豆の育種のマメな話

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近畿大学公開講座2019(後期)in恵庭

2019-09-29 10:35:58 | 講演会、学成り難し・・・

標記公開講座が、2019年9月28日恵庭市民会館において開催された。恵庭市南島松地区にある近畿大学理工学部バイオコークス研究所の主催講座である(後援、恵庭市・恵庭市教育委員会)。今回のテーマは「新しい時代と街づくり 私たちのくらしを支える最先端技術 ~KINDAIから次世代へ~」とある。

講演は、池上博司(医学博士、内分泌・代謝・糖尿病内科)近大医学部主任教授「健康長寿と生活習慣病」、本村元造(芸術学修士、絵画)近大文芸学部 学部長 教授「ガラス工芸と北海道」、岩岡浩二(芸術学修士、絵画)近大文芸学部教授「写実的絵画の基本ルールとトリックアートについて」の3題。市民会館大会議室を埋めた受講生は熱心に耳を傾けていた。今回は理工学部以外の他分野にテーマを広げたことが新たな参加者の心をつかんだのかもしれない。恵庭でこのような公開講座が開催されることは有難い(参加者は高齢者に偏っているけれども)。

◆池上博司「健康長寿と生活習慣病」

日本人の平均寿命は、男81歳、女87歳。健康寿命が男72歳、女74歳なので、その差は男8.8年、女12.4年である。平均寿命と健康寿命は年々伸びてきたがその差は縮小していない。人生百年時代を迎えて、寿命の中身、すなわち健康寿命を如何に伸ばすかが課題となっているが、健康寿命を縮めている大きな要因には糖尿病をはじめとする生活習慣病がある。糖尿病患者は世界で4億2,500万人、中でもアジア圏が37%を占める。どうも日本人はインスリンを出す力が弱く、糖尿病になり易い体質であるらしい(研究結果がる)。食生活、適度な運動など、健康長寿を達成するための生活習慣病対策について解説。

◆本村元造「ガラス工芸と北海道」

ガラスを使った芸術活動が、どのように誕生し、アールヌーボーの時代を経て現代のガラスアートに繋がった歴史を述べ、現在の代表的な作家の作品についても解説。また、日本のガラスアートについて貢献した北海道のガラス文化(北海道近代美術館、当別町のスウエーデン交流センターガラス工芸工房、北海道立工業試験場、小樽の北一硝子等の活動)についても紹介があった。冊子資料の作品(写真)に触れて、ガラス製作品の多様さ、美しさ、芸術性の高さに圧倒された。

◆岩岡浩二「写実的絵画の基本ルールとトリックアートについて」

黄金比、光強弱の協調など実例を示し、写実的絵画はどのような仕組みで描かれているか、リアルに見せる描写のコツと構図の仕組みについて解説。「空気の色」と言う表現が新鮮であった。また、トリックアートについて説明されたが、だまされる楽しみ(遊び心)も芸術の一分野か。最後の一枚(トリックアート)では「何故そうなっているの???」と、モヤモヤ感を曳きずって家路についた。

なお、近畿大学理工学部バイオコークス研究所は恵庭市南島松にある。拙宅をこの地に建築した頃(1992年)、家の裏には広大な空き地があり近畿大学農学部の用地であると聞いていたが、そのうちに農学部移転は取りやめになり一部は住宅地に、一部は実験農場(資源再生研究所)になっていた。近畿大学では2008年に次世代バイオ固形燃料の開発を目指すバイオコークス量産実証実験センターを開設し、2012年には農学部所管の資源再生研究所と理工学部所管のバイオコークス量産実証実験センターを統合して、バイオコークス研究所を開設した。同研究所の基礎研究基盤は近畿大学東大阪キャンパスにおかれ、恵庭では農業用バイオコークスボイラーによる熱利用に関する実証研究が主体になっているという。

◆近畿大学公開講座in恵庭(受講録)

<2019>

1.原田 信「新元号の由来とその意義」(近畿大学2019.6.29)

2.冨田義弘「再生可能エネルギー、バイオコークスを有効活用した新しい街づくり」(近畿大学2019.6.29)

3.池上博司「健康長寿と生活習慣病」(近畿大学2019.9.28)

4.本村元造「ガラス工芸と北海道」(近畿大学2019.9.28)

5.岩岡浩二「写実的絵画の基本ルールとトリックアートについて」(近畿大学2019.9.28)

<2018>

1. 浅野和典「鋳物~5000年の歴史と今のくらしを支える最新技術~」(近畿大学2018.6.9)

2. 菊井康順「身近な暮らしを支える資源循環型社会への取り組み~バイオコークスの挑戦~」(近畿大学2018.6.9)

<2017>

1. 渕端 学「炎と熱の話」(近畿大学2017.6.17)

2. 竹原幸生「超高速ビデオカメラで見る一瞬の世界」(近畿大学2017.6.17)

3. 森澤勇介「非破壊分光分析~甘くないみかんが消えた訳~」(近畿大学2017.9.30)

4. 中野人志「レーザー光線の性質と身近な応用例」(近畿大学2017.9.30)

<2016>

1.南 武志「古代ロマンと分析化学の楽しみ」(近畿大学2016.7.9)

2.井田民男「北海道から発信する最先端のゴミ焼却処理について」(近畿大学2016.7.9)

3.麓 隆行「コンクリートのミカタ」(近畿大学2016.9.17)

4.藤原 尚「Kindai理工学部~未来への挑戦~」(近畿大学2016.9.17)

<2015>

1.山口仁宏「光る有機化合物の話(近畿大学2015.6.13)

2.伊木雅之「骨折予防で健やかな長寿」(近畿大学2015.6.13)

3.岡田志麻「心身のエネルギー回復、睡眠について考える」(近畿大学2015.9.12)

4.澤井 徹「暮らしの中のエネルギー」(近畿大学2015.9.12)

◆参考、関連記事

〇近畿大学公開講座2019(前期)in恵庭:拙ブログ「豆の育種のマメな話」2019.7.7

〇近畿大学理工学部バイオコークス研究所公開講座2017 in恵庭:拙ブログ「豆の育種のマメな話」2017.6.19

〇近畿大学理工学部バイオコークス研究所公開講座2016 in恵庭:拙ブログ「豆の育種のマメな話」2016.9.18

〇近畿大学バイオコークス研究所公開講座、エネルギーを考える:拙ブログ「豆の育種のマメな話」2015.9.14

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恵庭の碑-22, 北島松小学校の門柱、廃校跡を訪ねる

2019-09-16 16:41:13 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

20199月の或る日、北島松小学校跡を訪ねた

恵庭市北島216番地、西6線と南11号道路が交差する東側の一画に北栄会館がある。会館は鉄筋コンクリート造り平屋建ての洒落た建物。恵庭消防団第五分団、北島生産組合農機具格納庫が隣接してあり、同敷地内にはパークゴルフ場が整備されている。庭木や花壇も手が入っていることから察するに、地域のコミュニテイセンターとしての役割を果たしているのだろう。

会館の入り口には、一対の古い門柱が建っている。軟石の門柱正面には、「恵庭市立北島松小学校」の銘板がはめ込まれている。つまり、この場所は廃校となった北島松小学校跡地。パークゴルフ場になっている辺りが運動場であったのだろうか。

門柱の裏側には、「昭和二十七年三月寄贈」「寄贈者故小寺鶴吉」の白い大理石製の銘板。銘板の周辺には新しく取りつけた(修復した)と思われるセメント跡が見られること、銘板が外された跡と思われるへこみが1か所あるとから、銘板が紛失している(外れている)のに心を痛めた関係者が後年補修したのではあるまいか。そう考えれば、寄贈者が故人と言うのも頷けるのだが。間違いかも知れない(確証を得ていない)。

   

◆北島松小学校

北島松小学校の前身は、昭和18年に開拓営団倉庫事務所を借用して開設した、島松国民学校北島松分教場である。昭和22年島松小学校分校に改称、同年北島松小学校として独立。昭和27年には新校舎完成(この年に門柱設置)、昭和33年体育館完成、昭和35年には校歌が制定されている。当時は多くの入植者があり児童数も増加、昭和39年には児童数が100名を超えていたという。しかし、昭和40年代に入ると離農による児童数の減少が見られるようになり、昭和50年には在校生49名と複式学級を余儀なくされるようになった。地域住民との協議を重ね、昭和513月をもって閉校、島松小学校に統合された。広報えにわ285号(1976.4.1)は、「33年の歴史を閉じる北島松小」の特集を組んで歴史を偲んだ。

北島松小学校で学んだ多くの卒業生や地域の皆さんには、懐かしい想い出と深い思いがあることだろう。残された門柱はこれからも歴史を語り続けるに違いない。大切に保管して欲しいものだ。

昭和1811月(1943):開拓営団倉庫事務所を借用し、島松国民学校北島松分教場として開校

昭和22年(1947):島松小学校北島松分校に改称、同年北島松小学校として独立

昭和27年(1952):新校舎完成

昭和33年(1958):体育館完成

昭和35年(1960):校歌制定

昭和40年(1965):校舎増築(普通教室2)

昭和42年(1967):NHK学校放送研究委嘱校に制定

昭和51年(1976325日:島松小学校に統合

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恵庭の碑-21, 島松川上小学校の門柱は何処へ行った? 廃校跡を訪ねる

2019-09-15 18:16:40 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

廃校になった島松川上小学校の門柱

恵庭市役所HP「恵庭の記念碑」(郷土資料館)に、廃校になった島松川上小学校の門柱が紹介されている(2019年9月現在)。一対の門柱は軟石ブロックを積み重ねたもので、上部にはコンクリート製の屋根を置き、正面には校章が浮き彫りされている。写真では明瞭でないが、校章は6本のペン先と「川上小」の文字をデザインした六角形のものであったという。所在地は恵庭市島松沢、建立年が昭和31513日と記されている。また、広報きたひろしま(20011月号)には、新・博物誌きたひろしまMAP2)「過ぎし日の学舎の記憶、島松川上小学校の校門」の記事が掲載され、雪に覆われた校門の写真が出ている。

拙著「私の恵庭散歩2、恵庭の記念碑」では、松園小学校、松鶴小学校、盤尻小中学校について記載したが、島松川上小学校については触れていない。そこで、2019年9月の或る日、その門柱は現在どうなっているのだろうか? と気になり、同行者二人廃校跡地を訪ねることにした。

国道36号から旧島松駅逓所のある島松沢に下り、市道島松川上線を島松川に沿って遡る。駅逓からの距離は1.3km、左側に学校跡地らしい所があるが門柱は見当たらない。多分ここが島松川上小学校跡地だろうと写真に収める(撮影2019.9.12)。後ほど地図で確認すると、跡地に立っているのは島松沢会館(恵庭市島松沢116番地)。確かに建物周辺の桜が学舎跡の面影を残している。

それにしても門柱はどこへ消えたのか? 既に撤去されたのか、他の場所に移転または保管されたのだろうか。

追記 2023.7.23

恵庭市郷土資料館発行「資料館だより(2023年夏号 No.62)に、以下のような記事が掲載された。

新収蔵資料 島松川上小学校門柱の校章部分 6月6日受入 軟石製

(写真)「小」というマークがはっきり見えます。これは、大正2(1913)年、島松沢地区に開校した島松川上特別教授場に始まる島松川上小学校門柱の校章が刻まれた部分です。南島松の「はなふる」敷地内、「市民花壇」の縁石として使用されていましたが、花壇の造成時、作業されていた方々から「これは小学校の校章のようだ。であれば郷土資料館のようなところで保存してもらった方がよいのではないか」とお声をかけていただき花壇を管理する事業など多くの方々のご尽力により郷土資料館で収蔵・展示させていただくことになりました。同校児童が使用した机・椅子と共に常設展に展示しています。建築年は不明ですが、昭和31(1956)年の移転時に建てられたものではないかと推測されます。

最初のブログ記事から4年目。廃校後の門柱が花壇の縁石になるなど数奇な運命を辿り、落ち着く場所に落ち着いた感がある。

平川さんはじめ多くの方々のご高配、ご尽力に感謝する。有難う。

     

◆島松川上小学校

恵庭市史(昭和54年7月刊)によると、前身は島松尋常小学校付属特別教習所(大正2年設置)。昭和12年には校舎改築が行われ、島松川上尋常小学校となる。その後、昭和16年には国民学校と呼ばれたが、昭和20年島松川上小学校となり、自衛隊島松演習場の騒音などの関係で校舎移築が決まり、昭和31年にこの場所に移転された。当時の児童数は男子11名、女子14名の計25名(2学級)。音楽教育や読書活動が盛んなへき地教育実践校であった。地区挙げて教育振興に取り組み、児童鼓笛隊も編成されていたという。しかし、この地域からの転出者が増え、児童数も減ったため昭和36820日、ついに廃校となったのである。

教習所設置から廃校まで島松川上小学校49年間の歴史。何人の卒業生がこの学び舎を後にしたことか。廃校から60年を迎えようとしている今、過ぎし日の学び舎の記憶を語る人も少なくなったことだろう。学校跡地に立って眼を閉じれば、島松沢を吹き抜ける風にのって児童鼓笛隊が奏でる曲が聞こえてくるような気がする。

大正2年(19135月:島松尋常小学校特別教習所として設置

昭和12年(1937):校舎改築、島松川上尋常小学校となる。生徒22名。

昭和30年(1955):自衛隊島松演習場の関係で校舎移築

昭和31年(1956531日:移転式典。生徒25名、2学級。

昭和36年(1961820日:廃校となる。

◆市町村境界

広報きたひろしまの記事に「校門の前は北広島市だが内側は恵庭市である」の記述があるので、地図を確認。恵庭市と北広島市の境界線は概ね島松川に沿っているが、一部のヶ所で出入りが見られる。

島松沢会館の場所は、ゼンリン地図や町村地図では確かに恵庭市であるが、国土地理院Web地図やグーグル地図では何故か北広島側となっている。また一つ疑問が生じた。

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講演会「海外から見た日本」 恵庭市民憲章と歩む市民の集い2019

2019-09-03 18:34:01 | 講演会、学成り難し・・・

令和元年8月31日、恵庭市民憲章推進協議会(会長笹松京次郎)主催の「市民憲章と歩む市民の集い」が恵庭市民会館で開催された。式次第は、開会の言葉(副会長島田一美)、恵庭市民憲章朗唱(副部長弘中司嘉子)、主催者挨拶(会長笹松京次郎)、来賓挨拶(恵庭市長原田裕、市議会議長伊藤雅暢)、来賓紹介、講演(元国際協力機構専門家土屋武彦)、閉会の言葉(副会長下原干城)の流れ。同時開催として「北方領土返還写真パネル展」が開催された。

当協議会では、令和元年事業計画として

啓発普及部では、①広報活動の推進、②市民憲章と人づくりまちづくり集いの実施。③市民憲章の普及と定着のためにPR用品の作成配布と憲章板の設置。実践活動部では、①市民憲章普及推進作文の募集、②市民憲章作文発表会を開催、③文集「きらりと光る恵庭の子」の編集・発行、④グリーンベルトの花壇造成と管理、を掲げている。

主催者は、「・・・今年度の市民の集いでは、内容を「海外から見た日本」と題し、国際協力機構で活躍された土屋氏から開発途上国の現場での実体験に基づいたお話などを伺い、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに伴う国際化の到来が予想されるため、海外から見た日本という少し大きなテーマを掲げ、少しでも関心を高めることを目的として開催いたします」と、開催趣旨を述べた。

報道機関(北海道新聞2019.9.4および「ちゃんと」2019.9.6)は次の記事を掲載した。引用させて頂く。なお、恵庭市民憲章推進協議会会長笹松京次郎氏は主催者挨拶をされた後に講演会途中で退席、翌日ご逝去された(享年70歳)。謹んでお悔やみ申し上げます。

 

以下、講演会の概要を紹介する。

 

講演要旨

第1部 南米を知る(地理と歴史)

〇南米の国々:移民の国、多民族国家の良いところ。

〇南米の地勢:肥沃な大地パンパ、半乾燥高原セラード、地球の肺アマゾンに代表される熱帯・亜熱帯雨林、豊かな生物相の湿原パンタナール、乾燥のアンデス、パタゴニア地方、南部パタゴニアの氷河と多様。

〇中南米の歴史:人類はベーリング海峡を渡りアンデス文明を築いた(暦の民・マヤ文明、アステカ文明、プレインカ時代とインカ帝国、失われた空中都市マチュピチュ)。忽然と消えた文明、インデイオの悲劇。

〇中南米の歴史:三つの時代(コロンブス以降、大航海時代、植民地時代、移民の世紀)を経てヨーロッパ風の都市が築かれた。牧畜と農業が栄える、世界の食糧基地。

〇日本からの移住:開墾の辛苦を越えて日系人は信頼(勤勉・正直・高学歴)を得た。

第2部 南米大豆生産に寄与した日本

〇日系人が始め、先導した大豆生産。

〇技術協力は大豆禁輸(昭和48)から始まり、南米の地で大きな成果を上げた。

〇米国を追い越した南米の大豆生産(日系農家裏庭の作物が奇跡を生んで、国家経済を支える)。悲しき熱帯から蘇る大地。

第3部 南米の暮らし

〇一度会えば友達(アミーゴ):挨拶、声掛け、感謝、奉仕の社会。ラテンアメリカ気質。

〇言葉は民族のアイデンテイテイ:移住者に学ぶ、民族の誇り。

〇食生活:主食は牛肉? アサードにはマンジョカが合う(世界の飢餓を救う貧者のパン)。自然の恵み。飲むサラダ「マテ茶」。和食が注目されている。

〇買い物:釣銭は飴玉ですか、アスピリンですか? スーパーインフレ。

〇交通規則:車検制度のない車社会、取り締まり。

〇国境:日本と異なる国境意識

〇ゴミ問題:最初は驚くゴミの話(掃除人がいるのだから)。

〇環境問題:温暖化で後退する氷河(一年で200m)。開発と環境の矛盾(アマゾン熱帯雨林)。歴史の証人・イースター島のモアイが語ること。

〇貧困:観光客に土産物を売るインデイオ。格差が拡大(済み分けられる市街地)。所得が低く格差が大きい。しかし、人びとは寛ぎ、暮らしを楽しむ。

〇アスタマニヤーナ(明日があるさ):全力疾走してきた私たちに何かを訴える・・・ラテン雨リマの暮らし。少子高齢化、地球温暖化、食料・環境問題が顕在する今を、どう生きるか? 排他的にならず(宗教も人種も)、多様性を求め、個に走らず、故郷や文化を愛し、ゆったり暮らす。成熟社会の生き方ではあるまいか。

 

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