豆の育種のマメな話

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枝豆(えだまめ)の歴史,美味しい北海道産でしょ!

2013-08-07 17:14:47 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

枝豆の季節がやって来た

小学館デジタル大辞典には,「枝豆,大豆を未熟なうちに茎ごと取ったもの。莢のままゆでて食べる。月見豆。枝豆の真白き塩に愁眉ひらく/三鬼」。また,講談社の「日本語大辞典」には,「ダイズを完熟前に枝ごと収穫したもの。さやのままゆで,中の種子を食べる。たんぱく質に富み,栄養価が高い」とある。枝豆の塩ゆでは,今やビールのつまみとして定番になっている。

 

◇いつ頃から?

奈良・平安時代には食べられていたとするのが定説のようだ(Wikipedia)。しかし,わが国への大豆伝播が縄文後期とされることを考えると,若莢を「えだまめ」として食べ始めたのはもっと古い時代かもしれないが定かでない。鎌倉時代の日蓮が寄進信徒に出した礼状に「枝大豆」と記載されたものがあり(未確認),これが最初の記録だろうか。その後,江戸時代になって「枝豆」と言う言葉が定着したようだ。

 

興津要は「食辞林」(ふたばらいふ新書1997)の中で,秋の味を代表する食品の一つとして「枝豆」を取り上げ,4句を紹介している。

・・・枝豆や莢噛んで豆ほのかなる(松根東洋城)

   枝豆もはじけるころは初月見(柳多留86

   枝豆と兎は月を見てはねる(柳多留76

   文使い枝豆売りとすりちがい(川傍柳1)・・・

 

最初の句は,未熟莢を茹でて食べたとき(枝豆),ほのかな香りを感じる様子を読んでいる。また柳多留の二句は,枝豆を八月十五夜に供える風習が当時あり,月見豆とも称したことが伺い知れる(今ではこの風習も薄れているが)。四番目の句は,興津によれば「十五夜の晩に客に来てほしい誘う遊女からの文使いと,十五夜に供える豆を売る枝豆売りとがすれちがった吉原遊郭の光景」であるという。

 

江戸の枝豆売りの始まりは明和年間(1764-72)のことで,東京日本橋中洲の埋め立て工事のさい,作業員が昼休みに枝豆を茹でて売って好評だったことが,枝豆売りの語源になったという。江戸時代の雑記「江戸見草」には・・・六月初めより,「枝豆や,ゆでまめ」と,町々,武士小路売り歩く。はじめより八月,九月になりても,一把四文ずつなり・・・とある(参照,興津要「食辞林」)。

 

大豆若莢の食習慣は,日本・中国などに限られていた。ヨーロッパやアメリカで「えだまめ edamame, green soybeans」が食べられるようになったのは2000年ごろ,海外で日本食ブームが起きてからではないだろうか。

 

◇どこが主産地?

農林水産省の統計データ(2011)によると,国内栽培面積は12,800ヘクタール,年間出荷量は47,400トン(生産量は66,100トン),主な産地は千葉県14%,北海道11%,埼玉県9%,群馬県9%,山形県7%,新潟県6%,秋田県6%などである。生鮮枝豆の出荷は5月の千葉県産の出荷に始まり,需要が拡大ずる78月にかけて多くの産地から出荷されている。

 

生鮮枝豆の輸入は少なく700800トンである(輸入元は台湾が90%を超える)が,冷凍枝豆の輸入は約67万トンに達する。輸入元は台湾3040%,中国3040%,タイ1020%,インドネシア5%などである。20年前は台湾からの輸入が殆どであったが,その後中国・タイでの生産が増加し,近年はタイやインドネシア産が増加傾向にある。

 

一方,最近になって日本産が香港や中国などへ輸出される事例がみられる。彼の地の消費者に高級・安全志向が生まれたのかも知れない。

 

◇美味しい品種?

枝豆の種類(品種)は多い。公的機関の育成品種もあるが,多くは種苗会社が品種改良し種子を販売している。市販されている主な品種は,白毛種群(一般的に枝豆と称されるもの,黄豆系統とあお豆系統がある)と特徴を活かした茶豆群,黒豆群に大別される。

白毛種群には「サッポロミドリ」「湯あがり娘」「大袖の舞」「サヤムスメ」など,茶豆群には香りがよく甘みが強い「だだちゃまめ」「越後ハニー」などが栽培され,黒豆群には甘みが強く風味豊かな「丹波黒」「紫ずきん」などがある。

 

◇北海道の枝豆

北海道における大豆栽培の記録は,永禄五年(1562)に渡島国亀田郡亀田村で栽培された五穀の中に大豆が含まれていたとするのが最も古い。その後明治に入ると各地で試作されるようになり,大豆栽培は北海道開拓と共に広まった。入植者は味噌や醤油を作る目的で大豆を播種したが,若莢を枝豆として供することもあったろう。そのような中で,「枝豆として食べて美味しい」品種が語り継がれ,現在に至っている。

 

◇往年の枝豆品種「秋田」系大豆(明治25年~昭和40年頃)

渡島の国大谷地の苫米地金次郎が移住の際携帯した秋田大豆から選出した「大谷地」に由来する品種群。開拓と共に道南から道央・道東まで広まった。「大谷地2号」「キタムスメ」に代表される暗褐目の中粒種(秋田銘柄)で,糖含有率が高く,味噌,納豆,枝豆用として味が良いと評価が高かった。

 

類似の特性を有する早生品種「奥原1号」は,早期出荷用の品種として関東で栽培された実績があり(北海道は種場としての生産が継続された),民間枝豆品種の親としても利用された。

 

昭和40年代に冷凍枝豆の生産が始まると,褐毛の毛茸は汚れと間違われるため冷凍用には向かないとされた。

 

◇枝豆は,何と言っても「大袖振」系でしょう

北海道には,「大袖振」と呼ばれる(銘柄)の品種群がある。種皮色が黄色地に緑色が腹部から鞍掛け状に覆う黄緑色の種類である。古くは,「吉岡大粒」「吉岡中粒」などが栽培され,特に「吉岡中粒」は「早生袖振枝豆」の名前で呼ばれることもあり,主として枝豆用に供された。

昭和30年以降は,「早生緑(昭29)」「アサミドリ(昭37)」「音更大袖」が選抜育成され,栽培の主体もこれら新品種に替わり,枝豆,製菓用品種として人気を保っている。これら品種群は褐毛,黒目(音更大袖は褐)であるが,糖含量が高く味が良いとの評価が高い。

 

◇冷凍枝豆には「白毛」大豆(昭和40年~)

昭和40年代になると冷凍技術が進み(供給の安定化が求められたこともあり),冷凍枝豆の生産が行われるようになった。冷凍製品の品質としてブランチ後の莢色などが需要視されるようになり,白毛品種の「トヨスズ」が使用され,その後も白目中大粒の「とよまさり」銘柄品種が使われてきた。

一方,「大袖振」大豆の枝豆適性(うまみ)を導入した白毛品種開発の努力がなされ,「サッポロミドリ」「大袖の舞(平4)」などに代表される白毛大袖振系統群が誕生した。そして今,これらの系統群が主流をなしている。

北海道では他にも,白目極大粒の「鶴の子」大豆を枝豆に供してきた流れがある。

「茶豆」「黒豆」など多様化の時代がきた

北海道における茶豆の栽培は緑肥用の「茶小粒」だけで,枝豆用の品種はなかった。山形県の「だだちゃまめ」,新潟県の「越後ハニー」などの良食味品種が脚光を浴びると,これに繋がる茶豆品種を枝豆用に庭先栽培する人が出てきている。

黒豆については,北海道産「光黒」が西の「丹波黒」に対峙して生産されてきた歴史がある。黒豆は湯煮後の莢の色が黒ずむので,最近まで商品化の試みは無かったが,「枝豆は黒豆に限る」と通を意識する人々は昔から黒豆に執着していた。近年,「紫ずきん」など「丹波黒」系の枝豆用黒豆が開発され注目されているが,北海道でも「光黒」系の黒豆品種を枝豆に供する事例が見られるようになった。

この他,北海道では極早生の枝豆用品種として「坂本早生」が栽培された歴史がある。「吉岡中粒」や「奥原1号」より早生で,種皮色が淡緑色の地に黒色が腹部から鞍掛け状に覆う中粒種である。大袖振系よりはっきりした文様で「鞍掛大豆」と呼ばれる。これも美味。

さあ,もぎ立ての枝豆をつまみにビールで乾杯!

  

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