恵庭散歩-「講演会」の章
「いづれの御時にか,女御,更衣あまたさぶらひたまひける中に,いとやむごとなき際にはあらぬが,すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々,めざましきものにおとしめそねみたまふ・・・」
ご存知,「源氏物語」の冒頭である。入学試験によく出題されたので,受験生は「源氏物語」「紫式部」の名前と共に,この冒頭部分を暗記したものである。「源氏物語」は平安時代の長編物語で,日本文学史上最高の傑作と評価されていること,「光源氏」を主人公にした恋愛遍歴の物語であることは知っていたが,文語体で長編と言うこともあり「読んでみよう」と本書を手にすることはなかった。
7月の或る日のことである。恵庭市長寿大学公開講座,道民カレッジ連携講座,田中幹子「源氏物語の女君たち」が開催されたので聴講した。講師の情熱ある話は,「面白そうだ,読んでみようか」と聴衆の意識を刺激したようにみえた。
講師の田中幹子氏は,札幌出身で甲南大学博士課程を卒業され,佛教大学や桃山大学講師を経て,2006年から札幌大学地域供創学群教授。平安文学が専門で源氏物語,伊勢物語,枕草子,百人一首等の講義を担当していると言う。
「源氏物語」を読み解くにあたって,氏は「時代背景を理解することの重要性」を強調した。例えば,平安の世で貴族が第一に考えるのは,男児でなく女児を産むこと。女子が生まれ,やがて娘が帝の子供を産めば,摂政として絶大な権力を握ることが出来ること(因みに,男児を重宝するようになるのは,武家時代「家」が重んじられるようになってからである)。
例えば,帝に召されても,出自によって呼ばれ方が違うこと。即ち,「女御」(中宮に次ぐ天皇の夫人)と呼ばれるのは摂政大臣以下公家の娘,「更衣」(女御に次ぐ夫人)と呼ばれるのは大納言以下殿上人の娘であることなど。
例えば,内裏内の殿舎の位置は妃の身分によって決まり,身分が低いと帝が生活する「清涼殿」から遠い場所に住まわされること。
例えば,後宮の殿舎はそれぞれの壺(中庭)に植えられた庭木に因んで「桐壷」「藤壷」などと呼ばれ,そこに住む妃が「桐壷更衣」「藤壷女御」と通称されること,等々である。どうやら,用語や時代背景の知識が無いと,源氏物語の面白さを理解できそうもない。知識があれば読後感は一層深まることだろう。
源氏物語は54帖,100万文字,22万文節(400字詰め原稿用紙で2,400枚)に及ぶ長編で,500名近くの登場人物,70年余の出来事,800首弱の和歌を含む王朝文学だと言う。構成の秀逸さ,心理描写のち密さ,美意識の鋭さなどが指摘され,日本文学史上最高傑作との評価がなされている。当然,多くの学者の研究対象となって来たし,多くの作家が現代語訳を試みている。
例えば,与謝野晶子,谷崎純一郎,窪田空穂,円地文子,田辺聖子,橋本治,瀬戸内寂聴,他・・・,多数の作家が魅せられて,「与謝野源氏」「谷崎源氏」「瀬戸内源氏」等を残している。一方,英語,仏語,独語,西語,イタリア語,オランダ語,スエーデン語,フインランド語,チエコ語,ロシア語,中国語,朝鮮語などに翻訳されているそうだ。また,映画や舞台で採り上げられたことも知っている。
しかし,どれだけの日本人がこの名著を読んでいるのだろうか。率直な感想でもある。