昨晩も飲み会の席で、独身の私を気遣った友人らが、「いったいお前はどんな女が好きなんだョ」と、いつものブチ切れた口調の決まり文句を言ってきた。私はすかさず「もちろん、佐藤佳代のような、あの聡明で利発で純粋なひとだよ」と速答した。
事実、〝美人ゆえに天才〟といわしめた彼女は努力の人であった。そのことの一面は残された映像や写真からでも容易にわかる。
ともかく、あのときから私の理想の女子像は変わっていない。私より少しお姉さんの彼女は今となってはモニターからしか微笑んでくれないことが、もう何年もわかっているのに未だに直視するのがつらい。
クラスの中で確かに私だけが熱狂したその芸能人は1986年4月8日、私にとっても伝説となった。残雪まばらな田舎の高校のオリエンテーションから帰宅した私は事件をテレビで知るなり倒れ寝込むほどの青春の衝撃となったのである(しかし学校は休まなかった)。
本来画家を目指していたその彼女は「岡田有希子」という変名で多くのメジャーな作詞作曲家に支えられ僅か2年間の、彗星のごとく登場したそのひとである。結果、彼女は本当の〝永遠のアイドル〟になってしまった。
私がいわゆる、〝アイドル〟、と呼んで心酔した芸能人は、後にも先にも『星と夜と恋人たち』を哀唱する彼女のみだった。
今年の4月21日は彼女の芸能デビュー27周年記念です。彼女のリアルタイムファンは当時13~20歳が圧倒的多数を占めていたとすれば、彼らは現在40~40代後半。あれから25年。確かに生きるのに精一杯で正直、それどころではなかった。だが、もうそろそろ、落ち着いて彼女の伝説を思い偲んでもよいのではないだろうか。
追伸、ある本によれば、彼女の亡くなる前日までの彼女の日記は、事件から25年ほど経過しているにもかかわらず、未だに彼女の芸能プロダクション側に保管されているという。そういうものが存在しているとは聞いていたが、一体、今後何に使うつもりなのか。事務所側にとって都合が悪い内容なのか。そんなことはどうでもよい。「岡田有希子」としてではなく「佐藤佳代」個人として苦悩して綴ったその彼女の日記を、社会通念上、常識的に愛知のご家族へ返還されてしかるべきものである。他人が指摘する以前の問題であろう。