恵庭散歩-「碑文」の章
恵庭開拓以降の歴史を振り返ってみると,既に統合廃校になった学校がいくつかあり,市街地(団地)造成で新しく開校した学校も勿論ある。恵庭には現在,小学校数が8校(恵庭,島松,柏,和光,松恵,若草,恵み野,恵み野旭),中学校が5校(恵庭,恵北,恵明,柏陽,恵み野),高校が2校(恵庭南,恵庭北)ある。
「学校には記念碑や彫像があった」記憶が脳裏を横切るが,一方,恵庭の学校はどうなのだろうと考えると首を傾けざるを得ない。あまり目にしないのだ。開拓から数えて130年に過ぎない歴史だからなのか。
今回紹介するのは,恵庭小学校「開校百年の碑」,恵庭北高等学校「拓学の碑」である。
1.恵庭小学校「開校百年の碑」
恵庭小学校は,明治20年(1887)「苫小牧曹洞宗中央説教所(現在の大安寺)」に置かれた「私立洞門小学校」を前身とする。山口県から入植した人々が,開拓の苦労の中でも先ずは子供の教育を優先せねばと開いた寺小屋が開基で,恵庭で最も古い歴史を有する。恵庭市福住町2丁目に所在し,近くには恵庭市役所,恵庭市民会館等がある。
正門を入り,校舎に向かって右側隅に櫟や櫻に囲まれて「開校百年の碑」が建っている(写真は2015.9.24撮影)。御影石に刻まれているのは,「開校百年」の文字(恵庭市長 浜垣実 書)。この碑は開校100年記念事業の一環として協賛会により建立されたもので,建立年は昭和61年(1986)のことである。
碑の裏面に刻まれた碑文を紹介しよう。
「碑文 明治二十年 本村地域総代である塩谷栄作 中山久蔵 鈴木善吉氏等により 開拓の生活 困窮といえども 村の発展は子弟の教育にありと山森丹宮氏等十四戸の寄付で 現在の大安寺境内に九坪の校舎を建設し松樹良光氏を嘱託としてその任に当らせた。これ即ち私立洞門小学校であり 恵庭小学校の創設でもある。 爾来 星霜百年 幾多の変遷を経て 町の発展と共に児童は増加の一途を辿り 不撓不屈の校風を身につけた卒業生一万百余名 市内はもとより全国各地で飛躍し活躍している。 本年 創立百年に当たり 同窓会PTA 地域住民が一体となり 先人先輩の功績を讃え 輝かしい二世紀へはばたく母校の隆盛発展を願って この記念碑を建立するものである。 昭和六十一年九月十四日 恵庭小学校開校百年記念協賛会」
恵庭小学校の沿革について詳細は省くが,恵庭市街地中央に位置する学校ゆえに,当校の歩みは市の発展と密接な関わりをもっている。即ち,明治から大正時代には,松園小学校を分場化,盤尻分教場の設置など市の中心校としての位置づけにあり,また第二次世界大戦後の昭和時代には生徒数の増加から校舎の増築が行われ,柏小学校や和光小学校の分離開校などに寄与してきた。そして平成の時代,ソフト面での充実が図られ熱意ある教育実践が進められていように思う。
当校のHPによれば,教育目標は「おもいやりのある子ども(情),がんばりぬく子ども(意),すすんでまなぶ子ども(知),たくましい子ども(体)だと言う。写真撮影に訪れた日にも,赤い運動帽の子供らは元気な声でグラウンドを走り回っていた。
この碑を建設してから既に30年が過ぎようとしている。この碑の存在を知る市民はいるだろうか,職員や同窓生はこの碑を教育にどう活かそうとしているのだろうか,子供等は恵庭の歴史をどう学んでいるのだろうか,と思った。碑傍の生け垣には,通行人の誰が投げ込んだのかゴミが捨てられていた。
数えれば,平成28年(2016)が開校130周年。来年のことである。
2. 北海道恵庭北高等学校「拓学の碑」
北海道恵庭北高等学校は,恵庭市南島松にある道立高校(全日制普通科)である。校舎は外装が白,屋根が赤の4階建て,学校の周辺には畑が広がっている。
校門を入った左側前庭に,樹木に囲まれて「拓学の碑」が建っている(写真は2015.9.21撮影)。御影石に力強い筆致で「拓学」の文字が刻まれ,植村富士雄書(校歌の作詞者でもある)とある。台座に「北海道恵庭北高等学校同窓会」とあるので,同窓会が建立したのだろう。建設年は昭和52年(1977)とあり,更に平成23年(2011)には創立60周年記念事業として改修が行われている。
碑裏面には次の文章が刻まれている。
「農村青年の活動の中に澎湃として湧き上がった高校設立への熱望は炎となって展開し
昭和二十六年六月二十八日 恵北中学校々舎の一隅に恵庭高等学校を開設させ定時制農業科が発足し働きながら志学する青少年に希望の火となった
昭和三十年三月 独立校舎が建設され生徒父母教師と村民は地域ぐるみで学校づくりを続けた
昭和三十六年四月 漁分校が恵庭南高校として独立するや恵庭北高校と改称し衆望に応えて昭和四十七年四月から普通科が新設された 昭和四十九年四月道立移管と共に農業科は募集停止となり
昭和五十一年三月 風雪に耐えて綴った二十六年の歴史を閉じた
開校への悲願とここに育った卒業生の心はこの碑を会して自覚を新たにすると共に後続の生徒の中に絶えず蘇り続けることを
昭和五十二年三月十日」
この碑文からも分かるように,農村青年の強い拓学の精神から生まれた「恵庭高等学校」が歴史を積み重ね,昭和51年度を以て「定時制農業科」が閉じられるに当り,同窓会が「拓学の碑」を建立したものと推察される。卒業生には,この学校に対する強い思いがあったのだろう。
この「拓学」の言葉は,平成6年(1994)制定の校訓に引き継がれた。即ち,校訓は「拓学~心豊かに,真理を求めて~」とあり,先人が,雄々しく,力強く,豊かに郷土を拓いた,その不屈の精神で,一人一人が久遠の理想,真理を求め,学ぶという意味が込められていると説く。即ち,北海道漁原野開拓の苦難を偲び,太平洋戦争敗戦後の食糧難時代に働きながら志学の希望に燃えた若者の精神を「拓学」の言葉に込めている。
「拓学」の精神は,平成の世にどのように活かされているだろうか。登校する生徒諸君はこの碑の存在をどう思っているのだろう。「拓学」の精神を今に活かしているだろうか。
平成28年(2016),恵庭北高校は創立65周年を迎える。
(注)石碑は学校敷地内にあるので,来訪者は管理者の承諾を得られたい。