◆3月11日に発生した東日本大震災を発端とした福島第一原子力発電所事故。農水産物に対して「風評被害」が問題になっている。
◆「風評被害」の言葉が広く使われるようになったのは,1954年の第五福竜丸被爆事件後の放射能パニック,1974年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故,1996年のカイワレ大根O157集団感染,1997年ナホトカ号の重油流出事故,1999年所沢のダイオキシン報道など,1900年代後半からである。最近では,2004年トリインフルエンザ,2010年口蹄疫,2011年ドイツ北部の腸管出血性大腸菌感染事件などが,記憶に新しい。
◆この言葉はマスコミ用語として定着し,確かな定義がないまま使われてきた。関谷直也氏は風評被害を「ある社会問題が報道されることによって,本来,安全とされるものを人々が危険視し,消費,観光,取引をやめることなどによって引き起こされる経済的被害」と定義している。被害が発生しやすい背景には,情報過多社会(誰もがメデイアの影響を受けざるを得ない),安全社会(安全があたりまえ),高度流通社会(流通が発達し多くのものが代替可能)が根底にあるという。そして,膨大過度の報道(繰り返される映像),情報の不足(切り取られた情報),不安をあおる行動によって,風評被害は大きくなる。
◆そもそも「風評被害」は,人間が自分を守りたいという本能に基づく正常な行動で,情報が不足したときにおこる社会行動である。それ故,風評被害を皆無にするのは難しい。が,軽減することはできるだろう。対策は,科学に基づく正確な情報を,隠さず,分かりやすく提供し,無知による不安の連鎖を断ち切ることに尽きる。自然科学はこれまでも多くの研究成果を蓄積してきた。自然科学者(技術者)には,正確で理解しやすい言葉での情報提供が求められよう。情報発信にあたって我々は,分かりやすく伝えることを考えてきただろうか。
◆一方,「安全なのに,不安の連鎖で被害が拡大する」ことが風評被害だとすれば,自然科学者の間でも安全性の議論が分かれ,リスクを伴う放射能汚染の場合は定義の範疇を超える。この場合,リスクを前提にした「許容量」の概念(どこまでリスクを我慢して,そのプラスを受け入れるか)を受け入れ,対策を講じざるを得ない。自然科学者は,許容量の概念に科学的な答えを出せるのだろうか。出してきただろうか。社会科学との協働が必要になってきた。
*参照:土屋武彦2011「編集後記」北農78,485
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