豆の育種のマメな話

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文明を変えた作物「大豆」,新大陸の開拓者

2013-07-12 10:44:06 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

アメリカ大陸を発見したのは?

「コロンブス」

子供の頃,確かにそう教わった。

水平線の彼方がどうなっているか分からない時代に,コロンブスはアンダルシア州のパロス港(Palos de la Frontera)から西に向かって出航し,遂にサン・サルバドル島に到達した。1492年のことである。「コロンブスの卵」の逸話と共に,彼の名前は子供の頭にすり込まれた。

だが,良く考えてみれば「新大陸発見」と言うのは正しくない。何故なら,4万年前アフリカで誕生したホモ・サピエンスは,15千年前にベーリング海峡を越え,12千年前には南米大陸の南端にまで到達していたのである。彼らモンゴロイドの末裔は新大陸でマヤ文明を築き,アステカ帝国,インカ帝国が隆盛を極めていた。古代ポリネシア人も渡航した可能性が否定できない。

更に近年,コロンブスが到達する500年前にはカナダ東海岸(Newfoundland島)にノース人(古代スカンジナビア人)が暮らした証拠が発見されたと言う。だとすれば,コロンブスの「新大陸発見」は「大西洋航路の発見」(“遭遇”だと言う人もいるが)と言う方が妥当である。

コロンブスの遠征に始まる「大航海時代」に,スペイン等の征服者が先住民インデイオに行った行為は極めて残虐なものであった。黄金とスパイスを求めて侵攻するヨーロッパ白人側の論理からすれば,先住民を殺し奴隷として取引するのも許される時代であったのだろう。もちろん,残虐行為に警鐘を鳴らす宣教師もいたが・・・。

イタリアや新大陸のあちこちにコロンブスのモニュメントがあり(ブエノス・アイレスのコロン広場?でもみた),紙幣にも描かれているのだから,英雄と言っても良い。

「新大陸の発見者ではないの?」

「発見者として名を留めなくとも,彼には余りある貢献がある。それは,コロンブス以降の大航海が,中米及びアンデス原産のジャガイモ,トウモロコシ,トウガラシ,トマト,カボチャ等の植物をヨーロッパにもたらしたことだ」

ジャガイモは「貧者のパン」と呼ばれ,アイルランド,ドイツを初め世界の国々で,大飢饉の村々を救済した。トウモロコシはアフリカ大陸の主要穀物になっただけでなく,今や肉食文化を支える主要な飼料作物でもある。

酒井伸雄氏は,新大陸原産の「ジャガイモ」「ゴム」「カカオ」「トウガラシ」「タバコ」「トウモロコシ」を「文明を変えた植物」と称して,コロンブスが遺した種子は世界の文明に変革をもたらしたと述べている(酒井伸雄「文明を変えた植物たち」NNK出版2011)。

「氏の言葉を借りて,文明を変えた植物といえばダイズもそうだネ」

「アンデス原産ではなく,逆に新大陸へ渡った作物だが・・・」

東アジアを原産地とする大豆(4,000年前)が,新大陸へ渡ったのは19世紀のことだ。合衆国への最初の導入記録は,「ペリー艦隊が持ち帰った二つの大豆」「中国から帆船のバラス荷としてアメリカへ」など諸説ある。アメリカが大豆の本格栽培に着手したのは19151930年頃で,最初は家畜の餌としての認識であった。中国や日本で食料としての多様な利用法があったのに比べれば,つい最近のことと言っても良い。

大豆が南米で栽培されるようになるのは更に遅く,第二次世界大戦の頃である。各国政府は栄養補給の面から大豆を奨励するが定着せず,栽培が拡大するのは1960年頃のことである。南米大豆栽培の始まりは,「日系移民が種子を携えて新大陸に渡り,味噌や醤油を造るために栽培を開始した」ことによる。その後,日系移民の努力によって栽培は拡大する。今や,ブラジル,アルゼンチン,パラグアイなど南米諸国の大豆生産はアメリカ合衆国の生産を凌駕し,新大陸の大豆生産は世界生産量の85%を超えるまでになった。アルゼンチンやパラグアイでは大豆が輸出総額の60%を超え,まさに国家経済を支えている。「日本人裏庭の作物が奇跡を生んだ」と言われる所以である。

大豆は,コロンブスが遺した種子とは逆にアメリカ大陸へ導入され,アメリカ文化を変えたと言っても良い。

一方,大豆の栄養性,蛋白生産性に注目した発展途上国の取り組みも注目されてよい。インドの生産量は著しく増大している。アフリカでも栽培の試みがある。

まさに,大豆は「文明を変えた作物」「新大陸の開拓者」と言えよう

 

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