豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

コロナ禍に、せめて八十路の一里塚・・・

2021-10-09 11:32:41 | 恵庭散歩<本のまち、私の本づくり>

コロナ禍の巣ごもり時間を活用して昔の駄文を補筆編集して冊子に纏めることを思い立ち、この度「ラテンアメリカ旅は道づれ」(A5版276p)、「パラグアイから今日は!」(A5版222p)、「伊豆の下田の歴史びと」(A5版234p)、「伊豆下田、里山を歩く」(A5版230p)の4冊を上梓した。

前2冊は南米で暮らした頃の記録である。南米大陸を旅し、アルゼンチンやパラグアイで生活してみると、アンデス文明の歴史や文化、ラテン気質と言われる人びとの生き方、豊かな自然について驚き学ぶことが多かった。また、後の2冊は開国の舞台となった伊豆下田の歴史びと、筆者の故郷である伊豆里山の景色を、幼少時の記憶をもとに綴ったものである。

これまでの人生では仕事にかまけて子供や孫に語り継ぐこともして来なかったので、コロナ禍で暇になった機会に記憶を辿り、体験を書き残すことも意味があろうと考えた。

 

◇発刊の経緯

本づくりの経緯について触れておこう。先ず家庭用複写機を利用して印刷し、製本はホームセンターで万力・糸鋸・ボンドなどを調達して無線とじ製本に挑戦した。試行錯誤して何とか形になったが、裁断機が無いのでかつて世話になった街の印刷屋にトリミングをお願いした。印刷屋の主人は冊子のページを繰りながら、「これでは、商売上がったりだ」と出来栄えにお世辞を言ってくれた。初版となった私家本は「ラテンアメリカ旅は道づれ」(A5版246p)、「パラグアイから今日は!」(A5版196p)の各5冊、カラー版である。

しかし、近しい方に贈るにしても数十部は必要なので、外注することにして地元の印刷業者を含め数社で見積もりを取った。最近増加しているネット印刷会社の見積額は従来業者の30-70%で、その中からコストパフォーマンスの高い東京と大阪の2社を選んだ。紙質の選定など製本体裁を選択し、部数を設定すると、見積額と納品期日が即表示される。ワード作成の編集原稿をPDF変換し圧縮フォルダーで送付する。校正をメールでやり取りし、2週間後には宅急便で納品された。ネット上のオンデマンド印刷に不安はあったが、活字の大きさや写真サイズ、写真の濃淡等を工夫すればオフセット印刷に遜色ない出来栄えになることが分かった。予想以上に低コスト・迅速納品である。便利になったものだ。

◇私の本づくり

本づくりにはそれぞれの思い出がある。

(1)20年前には現役を退くにあたり「豆の育種のマメな話」(B6判40p、北海道協同組合通信社)を上梓、卒業記念としてお世話になった方々に贈呈した。この冊子では育種の裏話、心構えなど泥臭い体験を綴り、若い育種家たちへ「育種は継続、総合性、人間性」と育種心を伝えようと試みた。

(2)5年前の七十代には恵庭市長寿大学で学びながら市内の記念碑や彫像を調べ歩き、2年かけて私の恵庭散歩シリーズ「恵庭の彫像」(A5版68p)、「恵庭の記念碑」(A5版80p)、「恵庭の神社仏閣教会堂」(A5版90p)を自費出版した。写真と地図を載せ、平易な文章で解説を加えた。散歩途中に立ち止まり巷の文化財に触れて欲しいと願いを込めた。「郷土の歴史文化を知ることが故郷を愛することに繋がる」との言葉を添えて、教育委員会や学校図書館へも寄贈した。恵庭市にはこの種の資料や冊子が無かったので、「こんな冊子が欲しかった」と恵庭市観光協会が道の駅で販売してくれた。

この出版にはおまけがあって、恵庭・千歳市全戸配布の情報誌「ちゃんと」にコラム「恵庭散歩」を掲載する羽目になり、1年間寄稿を続けた。こんな出来事もあった。或る小学校の前庭に腕が折れかかった彫像があるのを見つけ、著名な彫刻家(坂 担道)の初期作品であると指摘し、著名な作家の作品が恵庭の地で朽ちるのは忍びない。このままでは、恵庭市民は文化遺産を守ることに冷淡だと言われかねない。子供たちに「芸術作品も自然界においては朽ち果てるものです」と教えるのか「ものを大切にしましょう」と語り掛けるのか、子供たちは毎日壊れかけた此の像を見ていると書いた。このことが修復計画を後押ししたのか、翌年には同校PTAが費用を捻出し彫刻家原田ミドーの協力を得て彫像は修復された。台座には全校児童336人がタイルを張り付け修復を祝ったと言う。言い過ぎたかと自省していたが、嬉しい結末だった。

(3)そして今回の自費出版である。読む人は誰もいないだろうと思いながらも遊び心で創った冊子は、私の中では「コロナ禍に記憶を紡ぐ。せめて八十路の一里塚・・・」となった。早速、子供や孫へ贈った。

なお、本書の内容については、拙ブログ「豆の育種のマメな話」に「はしがき」「目次」などアップしてあるのでご覧頂きたい。

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恵庭の碑-24、タイムカプセルを埋めた記念碑「自愛」

2021-10-08 10:41:41 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

北海道文教大学から黄金中島通りを中島方向に進む。信号を渡ると右手に恵庭市立恵明中学校(恵庭市黄金北4丁目)がある。川沿大通りと交差する手前の角地に教員住宅二棟があり、住宅裏の木立の中に小さな石碑があるのを見つけた。グラウンドから見れば校舎の左側に位置する校庭の一角であるが、道路からは見えにくい。

お断りして石碑を写真に収めた。黒御影石の碑には「自愛」の書、背面には建立の経緯が刻まれている。文字を辿ると「恵明中学校開校五周年に当たり、二十二年後の未来への夢を託してこの地にタイムカプセルを埋め、記念としてこの碑を建立した。 このカプセルは、西暦二千年五月五日午後二時を期して地上に取り出すことにする。 その日には、登校在校の生徒諸君をはじめ父母、教職員、恵明中ゆかりの人々あい集って恵明創成の往時を偲び、さらに未来への前進と発展を誓いあいたいものである。 昭和五十三年十月九日 建立者 恵明中学校開校五周年特別委員会 恵明中学校父母と教師の会 恵明中学校生徒会 書 初代校長今野良男 初代事務職員新谷新一」とある。

創立五周年の記念事業として校訓の文字を刻した石碑を建立し、新世紀の二千年子供の日に開封するタイムカプセルを埋めた歴史が読み取れる。それでは、西暦2000年(平成12年)5月5日にタイムカプセルは掘り起こされたのか? 

千歳民報(2000年5月8日)12面に以下のような記事がある。「22年目のお目覚め 恵庭恵明中 タイムカプセルのオープンセレモニー 作文・写真を手に思い出話」。当時の生徒や教職員250人が集まり、当時の校長今野良男、各学年代表、現校長水見政一の各氏が「鍬入れ」して掘り起こし、写真や作文を手に取り当時の想い出を語り合ったと言う。今野校長は挨拶で「5周年でタイムカプセル碑を建立したと言うのはあまり無い。当時の学校が燃えていた証拠。現在の生徒諸君にも創設当時のことを知ってもらいたい」と語っている。

恵明中学校は、昭和49年に恵庭中学校から分離独立し開校し、校章制定、校歌制定、校訓制定、開校記念植樹、落成記念式典など、慌ただしくも充実した創世期を経て、開校5周年記念の折にタイムカプセル碑の建設へと向かったのだろう。

◇沿革(同校HPによる)

昭和49年 恵庭中学校より分離独立し恵庭市立恵明中学校として開校

             9学級、全校生徒366名、校章制定、校歌制定

昭和50年 校訓制定「自己を愛しめ」、開校記念植樹 桜300本

昭和51年 校舎落成記念式典、札響による記念演奏会

昭和53年 開校5周年記念式典、15学級、全校生徒558名

平成12年 タイムカプセル掘り起こし

令和 3年 総勢731名

◇校訓は「自愛(自己を愛しめ)」

タイムカプセル碑の書は同校の校訓。校訓「自己を愛しめ」(自愛)とは何と難しい理念を選んだのだろう。自愛とは文字どおり自己を愛すること、他の何にもまして自己を愛し自己の幸福を願うのが自愛だとすれば、自尊に繋がりかねない。ややもすれば利己主義の源泉ともなり得る。新しく赴任した校長は解釈に悩むだろう。教師たちは生徒に「自愛」の意味を何と説いているのか聞いてみたくなった。

当校の教育目標(平成9年改訂)が、「○自ら考え、自ら学ぶ生徒、○進んで活動し、高め合う生徒、○生命を大切にし、思いやりのある生徒」と制定されていることを考えれば、「自愛」の中に「他愛(おもいやり)」を含んでいることは明らかだが、自愛と思いやりがそう簡単に結びつく概念なのだろうか?

講談社日本語大辞典を開いてみる。自愛とは ①自分を大切にすることTake care of oneself、②自分の言行を慎むこと、自重Prudence、③自分の利益を図ること、利己Selfishness の3項目が記載されている。即ち、「自愛」には自分を大切にすること、品行をつつしむ(自重)、自分の利益をはかる(利己)概念が含まれると説明しているが、思いやり概念は出てこない。

校訓を制定した意図が理解できずに調べると、日本大百科全書の解説(宇都宮芳明)「自愛とは文字どおり自己を愛することであるが、とくに他の何物にも増して自己を愛し、自己の幸福を願うのが自愛である。自愛は一般に利己主義の源泉として道徳的に悪とされるが、しかし自愛が人間の本性に基づく以上、その根絶は不可能で、それをむしろよい方向に転化すべきだという見方もある。ルソーは、自愛は人間の自然的な根本感情であり、それはもともと他人への愛を排除するものではなく、かえってそれを誘発するものだと説き、否定されなければならないのは自愛ではなくて自尊であり、高慢や虚栄や憎悪は無限の自己満足を求める自尊から生ずるとする・・・」に出会った。少し解ったような気がするが難解だ。

ある人が「自愛とは、どんな自分でもOKと丸ごと受け入れること」と述べていたが、校訓の解釈としてはこれも有りかな?

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