一年前の店頭価格を知っているから買えやしないし、買いたいと思える中古ロレックスやパテックなんてない。ない、どころではない。ぜんぜんない。
さりとて海外オークションではどこの国の田舎者かわからないが、店頭価格以上の高値でホイホイ落札している始末。
店頭でいろいろ見ても悪いとは思えない、でも良いとも思えないものばかり。結局以前に似たような時計を買って売却しているからだろう。
‥‥実際、はじめから〝一生モノの時計〟ってないんだろうね。
高額だから一生もの、複雑な時計だから一生ものではない。
どれだけ、思い入れがあるかどうか。残せるかどうか。
‥‥そのことだけなんだろうね。
死ぬ直前に、なんの悩みも、後悔もなく、大満足で死ぬことなんてない。
何らかの後悔や思いを残し、不満を抱きながら人は一生を終えるんだろうね。
そう考えたら、〝一生モノの時計〟ってないんだろうね。
そう思います。
それなら今ある時計、安い時代にご縁があって今所有して、現に、思い出を小さいながらも作っていっている私の時計と、これからもどれだけ人生の様々なシーンで思い出を作っていけるか。
それで残った時計が、結局、〝一生モノの時計〟ということになるんだろうね。
どんなロレックスでもパテックでも既にある時計以上に思い入れを吹き込むことができる時計なんてもうないのだろう、そう今、思えるね。