豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
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「ベニシタン(紅紫檀)」の赤い実を野鳥が啄ばむ、恵庭の花-36

2023-12-23 13:54:59 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

ベニシタンの赤い実

拙宅の庭の片隅にある夏椿の根元に、ベニシタン(紅紫檀)が根づいたのは何年前のことだったか。北国の師走、雪が降る頃になると、背丈の低いベニシタンの木は無数の赤い実を着ける。もともと植栽したものではない。夏椿を訪れた野鳥が何処かの庭から運んできた種子が芽生えたものだ。

背丈は低く、水平に枝を広げ、枝には小さな卵型の葉が整然と密生する。小さな花は目立たないが、多数の赤い実は人の眼を惹きつける。特に、雪が降り、辺りが白一色になるとベニシタンの赤い実は存在感を増す。

熟した実を摘まんでみると食用になるようなものではないが、野鳥が毎年やって来る。今年もヒヨドリが赤い実を啄ばんでいる。イチイの実はとっくに食べ尽くし、街路樹のナナカマドの実も食べ飽きてやって来たのだろうか。

   

◆ベニシタン(紅紫檀、チャボシャリントウ、コトネアスター、学名Cotoneaster horizontalis、英名Rockspray cotoneaster)

バラ科、シャリントウ属の常緑(半常緑、寒冷地では落葉する)広葉小低木。原産地は中国西部。樹高が低いわりに色鮮やかな実がなることから、庭木、盆栽、鉢物として広く普及。渡来したのは明治初期、赤い実が木を覆うようにできる様を、インド原産で紅色の染料となるシタン(紫檀)の木になぞらえ、ベニシタン(紅紫檀)と名付けられたと言う。

開花は5~6月、その年に伸びた葉の脇に咲く。直径4~6mmほどの両性花で、淡い紅色あるいは白い5枚の花弁がある。ただし、花弁は全開せずに直立するのみで、未熟な果実と見分けがつきにくい。萼筒から生じる軟毛が目立つ。

果実は直径5mmほどの楕円球で、秋(9~10月)になると濃い紅色に熟す。実は長持ちする。弓なりに伸びる枝に多数の赤い実がぶら下がる様子は人目を惹きやすく、野鳥もこれを食べに集まる。

葉は長さ5~15mmの小さな卵形。ツゲとよく似た感じで、枝から互い違いに整然と密生する。革質で表面は光沢のある濃緑色。裏面と葉柄には毛を生じる。常緑樹だが、寒冷地では秋に紅葉の後、落葉する。このため半常緑性あるいは落葉性とすることもある。

学名にあるhorizontalisは水平を意味し、枝は多数に分岐しながら横に広がる。樹高は最大1mほどで、かつてはグランドカバー的な使い方も多かった。

5月頃に花、10月以降に果実が鑑賞できるベニシタンの花言葉は「統一」「安定」「変わらぬ愛情」「童心」。主にその葉や果実の姿、冬になっても果実が残る様子などからイメージされたと言う。

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「ヤツデ」の花が咲く、恵庭の花-35

2023-12-22 13:54:09 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

北国に咲く

真冬日が続く北海道、今朝の気温は氷点下18℃。窓際に置いた鉢植えの「ヤツデ」が開花した。白い可憐な五弁花である。

昨年の秋、妻が伊豆下田の草庵から実生苗を持ち帰り移植したもので、樹高は未だ15cmほどだが7枚の葉を着けている。葉の大きさは葉柄10cm、葉身10~15cm、切れ込みは5~7と未だ幼樹だが、その風情は別名「天狗の羽団扇」の面影を彷彿とさせる。

伊豆の里山では庭木として植えられているのをよく見かけた。草庵でも亡父が水場の脇に数株植えてあった。ヤツデは昔から魔除けの意味で庭に植えたと言われ、葉を乾燥させたものは生薬(去痰など)、風呂に入れるとリウマチに効果、蛆用の殺虫剤としても用いたと書籍にあるが、亡父がそんな使い方をしていた記憶はないので鑑賞用だったのだろう。

或いは、関東大震災の折、高熱に囲まれながらも焼失せず、火に耐えた常緑樹(ヤツデ)の話を知っていたのだろうか。

寒い冬を越して、翌春には黒く熟した実をつけると書籍にある。虫媒花とも記されているので、この鉢植えの花が室内で実を結ぶか見届けたい。楽しみが一つ増えた。

  

   

◆ヤツデ(八手、学名 Fatsia japonica、英名Japanese Aralia)

別名はテングノハウチワ(天狗の羽団扇)。ウコギ科ヤツデ属の常緑低木。高さは2~5mほどになり、多くは株立ちする。日陰に強く、日当たりの悪い森林の中にもよく自生する。

葉は20cm以上と大きく掌状に裂けた独特の形をし、長い葉柄を有し互生あるいは輪生。葉の表面につやがあり、裏面はやや白っぽくて若いときには茶褐色の軟毛があり、やや厚手。葉の先端は尖り、葉縁はわずかにギザギザがある。若葉のときは卵形、次に3裂から次第に数を増して7、9、11の深い裂け目をつくる。2年たつと柄ごと落葉。

花は10~12月頃、茎の先に球状の散形花序がさらに集まった大きな円錐花序をつくる。花は直径5mmほどの5弁花で白い。雄蕊は5本、雌蕊(花柱)も5本あり、花びらは小さくて反り返る。

原産地は日本、関東地方南部以西の本州、四国、九州、沖縄に分布。葉はサポニンを含み、去痰など薬効のある生薬にもなる。

「花やつで」は初冬の季語。

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恵庭の碑-26, 除雪重機から記念碑(まち遺産)を護る

2023-12-15 15:45:14 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

まち遺産を護る

北国に冬が訪れ、雪が舞う季節となった。我が家も庭木の冬囲いを済ませ、除雪道具を物置から引っ張り出して降雪に備える。道路や公的広場は除排雪受託業者が重機を駆使して行うが、玄関や車庫前の除雪は当然のことながら各自の作業。高齢者にとって除雪作業は身に余る重労働だが今年も頑張るしかあるまい。

そんな思いで冬支度をしていた11月末に、IMさんから電話を頂いた。

「記念碑を除雪重機から護る対策をしました」

 

1.除雪重機から「恵庭村道路元標」を護る

市役所 中恵庭出張所の前庭片隅に「恵庭村道路元標」碑が残されている。この道路元標は昭和7年に設置されたもので、各道路はこの元標が起点になっていた。昭和27年に現行道路法が制定されてからは無用となり放置されているが、恵庭まち遺産としての歴史的価値は高い。

*過日の「えにわ学講座」で講師が語った。

・・・恵庭村道路元標は道道600号島松千歳線に面して建てられている。櫟の木陰に埋もれて、気づく人もない。標石の表面には「恵庭村道路元標」、裏には「昭和七年建設、北海道庁」とある。開拓の時代から第二次世界大戦が終わるまでの55年間、この地は恵庭行政の中心であった。この元標を起点にして道路は四方に延びていた。現行法では道路管理者から見捨てられた存在だが、恵庭市民にとっては歴史のモニュメントと言えよう。標石の角は朽ち、刻まれた文字も崩れそう。立ち姿は除雪の重機から身を守る術もない。崩れ去る前に何とか保存したいものだ。恵庭まち遺産保全の取り組みを提起したい・・・

*ある日、一市民が声を上げた。

「記念碑を護る手立てをしないのか?」

*管理者は動いた。

市民の声を受けて、設置場所の管理者は行動し、除雪重機から石碑を護るために保護標識を立てた(写真)。先ずは第一歩。恵庭の史跡を護る小さな前進となるだろう。

 

2.護る、これはどう思う?

◆野外彫刻

JR恵庭駅東口に佇む少女像「すずらんに寄せて」。作者は、横浜山下公園の「赤い靴はいてた女の子」など、少女をモチーフにした作品で知られる山本正道。恵庭駅を利用する人々はこの像を意識することがあるのだろうか、行き交う人々は足早に通り過ぎる。そして昼の時間帯、少女は一人ぽつねんと腰を下ろしている。

ある日、この作品にマフラーが巻かれているのに気づいた。木枯らし吹く中で寒かろうと、優しい心の持ち主が自分のマフラーをかけてやる姿が目に浮かぶ。

この行動は是か非か? 貴方はどう思う? 作品を傷つけるのは論外だが、マフラーは許容範囲かもしれない。

野外彫刻は芸術作品であるが、街中の彫像は市民に愛されて存在価値があるとも言えよう。

 

◆地蔵さんも寒かろう

路傍の地蔵さんが帽子と前垂れ(涎掛け)を着けているのをよく見かける。

写真は龍仙寺の六地蔵。冬来りて防寒着を纏っている

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