人生は帯の継ぎ足しの連続だ。それも限りある長さで、それぞれの帯は決まってくる、
それは個人の帯であるし、連続して重なり合う家の歴史でもある。
そういった意味で、日本には元号が存在していると、私は思う。
天皇が来月をもって退位することは決まっている。もうずっと前に。
ならば元号もその発表と同時に決めればよかったし、結果10連休なんて企業はゴールデンウィーク
周辺の休みの期間を決めていたにもかかわらず、10連休という。
5月病で会社を精神的にボイコットする人々は今年は増えるだろう。
新元号は、《安久》だそうだ。
安部政権が久しく長く続くように願って、という。
まぁそれでもいいだろう。
ただ、“平成”という元号が“慶応”、の対立候補として150数年前に挙がっていたということはちょっとな、と思った。
ということは、平成の対立候補の“修文”や“正化”も将来また候補として出るだろう。
でも《労力士》は絶対にない。
そんなことを夢想しつつ、ランダムの118208のベゼルを拭いながら東急東横線の電車を部屋から見下ろしている。