〟なのでしょう。
パテックフィリップやバセロン・コンスタンチン、オーディマ・ピゲなど明らかに、ロレックスより高級な時計はスイス時計にはいくつかありますが、それだけロレックスが〝そこそこ〟のブランドであり、その世界的知名度(コカコーラやメルセデスベンツなど、世界中の老若男女が知っている五十ブランドの一つにランクイン…何らかの機関が過去に調査したそうです…していることからも明白)とロレックスの普及は他を圧倒しているのでしょう。
また、ロレックスは〝出世した労働者階級(プロレタリアートクラス)の時計〟とアメリカ人はよく言いますが、アメリカ合衆国自体が、もともと、欧州のようなブルジョアクラス不在の、労働者建国の国ですから、当の米国人の意見は、必ずしも正しくはありませんが、ロレックス社の広告を見ると、〝世界の名士〟的な紳士、淑女が登場しています。
これは脱プロレタリアート(資本家・指導者)とブルジョア(地主ユンカー・貴族)に金無垢のロレックスをして、彼らが所属する社会、または世界中で活躍していると言っている様にも感じます。
実際は、現在の日本の様にローン多重債務者は別として、ロレックスは世界的に中産階級以上の所得ではないと一括購入できない高価な時計です。
70年代のロレックスは、今の我々日本人の感覚では、中産階級では到底困難(それ以前にオメガ、ロンジン、ユニバーサルの方がロレックスよりも広く認知されていました)で、余程の富裕層でもない限り購入できない時計でした。
いわんや、当時の中国人民にしてみれば、ブルジョアそのものの〝カタチ〟としてのロレックスの時計を敵視したとしても当然だったかもしれませんね。
当時の社会的状況がそうだったから仕方がありません。歴史ですから。
それから、三十年、2006年の中華人民共和国人民は、銀行や資本家から融資を受け、自らが社長(資本家または脱プロレタリア)となるやいなや、信用という名の〝ハク〟をつけるために、メルセデスベンツと〝ロレックス〟を買うそうです。
歴史とは紙の裏表を演じるアンビバレンツなものですね。
マルクスの共産主義思想も、〝金無垢のロレックス〟の前には、そのご威光も届かなかったのではないでしょうか。
人間の〝欲〟が社会を支配し、発展させる、自由放任の資本主義、金儲け主義が人間の真理なのかも知れません。
…ところで、その前に、当のこの絵画は右下に〝ROLEX〟とは描いてあるものの、本当にあの時計の〝ロレックス〟なのでしょうか。確か歌手や石鹸?関係の会社も〝ROLEX〟という名のものが存在するとのことですが。。