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近代フランス史から見る危機対応(北大道新アカデミー2022前期)

2022-05-30 15:01:41 | 講演会、学成り難し・・・

不滅のはずの王政が崩れる日、危機が求めさせる強大な指導者

北大道新アカデミー2022前期、第3回と第4回を聴講した。講師は西洋史学研究室の松嶌明男教授(東京大学大学院修了、白鴎大学、清泉女子大学を経て平成24年から北海道大学)。主要研究テーマは「フランス革命によってヨーロッパで初めて保障されるようになった宗教的自由の成立過程と具体的な保障内容について」とある。「近代への転換点であるフランス革命の考察」に関する造詣が深い。

本講座では、フランス絶対王政の崩壊過程とその要因、フランス革命に至る経過と強大指導者ナポレオンの出現、強力指導者による独裁と政治的欠陥等について解説。独裁体制の欠陥と権力継承の難しさに関する論点は面白かった。

最後に、ロシアのウクライナ侵攻についても触れ、「我々は今、後継者のいない独裁体制の行方を目にしているのかもしれない」と述べた。

 

◆松嶌明男「不滅のはずの王政が崩れる日」2022年5月7日

概要:フランス絶対王政から革命まで。ヨーロッパでの市場経済の急激な発展は、土地所有と身分制に立脚する絶対王政を危機に導き、フランス王国は革命へ至る(資料から引用)。

1)フランス絶対王政(ブルボン朝)の統治とその構造:君主が絶対で最終的な決定権を握る政治体制であるが権力行使に制約があった。身分制議会である三部会、高等法院、カトリック教会の教義の利用など。

2)絶対王政の動揺、行き詰るルイ16世の治世、支持基盤の動揺

3)厳冬でパンや小麦、薪の価格高騰が引き金となり革命へ

4)革命後の混乱は強力な指導者を求めた

◆松嶌明男「危機が求めさせる強大な指導者」2022年5月28日

概要:近現代における「効率的な統治システムである独裁」について解説。フランス革命で危機に対処しようとした人々は、新たな安定を作り出すことができず、ナポレオンの独裁にその一歩を託した(資料から引用)。

1)独裁政治の類型として「議会政治の枠組みにおける少数議員による独裁」と「議会政治を形骸化させた強力な指導者による独裁」をあげ、問題点を整理した。

2)独裁に固有な政治的欠陥と権力継承について

・独裁者本人の体調(病気や老齢)が政治に直結することが問題

・独裁者権力行使の基盤が属人的であることが問題

・対応として ①強力な指導者がいなくなった時の集団指導体制を築いておく(徳川吉宗)、②部下の中から優秀な人物を養子とすることで実質的な後継者指名する(ローマ5賢帝)事例を示した。

◆時として強力な指導者が熱望されるが、独裁体制の長期化は腐敗や混乱を招きやすい。権力を握る者は、多くが「自分は他の者たちと違う」思っていて、他者の失敗の積み重ね(歴史事実)を学ぼうとしないからだと言う。私たちは、多様な意見を尊重するシステム、情報の共有化を常に担保しなければなるまい。

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金属製品と保存科学の世界(カリンバ土曜講座2022-1)

2022-05-25 18:37:19 | 講演会、学成り難し・・・

杉浦学芸員の初講座

2022年5月21日、恵庭市郷土資料館のカリンバ土曜講座を聴講した。タイトルは「金属製品と保存科学の世界」、講師は杉浦正和学芸員(奈良県生駒市出身)。

杉浦講師の専門は「トレハロースによる潮解性を持つ金属錆への効果」だと言う。トレハロース? 聞きなれない言葉だったので調べてみると、トレハロースはブドウ糖が二分子結合した糖(自然界の多くの動・植物や微生物中に存在)で、加工食品はじめ多くの分野で使われていることを知った。

例えば、変性抑制作用や品質保持効果があることから菓子、パン、惣菜、水産加工品、畜産加工品、レトルト食品、冷凍食品、飲料などの食品添加物として使用される一方、化粧品や入浴剤の保湿成分、クールビズや防臭効果をうたった繊維添加剤、切花延命剤などにも使われ、医学関連では臓器移植時の臓器保護液、手術による開腹後の癒着防止剤、ドライアイの治療薬、乾燥血液製造としても検討されているそうだ。杉浦学芸員の研究テーマ「文化財の腐敗防止処理に利用する研究」もその一例と言うことか。

 

◆講座内容

さて講師は、「保存科学とは?」と問い掛け、「さびと金属製品の保存」「西島松5遺跡出土刀の保存処理」について体系的に話を進めた。初々しくも正統的な組み立てである。

保存科学とは「自然科学的な手法を活用して文化財を適切に保存・管理・維持していく学問」と定義し、具体的には ①材質の調査、②肉眼では観察できない内部構造の調査、③文化財を後世に伝えていくための保存環境の調査、④保存修復に必要な材料と保存技術の開発研究からなると解説。

更に、「金属製品保存の歴史」「さびが出来る要因」について触れ、金属製品の保存処理を行うためには、①酸素と触れないようにする、②水分と触れないようにする、③金属製品の中の可溶性塩類をできる限り抜き取ることだとし、保存処理の基本行程を解説した。

処理工程は ①処理前調査、②クリーニング、③脱塩処理、④樹脂含浸、⑤復元、⑥仕上げ、⑦処理後調査からなるが、原興寺文化財研究所が実施した「西島松5遺跡出土刀」の保存処理に沿って具体的説明を加えた。

最後に、エックス線やCT、蛍光エックス線分析など機器の発達、脱塩処理や樹脂含浸法の進歩もあり保存技術は進歩しているが、保存処理はあくまで劣化スピードを緩めることに過ぎない。処理後も適切な環境で保管することが必要であると指摘した。

文化財保存と言えば、伝統的な修理修復を思い浮かべるが、科捜研のような自然科学的手法を組み入れた工程で進められていることが理解できた。些か専門的な箇所もあったが、参加市民にとっても興味ある講座であった。

 ◆企画展「金属製品と保存科学の世界」

恵庭市郷土資料館では並行して(4月16日~5月22日)、企画展「金属製品と保存科学の世界」が行われた。この企画展は、三菱財団50周年記念特別助成金(314万円)を活用し奈良県原興寺文化財研究所で修理していた恵庭市西島松5遺跡出土の刀3振が、修理を終え恵庭に戻ってきたのを記念して開催されたもので、多くの市民が訪れた。

地元の遺跡(西島松5遺跡)から出土した鉄製刀剣の、修理前写真と修理後実物との比較展示を見ることで、文化財の修復方法や保存科学について学ぶことが出来る有意義な企画展であったと思う。

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恵庭の樹-5 松園通りの桜並木

2022-05-10 10:49:23 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

恵庭の桜名所

5月連休の或る日、町内会行事ヘルシーウオーキングに参加した。コースは、恵み野東町内会館を出発し漁川堤防敷地を経て「花の拠点(はなふる)」で休憩。その後、松園通りの桜並木を帰るコースと恵み野中央公園を巡って戻るコースである。参加者はちょうど満開の桜を愛でることが出来た(写真は松園通りの桜並木)。

桜が開花する頃、毎年のように「恵み野桜回廊」を歩く。「恵み野桜回廊」とは私が勝手に付けた名称だが、恵み野の桜を鑑賞しながら散策するコース。例えば、川と道の駅「花ロード恵庭」(花の拠点はなふる)を出発点とした場合、恵み野南緑地を通り恵み野中央公園の水路に沿って進み、恵み野北緑地を経て恵庭開拓記念公園へ向かい恵庭市郷土資料館で休憩。その後、松園通りの桜並木を経て「花の拠点はなふる」に戻るコースである。緑地帯及び公園にも桜が多いが、松園通りの桜並木は心地よい。コースは逆の道順でも良いし、恵庭市立図書館で一休みすることも出来る。また、市街から電車を利用する場合はJR恵み野駅東口から駅前道路を真っすぐ進み、恵み野中央公園に入る。

恵み野中央公園は昭和50年(1975)「恵庭ニュータウン恵み野開発」の一環として造成されたので、桜樹齢は50年弱と比較的若い。一方、松園通りの桜並木は老樹が続くので一見の価値がある。

松園通りの桜はいつ頃植樹されたのだろうか? 気になっているが情報がない。松園通りは、漁川沿いに旧長州藩士が入植し廻神美成が私立松園小学校を建設した頃(明治22年1889)には存在したと考えられるが(参照、大日本帝国陸地測量部大正5年測図)、桜並木があったかどうか分からない。松園通りに沿って茂漁川第3幹線用水路が走っていることから推察すれば、むしろ用水路沿いに植栽されたと考えるべきだろう(黄金の漁川第2幹線用水路沿いにも同年代の樹例と思われる桜並木がある)。

島松村共同用水組合や漁共同用水組合が結成されたのは130年前の明治27-28年(1894-95)なので、いずれにしても植栽はそれ以降のこと。現在の用水路が覆道になっていていることに鑑みれば、この工事に合わせ植栽されたのかも知れない。

松園通りの桜が「花の拠点(はなふる)」整備や住宅地造成のため、残念ながら今年も何本か伐採された。しばらく後になって、桜の樹例を確認しようと伐採株を観たが、年輪を判別できなかった。桜並木の植栽年を御存じの方が居られたら、ご教示願いたい。

桜の寿命は必ずしも長くない。養生しなければ通常100年と言われる。松園通りの桜並木も傷みが進んでいる。この桜並木を恵庭の樹として保護したいと思うのは私だけだろうか。

  

恵庭市内の桜名所は、他にも「桜公園」「恵庭公園」「黄金文教大学通り」「紫雲台孝子堂」などある。「桜公園」は昭和57年(1982)春、「えにわ湖」を憩いの場とするためダム下流右岸に約1,000本のチシマ桜・エゾ桜・ベニ桜などを植え桜公園としたことに始まる。「恵庭公園」は駐車場脇の桜が美しい。「黄金文教大学通り」の桜並木は、平成時代に行われた新市街地形成事業で栽植された桜でまだ若い。大事に育てられ将来の桜名所になることを期待したい。

個人的には黄金中央2丁目角(歩道)にある一本桜も気に入っている。

左上:恵み野南緑地、右上:恵み野駅前通り(環状線)

左下:桜公園、右下:紫雲台孝子堂

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カリンバ自然公園の「ザゼンソウ」、恵庭の花-31

2022-05-02 11:11:47 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

僧侶が座禅を組む姿に似て座禅草

4月の或る日、ミズバショウの写真を撮ろうとカリンバ自然公園へ出かけた。ミズバショウの群生地に、仏炎苞が白くない黒赤~暗紫の個体が散見される。形がよく似ているのでミズバショウの変異個体かと見間違えるが、別の種類である。案内板には「ミズバショウの仲間、ザゼンソウ、黒ずきん(黒紫色)をかぶったお坊さんが座禅をして座っている姿に似ていることからつけられた名といわれています」とある。

「仏像の光背に似た形の花弁の重なりが僧侶の座禅姿に見える」ことが名称の由来とされる。また、花を達磨大師の座禅する姿に見立てて、ダルマソウ(達磨草)とも呼ぶ。一方、英語では全草に悪臭があることからスカンクキャベツと呼ぶそうだが、名前を聞いただけでも匂いが漂ってくる。

カメラのレンズを向ける。ミズバショウは仏炎苞と花序が地上に伸びているので華やかだが、ザゼンソウの仏炎苞は地際から生えている(一部埋もれているように見える)ので些か写真映えしない。仏炎苞の色も地味だ。

家に帰って調べてみると、開花期に発熱し周辺の氷雪を溶かし、臭いで花粉媒介昆虫を誘引するなど、ザゼンソウには植物の知恵が詰まっていることを知った。

発熱システムについては、①ザゼンソウの肉穂花序にはミトコンドリアが豊富に含まれており、②気温が氷点下になると根に蓄えているデンプンと酸素が活性化し、③デンプンと酸素にミトコンドリアが結合して呼吸活動が活発化するため、ザゼンソウ花序が発熱すると言われている。子供の頃はお化けのように見えて近づかなかったが、興味ある植物だ。

北アメリカ東部および北東アジアに分布。日本では、諏訪市、兵庫県香美町、大田原市、甲州市、滋賀県高島市、鳥取県智頭町などの群生が知られているが、北海道ではどうだろう。恵庭ではカリンバ自然公園の他に漁川沿いの湿地帯で見たことがある。

 

◆ザゼンソウ(座禅草、学名: Symplocarpus renifolius)は、サトイモ科ザゼンソウ属の多年草。冷帯、および温帯山岳地の湿地に生育。開花時期は1月下旬から3月中旬。開花する際に肉穂花序で発熱が起こり約25℃まで上昇する。そのため周囲の氷雪を溶かし、いち早く顔を出すことで、この時期には数の少ない昆虫を独占し受粉の確率を上げる。発熱時の悪臭と熱によって花粉を媒介する昆虫であるハエ類をおびき寄せると考えられている。

地下茎は太くて短い。葉は2~7枚が根出し、ほぼ円形で長さ幅とも30~50cmになり、先は急にとがり、基部は心臓型。浅緑でつやがあり、葉柄は太く長く葉身と同じ長さになり、基部は幾分さや型で重なり合う。花は葉が出る前に咲く。花茎は太く長さ10~20cmになるが半ば中にあるため仏炎苞は地際から生えているように見える。仏炎苞は暗紫から淡紫、まれに白や緑もある。形は半球形で先がとがり、中には長円形で長さ2cm余りの花穂がある。穂には小さな花が多数密集して着く、果実は初夏から盛夏にかけて黄色に熟するが有毒。

自家不和合であり、昆虫などによる花粉の運搬を必要とする。多くの種子は野ネズミによって食害されるが、一部は野ネズミの貯食行為によって運ばれる。種子はそれによって散布され、被食を逃れて発芽することが出来る(参照:北海道の植物図鑑)。

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ミズバショウ咲くカリンバ自然公園、恵庭の花-30

2022-05-01 10:27:44 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

ミズバショウが咲いている・・・

桜の開花には少し早いが、水芭蕉が咲く頃だろうとカリンバ自然公園まで散歩の脚を伸ばした。4月下旬の穏やかな日のことである。自宅からは徒歩で約45分(3.1km)、少し長い散歩で心地よい汗をかいた。カリンバ遺跡の保護地区に繋がるカリンバ自然公園(黄金1号近隣公園)は旧カリンバ川跡で湿地が残り、自然林にはミズバショウの群落がみられる。遊歩道が設けられているのでミズバショウなど自然植物を観察できる。

自然公園にはコブシが咲き、ミズバショウの白い苞も開いていた。年配女性の二人連れが散策している。車いすの老人が音楽を聴きながら公園に向かって時を過ごしている。鴨が2羽ミズバショウの間で何かを啄ばんでいる。長閑な空間の中、遊歩道からミズバショウを写真に収めた。

ミズバショウの隣に、形が似ているが「白」ではなく「濃い赤色」の個体が散見される。「ザゼンソウ」と呼ぶらしい。黒頭巾(黒紫色)を被ったお坊さんが座禅をして座っている姿に似ていることから付けられた名前だと言う。

ミズバショウの名前を知ったのは「夏の思い出」の歌詞。尾瀬にミズバショウ群落があるのだと、その時覚えた。そして、十勝に住むようになってからは芽室町上美生のミズバショウ群生地を訪れ、北海道では「ヘビノマクラ」と呼ぶと教わった。花序の形を蛇の枕に見立てた表現だが、ミズバショウが咲く周辺は湿地なので「危険だから近づくな」と子供たちへの警句だったのだろう。また、ミズバショウの葉が牛の舌に似ていることから「ベコノシタ」とも呼ぶそうだ。地域によって他にも呼び方があるようだが、葉の形状による場合が多い。アイヌ語では「パラキナ(幅の広い葉)」である。

北海道には大空町、女満別町、芽室町、雨竜沼湿原、大沼などよく知られた群生地があるが、恵庭市のカリンバ自然公園は市街地でミズバショウ群落を観察できる貴重な場所である。

 

◆ミズバショウ(水芭蕉、学名: Lysichiton camtschatcensis Schott)は、サトイモ科ミズバショウ属の多年草。北海道と中部地方以北の本州の日本海側及びシベリア東部、サハリン、千島列島、カムチャツカ半島に分布する。

湿地に自生し、発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞と呼ばれる苞を開く(花ではなく葉の変形したもの)。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が花序で、数十から数百の小花が集まっている。それらすべてが雄蕊と雌蕊を持つ両性花だと言う。受粉後、花序は大きく成長し緑色肉質の果穂になる。開花時期は低地で4月から5月、高地では融雪後の5月から7月。葉は花の後に出て立ち上がり、長さ80 cm、幅30 cmに達する。大きく成長した個体の塊茎からは細長く短い地下茎が生じ、栄養繁殖することもある。

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