豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
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ペリー提督来航記念碑(函館の「ペリー提督像」)を訪ねる

2018-05-22 11:48:10 | さすらい考

ペリーが箱館(函館)を訪れたのは1854年(嘉永7年)517日~67日のことであった。日米和親条約を結び、下田・函館の開港が布告されると、ペリー提督はまず箱館に向かった。

ペリー提督日本遠征記(Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Sea and Japan, M.C.ペリー、F.L.ホークス編纂、宮崎壽子監訳)によると、僅か3週間の滞在であったが、箱館奉行並びに松前藩家老との会見に加えて、航路及箱館港の測量や海図作成、町と人々の暮らし、寺院と信仰心、自然・地形・地質、日本の船、風俗・習慣・職業・美術・工芸など広範な調査を実施している。随行した二人の画家は詳細な絵図を残し(上記書物に三十数枚掲載)、植物学者は採集した植物標本を本国に持ち帰っている(拙ブログ2012.9.7)。

このペリー来航150周年を記念して、2002年(平成14年)函館元町公園下に「ペリー来航記念碑」が建立された。この場所は、旧市立病院跡、開港時のアメリカ領事館が置かれた場所に近い。ペリー像は、函館山を背にして、港を見下ろすように立っている。

作者は小寺真知子。函館出身(函館東高卒)、ローマ在住の彫刻家(201262歳で逝去)。ペリーの生誕地ニューポート市にあるペリー全身像をモデルにしたと言うが、威厳に満ちた姿である。作者はこのほかにも、五稜郭の「土方歳三立像」「土方歳三座像」「赤い靴の少女像」など多数の作品を函館に残している。

ペリー提督像の足元にクロフネツツジ(カラツツジ)が植えられている。「黒船来航」の言葉に掛けた演出なのだろう。訪れた5月初め、クロフネツツジは淡いピンクの花をつけていた。ツツジ科ツツジ属。学名Rhododendron schlippenbachii。英名はRoyal azalea。大輪でツツジの女王とも呼ばれる。中国東北部・ロシア極東部・朝鮮半島に自生しており、江戸時代初期に日本に導入されたという。

なお、ペリー来航に係る記念碑は、横須賀市久里浜の「ペリー上陸記念碑」と伊豆下田の「ペリー艦隊来航記念碑」がある。久里浜の「ペリー上陸記念碑」は、1901年(明治34年)714日に除幕式が挙行され、石碑には大勲位侯爵伊藤博文の筆で「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と記されている。太平洋戦争下に倒され、戦後再建されるなど翻弄された歴史を持つ。また、下田の「ペリー来航記念碑」は1966年(昭和41年)建立、2002年(平成14年)現在地に移転。記念碑には、彫刻家村田徳次郎のペリー像が置かれている。傍らには、2004年(平成16年)150周年を記念してジョージ・ブッシュ第43代大統領から贈られたメッセージプレートがあり、ニューポート市から贈られた「日米友好の灯」は今も燃え続けている。

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恵庭の碑-16、いくみ会館前庭の記念碑「育み野」

2018-05-16 17:17:02 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

黄金北地区の記念碑「育み野」

「私の恵庭散歩」を上梓してから一年間が過ぎた頃、本書に記載されていない記念碑の情報が提供された。今回は、いくみ会館(恵庭市黄金北3丁目12-8)の記念碑「育み野」を紹介する。

 

いくみ会館は恵庭市に12か所存在する地区会館の一つで、黄金北地区にある。JR恵庭駅から北海道文教大学、惠明中学校を目指して行けば分かりやすい。北海道安全技術センターの西側に会館はある。前庭の一角に櫟(いちい)の木に囲まれるようにして、大きく重量感のある石が台座の上に置かれている。表面に「育み野」と刻まれ、題字は第13代恵庭市長浜垣実。平成310月建立。

隣接して、建立趣旨を記した碑文があるので引用する。

「碑文 この地一帯は明治十九年遥か山口県より先人達が集団で移民 昼なお暗い原始林を開拓し幾多の苦難に耐えて雑穀類を主体とした肥沃な畑地として実り豊かな土地に築き上げた所である しかるに近年恵庭市の発展はとどまることを知らず遂にこの地域にも波及し周辺の環境が良いことから特に教育施設の開発がなされた 当地区も急激な宅地の需要供給に応じるべき団地造成を「いくみ野」と命名し土地区画整理事業により有志が相諮り父祖代々から継承された地を顧りみ且つ新たな観点からこの地の将来像を描き「明るく美しく住みよい街づくり」を完了した この事業の完成にあたり一同相計り記念碑を建立する 平成三年十月吉日 組合成立認可 昭和六十年十月十四日 組合員 五十八名 総面積 三二九、九三九・九一平方米 総事業費 一六億三千三百四五万円 恵庭市黄金北土地区画整理組合」

碑文にあるように、団地造成の事業完成を記念し建立されたものである。「恵み野」に対比して「育み野」の名を冠したものだろうが、育み野の名称は地区の通称となっていない。この名前「育み野」はどのくらい地域に浸透しているのだろうか。

平成3年と言えばバブルがまさに崩壊し始めた時代。昭和48年から続いた経済安定期はこのとき終わり、その後は失われた20年と呼ばれるようになる。平成3年の恵庭の動きを年表から拾ってみると、屋内ゲートボール場オープン、福祉会館オープン、大町憩いの家完成、恵み野憩いの家完成、北島地区内水排除事業完成、恵み野小学校開校、市立図書館建設工事開始、恵み野北会館オープン、恵み野東会館オープン、黄金いくみ会館オープンなど、恵庭市はまだバブルの夢を追いかけていた。

事業に関わった、理事長西口実、副理事長竹本頼孝、副理事長村本寛、理事4名、監事2名、評価員3名及び組合員44名の氏名が傍らの石板に刻まれている。

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五稜郭と松前の桜2018

2018-05-04 14:58:25 | さすらい考

5月2日から3日にかけて、函館と松前の桜を愛でる旅に出た。二十数年前に大野町(現、北斗市)に暮らした頃は、函館元町や五稜郭、七飯町、大野町、上磯町、松前町など桜の名所を訪れる機会は度々あったが、その後は道南を旅することもなかった。

「今年の花見は五稜郭と松前にしよう」と思い立ったのが3月初め。桜前線の北上は例年より早そうだと言うことでスケジュールを設定し、5月2日に出発となった次第。一日目は、札幌から中山峠を越え函館に向い、函館元町界隈、五稜郭を訪ね、鹿部のホテルに宿泊。二日目は、松前公園で桜を鑑賞、江差で追分を聞いてから札幌に戻る行程であった。

天気予報は、4月下旬までの好天が崩れ、初日は曇り時々雨で低温、二日目は雷注意報も出る状況。天候を心配しながらの花見行となったが、幸いにも五稜郭・松前とも雨に当たらず散策できた。晴天ならばもっと写真映えしただろうとの思いは残るが、開花は最盛期、これで満足しよう。

◇五稜郭にて2018.5.2

海外からの観光客がかくも増加しているのかと実感しながら公園内を巡る。

 

◇松前にて2018.5.3

松前公園には250種1万本の桜があると言う。20年前と比べると、銘木も樹齢を重ねたと感じられるが、見事な花をつけている。「花守」たち関係者の苦労が偲ばれる。早咲きの「染井吉野」「南殿」「白雪姫」、中咲きの「雨宿」などがちょうど開花盛期だった。

搦手二の門に至る「馬坂」の途中に、「カワヅザクラ(河津桜)*」の幼木が植えられているのを見つけた。松前藩の時代に江戸や都を偲び植樹した桜が代々守り継がれてきたと言われるが、「河津桜」植樹のように新たに品種導入を続け、さらには固有品種を作り出している努力を賞賛したい。その努力があってこそ、観光資源は守られるのだ。

*カワヅザクラ:「カワヅザクラ(河津桜)を育てた人々、伊豆の里山-6」豆の育種のマメな話2013.12.5

   

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「ムスカリ」&春の香運ぶ「ヒアシンス」、恵庭の花-23

2018-05-01 09:42:27 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

◇ムスカリ

スイセンの開花を追いかけるように、ムスカリが青紫の花を開く。北海道では5月の連休の頃から最盛期。英名が Grape hyacinth(ぶどうヒアシンス)と言うそうだが、花の着き方は葡萄の房のようにみえる。花弁が余り開かないので少花が丸みを帯び、房のように密生していることから連想したのだろう。花言葉は「失望、失意」。日本では紫色は「高貴」なイメージだが、ヨーロッパでは「悲しみ」のイメージなのだろうか。

学名はmuscari neglectum、名前の由来はギリシア語のmoschos(ムスク、じゃ香)で、野生種にじゃ香の香りがあったことによると言われるが、栽培種の香りは強くない。原産地は地中海沿岸地方から南西アジア。青紫の他に白や黄色、ピンクなどの園芸種が販売されている。キジカクシ科、ツルボ亜科、ムスカリ属、ムスカリ種に分類される。

耐寒性が強く育てやすい。拙宅では数年間も植えっぱなしにしているが群生するほど増殖している。華やかではないが早春を彩る花のひとつ。ボーダークロップとしても重宝する存在だ。

 

◇ヒアシンス(ヒヤシンス)

「春来ぬと風憂かりけりヒヤシンス」秋櫻子

「敷く雪の中に春置くヒヤシンス」秋櫻子

拙宅の庭ではムスカリと同じころ咲き始める。植物学上の分類ではムスカリと同じ科(キジカクシ科、ツルボ亜科)で、属が異なる(ヒアシンス属、ヒアシンス種)。ムスカリに比べると花は爽やかで、スイセンやチュウリップと並び花壇を彩る春の花。紫、赤、黄、白と多様な品種が出回っている。水栽培や鉢植えで楽しむ事も多い。

原産地は地中海東部沿岸からイラン付近、日本へは江戸末期に渡来したと言われ、明治時代に「風信子、飛信子」の文字があてられた。「春の香」が風に乗って漂ってくる様子から名付けられたのだろう。また、香りが強いことから「夜香蘭」と呼ぶこともあるらしい。

ヒアシンスの香りは「グリーンノート(自然の香りの総称)」と呼ばれるように、青葉の香りを思わせる爽やかな香りが特徴。フェニルアセトアルデヒド(芳香成分)が含まれているためである。

英名は Common hyacinth、学名はHyacinthus orientalis. ギリシア神話の美青年ヒュアキントスに由来する(ヒュアキントスの額から流れた大量の地から生まれた)と言う。花言葉は「悲しみを超えた愛」。

野生種のオリエンタリス種から、オランダで品種改良が進んだダッチ系とフランスで改良されたローマン系がある。現在流通しているのは殆どがダッチ系で、一本の茎に多数の花をつけるタイプ。一方、ローマン系は数本の花茎を出し球根は分球しやすいと言う。

多年生で露地栽培も可能だが、植えっぱなしにしておいた拙宅のヒアシンス(ダッチ系)は次第に数が減って数個体が残るのみ。小振りになったが、今年も健気に花をつけている。

  

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