豆の育種のマメな話

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厄介な野の花「ブタナ」「コウリンタンポポ」、恵庭の花-13

2016-08-16 10:56:06 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

「ブタナ」と「コウリンタンポポ」

夏が来ると,恵み野中央公園の芝生一面に黄色の花が群生し,お花畑を作り出す。数年前から群生が拡大し,その勢いが気になる。さらに近年,鮮やかなオレンジ色の花も急速に増え始めた(写真は2016.6.24撮影)。恵み野中央公園内の冒険広場の丘や野外音楽堂の芝生が黄色やオレンジの絨毯に覆われる景色は美しいが,双方の植物とも北海道ブルーリスト2010A2(本道の生態系に大きな影響を及ぼしており,防除対策の必要性について検討すべき外来種)に分類されていることを、頭の片隅に置くべきだろう。ブタナは外来生物法(特定外来生物による生態系などに係る被害の防止に関する法律)でも要注意外来生物に指定されている。

◆ブタナ

黄色の花は,ブタナ(豚菜,Hypochaeris radicata L.,キク科エゾコウゾリナ属の多年草)という。ヨーロッパ原産で,現在では世界中に帰化している。日本では昭和8年(1933)に札幌で初めて発見され,北海道帝国大学農学部館脇繰教授によってタンポポモドキと命名されたが,翌年六甲山で発見され(京都帝国大学北村四郎教授によりブタナと命名),現在はブタナの名称が一般的である。その名は,フランスでの俗称Salade de porc(豚のサラダ)に由来するという。若葉は食用可能で,ヨーロッパではサラダ,茹で野菜,揚げ物などで食べることもあるというが,試食したことはない。

外観はタンポポに似ているが,30~60cmほど花茎が伸び,途中で数本に枝分かれして,それぞれの頭に直径3cmほどのタンポポに似た黄色い花をつける。開花は6~9月。葉はロゼット状で裏に毛が密生し,根は深く伸びる。群生すると芝生が枯れるなどの被害が出る。

◆コウリンタンポポ

オレンジ色の花は,コウリンタンポポ(紅輪蒲公英,エフデギク,Hieraciumu aurantiacum L.,キク科ヤナギタンポポ属の多年草)という。ヨーロッパ原産で,現在は北半球に広く帰化している。近縁種に,花が黄色のキバナコウリンタンポポがある。

草丈は20~50cm,茎先に総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)を出し,花径2~3cmの頭花を10輪くらいつける。開花は6~8月。葉は根際から出る葉と茎から出る葉がある。根際の葉はロゼット状,茎につく葉は互生,葉の先にギザギザがない。繁殖力が強いため,在来種植物への影響が懸念されている。

◆セイタカアワダチソウ,ブタクサ

因みに,北海道ブルーリスト2010でA2に指定され,外来生物法でも要注意外来生物に区分される植物は10種ほどあるが,河原や道端で黄色の花をつけ群生が目立つものに,「セイタカアワダチソウ」(背高泡立草,Solidago canadensisi var.scabra L.,キク科アキノキリンソウ属の多年草)と「ブタクサ」(豚草,Ambrosia artemisiifolia L.,キク科ブタクサ属の一年草)がある。

セイタカアワダチソウは,北アメリカ原産で,高さ1~2.5m,茎は先のほうで枝別れし,濃黄色の小さな花を多数つけるのでよく目立つ。開花は秋。鑑賞用,はちみつ花粉用としての用途もあるが,種子と地下茎の双方で増え,さらにアレロパシーを有することから繁殖力が極めて大きく問題となっている。虫媒花で(風媒花でない)花粉の量も少ないことから、花粉症の原因植物ではないと考えられている。

一方,ブタクサはブタナと名前が似ているが,こちらは違う種である。北アメリカ原産で世界中に広まり,日本でも明治初期に渡来したと考えられている。高さが1mほどになり,葉は細く切れ込む。雌雄同株の風媒花で,雄花は約2~3mmの黄色い小花が複数集まり細長い房を形成する。その下に雌花が数個咲く。開花は7~10月。花粉症の原因となるアレルゲンを擁し,日本ではスギ,ヒノキに次いで患者数が多いという。

追記:セイタカアワダチソウについては、本ブログ「恵庭の花-18」2017.9.11を参照されたい。

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恵庭の彫像-15 恵庭市民会館にある「双体童(わらべ)像,YÛKÔ」

2016-08-14 16:44:52 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

平成28年7月の或る日,恵庭市民会館エントランスホールにある小さな石彫刻が目についた。近づいてみると,台座のプレートに「YÛKÔ,友好都市提携記念,2016.3.26,寄贈静岡県藤枝市」と記されている。恵庭市と藤枝市の友好都市提携協定締結を記念して,藤枝市から贈られたものである。作者は,石彫家の杉村孝。

 

◆友好都市「藤枝」

筆者が静岡県東部(伊豆国)の片田舎にある高校生だった頃,進学校でありながらサッカーも強い高校が駿河国藤枝にあると認識したことが,藤枝市を知る最初だったと思う(サッカーでは中山雅史,長谷部誠等が知られる)。それから50余年後,第二の故郷となった恵庭市が藤枝市と友好都市提携を結んだとのニュースがあり,同郷人として「藤枝」を再び意識することになったのである。友好都市の交流は災害時相互応援協定など具体的な形で動き出しているので,ウイン・ウインの関係が発展することを期待したい。

ところで,藤枝市は静岡市の西方に位置する人口14万7,000人余りの市である。江戸時代は東海道22番目の宿場町であり,直轄地である駿府の西の守りとして田中城が置かれ,幕末の本多家の時代には水戸藩の弘道館と共に武道の二関と呼ばれた「日知館」があったことでも知られる。かつて,伊豆下田出身の儒学者石井縄斎の経歴を調べていたとき,彼が日知館の創設に関わり漢学師範を務めたことを知った。いろいろな場面で繋がりは出てくるものだ。

◆杉村孝作品「双体童(わらべ)像」

恵庭市民会館にある「双体童(わらべ)像」の姿は,二人の子供(童)がしゃがんで肩を寄せ合い,互いの人差し指を胸の前で合わせている。地蔵尊のように細部に拘らない素朴な造形で,安らぎを醸し出す雰囲気がある。顔と身体のバランスから童(わらべ)であることに間違いないが,表情に子供らしい無邪気さはなく,むしろ悟りを開いた仏の顔だ。固く結んだ口元,二人が合わせた指先に,意志の強さが感じられる。作品には,平和を願う気持ち,友情・友好を高めて行こうとの思いが込められているように思える。作者のコメントには,「ふたつの市が仲良く寄り添い,友好の絆を深め,手を取り合いながら発展していく願いを込めて制作した作品です」とある。

俗に「双体地蔵」(一組の人像を並列させた地蔵尊)と呼ばれる地蔵尊(道祖神)があり,長野,山梨,静岡,群馬,神奈川県などに多く残されている。多くは江戸時代以降設置されたものであるが,路傍に置かれ,村落とそこに住む人々の安寧を見守っている。この双体童像の佇まいは,広い目で見れば双体地蔵の延長線上にあるのではなかろうか。

作者の杉村孝は,昭和12年(1937)藤枝市の石材店の三男に生まれ,小学校時代に右目を失明,その後石彫の世界に入ったという。市民会館の彫像には「・・・石彫刻・北川薫に師事。太平洋美術学校に学ぶ。中日展,富嶽文化賞展,現代美術展記念展などの美術展で受賞経験をもち,数々のわらべ地蔵の制作でも知られている。日本美術家連盟会員」と作者紹介文が付されている。

杉村孝の作品は多いが,藤枝市の滝の谷不動峡にある高さ10m,幅7mの不動明座像(磨崖仏,1981年から8年の歳月をかけて刻んだ作品),京都三千院の庭などに置かれた童(わらべ)地蔵の作品群,藤枝市岡部町の「おかべ巨石の森公園」に置かれた249トンのモニュメントなどが良く知られている。

中でも,童地蔵作品群の愛好者は多い。「可愛い」と表現する人もいれば,「悲しみを癒された」と語る女性もいる。恵庭市民会館の彫像は,その形から見て童地蔵の範疇に入るだろう。わらべ像の表情は穏やかである。「悲しみも苦しみも引き受けます」と寛容さを滲ませている。

その他,作者杉村孝に関する出版物があるので紹介しておこう。石彫家フォトエッセイ「わらべ地蔵,悲しみを地蔵さんにあずけて・・・」(藤原東演・杉村孝,鈴木出版1996),「石屋の小僧が彫刻家になった途々の話」(杉村孝,静岡新聞社1995),「独眼竜一石,杉村孝といふ男」(岡村直子,静岡新聞社2015)などである。

彼に関する資料や作品を眺めていると,制作モチーフの根底に脈打つのは弱者に対する思いやり,平和を願う心,反戦・反権力であるように思える。彼にとって作品制作自体が平和活動であるのかもしれない。「数奇な人生」という言葉も目についたが,行動が真摯であるが故の評価であり,彼はむしろ芸術家として純粋さを評価されたと喜んでいるかもしれない。

恵庭市民会館を訪れる楽しみが,またひとつ増えた。

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