伊豆の山村に住んでいた頃(昭和10年代であるが),農耕に使用する鎌や鉈を磨く砥石は落合の沢から切り出されたものだった。いわゆる,伊豆石の一つである。祖父は,砥石を調達してくると言っては,石切り場へ出かけていた。
伊豆石は今でも建材として人気があり,伊豆青石と呼ばれる凝灰岩(軟質)は浴室などに使われているので,ご覧になることもあるだろう。表面がザラザラして滑らず,色が青緑で水に濡れると青味を増して綺麗な発色を呈する特徴が好まれている。
ところで,伊豆石は大きく2種類に大別されるという。一つは安山岩系(硬質)で,真鶴石,小松石,根府川石などと呼ばれ,耐火性に優れ風化しにくい特徴がある。もう一つの凝灰岩系(軟質)は伊豆御影石,伊豆青石などと呼ばれ(白石,青石と分類して呼ばれることもある),軟らかいため加工しやすく比較的軽い特徴がある。したがって,前者は石垣(江戸城や駿府城)などに,後者は建材,塀,蔵,石段,かまど,石仏,墓石などに使われてきた。
伊豆半島及びその周辺(相模湾沿岸から伊豆にかけて)は,良質な石の産地として古くから知られていた。中でも「伊豆石」を有名にしたのは,江戸城改修時の築城石として大量に使用されたことだろう。幕府は江戸城普請として諸大名に石材調達を求め,各藩は相模から伊豆一帯に石切り場を設け,船で江戸まで運んだ。幕末に作られた品川御台場にも伊豆石が多く使われているという。
江戸城石垣の大半は伊豆石だというから,皇居を訪れる機会があったら,石垣を眺め「400年の昔,伊豆の山から切り出され,海を越え運ばれてきたのか・・・」と感慨にふけるのも良いだろう。
また,伊豆地方には石丁場の跡がいくつか確認されているので,旅の道すがらマニアックに訪ねるのも一興だろう。例えば,真鶴,熱海(初島,網代),伊東(宇佐美,松原),下田(須崎,吉佐美),東伊豆,松崎(雲見)・・・の石丁場跡が知られている。石丁場を訪れたあなたには,次の言葉を添えよう。連想がさらに広がるだろうから。
ところで,「ワシントン記念塔に,ペリーが下田から持ち帰った伊豆石がはめ込まれているのを知っていますか?」
嘉永7年(1854)ペリー艦隊は,函館,下田,沖縄からワシントン記念塔(Washington Monument,オベリスク様式169m)のためにと贈られた石材を持ち帰った。このうち実際にはめ込まれたのは下田の石(伊豆石)のみで,この石は約90cm四方,記念塔の西面,下から65mの位置にあり「嘉永甲寅のとし五月伊豆の国下田より出す」と刻まれ,今でも見られるという。
一方,函館から持ち帰った花崗岩石材は残念ながら行方が分からない。琉球から贈られた石はスミソニアン博物館に展示されて記念塔にはめ込まれなかったため,百年後の1989年に琉球トラバーチンの石が献呈され,記念塔にはめ込まれたとの情報がある(在NY日本国総領事館HP)。
石の建造物は世界中にある。インカの城壁,ピラミッド,モアイなど歴史遺産になっているものも多い。日本では城の石垣が技術の頂点だろうか。一方,庶民の世界でも,石材は耐火性を必要とする建造物など(蔵,竈,風呂場)に使われてきた。
しかし昨今,石造りの建造物は鉄筋コンクリートに替わり,どんどん少なくなっている。伊豆石建造物も例外でなく,今や保存運動の対象になっている。下田駅に降り立ち街中を散策すれば,古風豊かな「なまこ壁」「伊豆石」の建物が比較的直ぐに目に飛び込んでくるが,例えば「旧南豆製氷所」などがそうだ。
札幌でも「札幌軟石」という石材が知られている。凝灰岩で,明治初期から昭和の初めにかけて札幌や小樽を中心に使用され,例えば,小樽運河倉庫群,北大農学部のサイロ,小林酒造の酒蔵などが残っている。
札幌のある会合で,臨席のN先輩が
「札幌軟石を知っているか? 退職後の愉しみに,市内軟石建造物の保存地図を作ることにした」という。
「もちろん知っていますよ。市内に石山と言う地名がありますね。実は,下田にも軟石があるのです・・・」と応えたことは言うまでもない。