「綺麗な靴を穿いている者は,心してヌカルミをよける。だが,一旦靴が泥にそまると,だんだんヌカルミを恐れなくなる」
…これは長与善郎『青銅の基督』大正十一年の一節ですが,腕時計に関して言えば,ある意味,時計の価格が100万円迄という一つの自己限界防波堤という認識があって,ひとたび一本100万円の時計を購入すると,この防波堤が一気に決壊し,今まで数十万円の似たり寄ったりの時計コレクションから,100万円ゾーンの似たり寄ったりの時計コレクションに移行し,次に200万円がまた一つの自己限界防波堤として設定され,またこれを越えると200万円ゾーンの似たり寄ったりの時計コレクションへ…という,端から見ると悪循環の泥沼収集,つまりコレクターではない一般シビリアンからみると「〝そればかりで他をかえりみない〟異常エンゲル係数」持ちな人=「オタ」,と呼ばれるようになります。
その時計がロレックスに集中していれば,「ロレオタ」というわけです。
「ロレオタ」は,スポロレ,非スポロレ,ステンレス,ロレゾール,金無垢,プラチナなどの垣根を問わず,そのコレクションは〝総当り戦〟になるわけです。「重症ロレオタ」は文字盤色・デザイン・素材違い,ブレス違い,でも収集の対象とします。
ここで注意したいことは,シリアル違い(例えばA番とかP番とか…)や文字盤に決定的な違いが見られない(例えば,Ref.14270のブラックアウトやRef.16520のブラウンダイアル),まったく同じリファレンスのロレの購入は,お金の無駄で,無意味ですので,並行店の喜ぶことはやめたいものです。
「一人前の人間って奴にはもう飽き飽きした。ずばぬけて豪くなるか,ずばぬけて馬鹿になるか,世の中の相場を狂わすような事をやらなけりゃ生き甲斐はねぇ」(中村吉蔵『剃刀』大正三年の一節より)
…ともあります。やはり今後は期待できないプレミアのステンレススポロレの価格停滞と比較すると,金無垢ローレックスの最近の価格急上昇は,真にワールドマーケットに共通価値のある金無垢時計に魅せられた金無垢ロレオタが,従来までの金無垢ロレックス相場を狂わしていることは言うまでもありません。
…Nothing but〝GOLD-ROLEX〟for me .