豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
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イノシシと鹿が遊ぶや・・・わが家の庭に

2019-05-29 16:27:11 | 伊豆だより<里山を歩く>

元号が改まった2019年5月の或る日、伊豆の田舎を訪れた。墓参と生家の周りの草刈りなど家の管理が目的である。築66年目の家屋は中学・高校時代を過ごした思い出の建物であるが、両親が亡くなってから既に10年以上が経ちだいぶ傷んでいる。山で育てた檜や杉材を選んで切り出し、畜舎には硬い椎材を使い、家具も特別に設えるなど先祖のこだわりを考えると、そろそろ何とかしようと思うが取り壊すにしても決心がつかず管理を続けている。

集落は高齢化が進み、空き家となった家が多い。昭和の時代には、自分で石垣を積み造成した棚田に稲穂が揺れ、里山も手入れが行き届き、子供らの遊ぶ声が賑やかであったが、今は村人に会うことも少なく、鶯の声だけが谷間に大きく響いている。耕作を止めた水田には茅が繁茂している。栗や蜜柑の樹も枯れ始めている。

裏山から毎夜のごとく数頭のイノシシが出てくるため、山肌は崩れ獣道が形成される。イノシシは野草の球根を掘り、栗の実を漁り、水溜まりで泥んこになって水浴する。そのためか、子供の頃至る所で見かけたはヤマユリを、今は見ることもない。人間の減少に反比例するように、イノシシ、シカ、サルなど野生動物が増えているのだ。この場所で農業を営むには電柵や金網を張り巡らし獣の食害を守るしか術がないが、大変なことになったものだ。

イノシシが夜な夜な出てきて遊んだ痕跡は、生家を訪れる度に見ていたので別段驚くこともなかったが、今回は玄関先にまとまったを見つけた。野兎? 鹿? と周囲を見渡すと、柊(ひいらぎ)など庭木の若芽が食べられている。鹿の食害に間違いあるまいと写真を撮った。

  

野生鳥獣の農作物被害状況については、農林水産省が都道府県の調査を集計して公表している。平成29年度農産物被害は総額で164億円、内訳はシカ55億円、イノシシ48億円、サル9億円となっている。被害総額は平成22年度の240億円をピークに減少傾向にある。平成14年の「鳥獣の保護管理並びに狩猟の適正化に関する法律」施行や各都道府県の鳥獣被害対策が功を奏しているのだろう(耕地面積自体の減少も考えられる)。それにしても莫大な被害だ。因みに、静岡県の農産物被害は総額で32千万円(平成29年度)、中でもイノシシの被害が多い。

また、野生鳥獣による森林被害も問題となっている。森林被害面積は6,000haを越え、シカによる被害が全体の3/4を占めるという。行き届かなくなった山林管理の結果でもあると言えようか。

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「道央農業振興公社」、地域農業農村活性化の核となっているか?

2019-05-13 18:19:45 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

令和元年(2019)5月の或る日、満開の桜を眺めながら島松を歩く。JR島松駅前から北に180mほど進み、南20号を左折、千歳線の踏切と道道46号(江別・恵庭大通り)を渡り、ルルマップ川を越え、坂を上ると畑地が広がる。ルルマップ川と島松川に挟まれた丘陵台地である。駅からおよそ1km、徒歩で20分弱の距離。

右手には「ホクレン恵庭研究農場」、かつての北海道農業試験場ばれいしょ育種研究室(島松試験地)が佇んでいる。左手の建物はとみれば「恵庭市農業活性化センター」の標識(表札)と「公益財団法人道央農業振興公社」の看板が見える。

ホクレン恵庭研究農場については、2019年5月10日の拙ブログに「島松試験地、ばれいしょ農林1号、キタアカリの故郷」として紹介したのでご覧いただきたい。ところで、公益財団法人道央農業振興公社とはどんな施設なのか?

 

◆公益財団法人道央農業振興公社

公社HPによれば、目的として「この法人は、江別市・千歳市・恵庭市・北広島市の4市地域内において、地域内農業・農村の持続的発展と、農業の多面的機能の発揮に寄与します」とある。事業内容は「担い手別の育成事業」「農用地の利用調整事業」「生産性の向上と安全安心な農産物生産支援事業」「農業労働力確保支援事業」「酪農、畜産関連の受託事業」等が挙げられている。

我が国の農業は高齢化、担い手不足、農家戸数の減少が進み、農地の荒廃も目立つなど厳しい状況にあるので、農家経営の改善と技術支援を行うための活動拠点ということだろう。具体的には、①土壌分析、②地域に適する品種選定や栽培試験、③地域農業のリーダーを養成する研修事業(農業塾)、④農地の集約・農業労働力確保、⑤市民との交流事業を行っている。農業関係者以外の一般市民にはあまり知られていないが、地域農業のために重要な役割を担っている組織のひとつと言えよう。

道央農業振興公社は平成17年(2005)5月に設立され、平成25年に公益財団法人となった。かつて恵庭市には恵庭市農業活性化センター(平成9年設置)があり、各地域にも同様の組織があったが、農業情勢の変化に対応して広域化を図り整備された。理事長は松尾道義道央農協組合長、運営支援組織は江別市、千歳市、恵庭市、北広島市、道央農業協同組合。職員は27名(公社業務職員18うち出向6、受託牧場業務9)だという。

なお、管轄する4市の農家数は930戸余り、産出額はおよそ350億円とされる。

◆地域農業技術センター連絡会議(NATEC)

このような地域農業技術センターと呼ばれる組織は、平成31年2月現在全道に42機関存在する。例えば、札幌市農業支援センター、旭川農業センター、和寒町農業活性化センター(農想塾)、帯広市農業技術センター、厚沢部町農業活性化センター等々である。それぞれが地域農業活性化に向けた活動をしている。

今から25年前、北海道立農業試験場(道農政部)の呼びかけにより、地域農業技術センター相互の情報交換や連絡調整のための「地域農業技術センター連絡会議」が結成された。連絡会議には、各地域農業技術センターのほか、ホクレン農業総合研究所など関係団体及び北海道立総合研究機構の各農業試験場が参画し、56機関・団体の構成となっている(平成31年2月現在)。毎年、研究交流会や研究情報交換会を実施しているという。

農業研究と普及のシステムは、原則としては①農業試験場が技術開発を行い、②農業改良普及センターが普及指導を行い、③農協技術部や地域農業技術センターが地域に即した取り組みを行う役割分担になっている。道央農業公社もそうだが、地域農業センターが成果を上げるためには、パートナーたる連携機関との連携度合いがポイントになるだろう。地域農業センター個々の陣容では「理念として成立しても、目的を達成するのに現実では困難が伴う」ということになりかねない。そこを打ち破るのは、関係機関との連携をより深めることにあるのではないか。道央農業振興公社は頑張っているが、地域農業農村活性化の核となっているか? と、常に問い続けることが必要だと考えるが如何だろう。

◆ウオーキングの道すがら

ホクレン恵庭研究農場と道央農業振興公社前に面する道を直進すると、島松小学校創設跡地とされる場所に至る。跡地記念碑には「明治26年、元士族大坂与太郎が広島街道沿い、下島松北の丘にわずか6坪の掘立小屋を建て寺子屋式の児童教育を開始したのが始まりで、同年校舎東側に12坪の校舎を建設」とある。島松では、この地で開拓当初の幼児教育が開始されたのだ。

さらに、突き当りを左折し西方向に進めばルルマップ自然公園、恵庭墓園に至る。また、直進して沢に下り、島松川沿いを少し遡れば島松沢地区に至る。島松沢は、「旧島松駅逓所」「寒地稲作ここに始まると記された中山久蔵翁の碑」「クラーク博士記念碑」など開拓の歴史をとどめる場所である。

この台地は、恵庭市保健福祉部発行「ウオーキングマップ」にも「空の道」として紹介されているが、心地よいウオーキングコース。ウオーキングの途中に、馬鈴薯の花を楽しみ、開拓の歴史と農業の行く末に思いを巡らしてみるのも良い。

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島松試験地、ばれいしょ「農林1号」「キタアカリ」の故郷

2019-05-10 10:56:59 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

千歳空港から札幌へ向かう途中に「島松」というJRの駅がある。その昔アイヌ語のシュマオマプ(石の多いところ)に由来し島松村と呼ばれていたが、明治39年に漁村と合併して恵庭村となり、昭和45年に市制がひかれ現在は恵庭市島松となった。かつてスズラン狩りで知られた場所である。

令和元年5月の或る日、JR島松駅から満開の桜を眺めながら、馬鈴薯「農林1号」「キタアカリ」の故郷(誕生の地)を目指して歩いた。駅の北西部ルルマップ川(小川)を越え、坂を上ると台地が広がる。ルルマップ自然公園や恵庭墓園に連なる肥沃な大地で、松浦武四郎が「西蝦夷日誌」の中で「是より千歳領。険しい道を上ると平地がある。茅の原を過ぎ、ロロマップ川・・・」と記した辺りである。島松駅から徒歩約10分、写真のような庁舎とガラス温室が見えてくる。庁舎の正面には「ホクレン」恵庭研究農場の文字、周辺には試験圃場が広がっている。地元でも知る人は少ないが、この地こそ北海道で栽培された多くの馬鈴薯品種誕生の地である。

 

恵庭の農業試験場(島松試験地の歩み)

昭和12年(1937)、島松村西7線南22号(現在は住宅地になっている、恵庭市島松寿町)に、北海道農事試験場島松馬鈴薯・玉蜀黍試験地が設置された。その後、昭和39年に西島松から現在地(下島松829番地)に町内移転している。

この間、時代の変遷とともに、北海道農事試験場島松馬鈴薯試験地、北海道農業試験場ばれいしょ育種研究室、ホクレン恵庭研究農場など幾多の組織・名称変更があったが、この地は80余年間にわたり馬鈴薯育種場所として存在し続けた。公的機関であった頃、全国的にも島松試験地の名前で知られていた。新品種開発に向けて、交配、選抜、育成に汗を流した先人育種家たちの顔が目に浮かぶ。

現在、公的機関の馬鈴薯育種研究は北農研センター(芽室町)と北見農試(訓子府町)で行われ、島松試験地はホクレン恵庭研究農場となっている。近年、ホクレン、カルビーポテト、キリンビールなど民間団体・企業が参画したことにより、多様な品種開発(きたひめ、ひかる、きたむかい、コナヒメ、アトランチック、スノーデンなど)が進んでいる。

◆恵庭で生まれた馬鈴薯品種(北農試島松試験地/ホクレン恵庭研究農場)

島松試験地で開発された馬鈴薯品種は、北海道で優良品種に認定された28品種、地域在来品種等9品種の総計37品種を数える。

当試験地で最初に育成された品種は「農林1号」(育成者田口啓作ら)で、農林登録第1号となった。「農林1号」は「男爵」「メークイーン」とともに馬鈴薯三大品種と称され、長年にわたり広く栽培された。昭和40年頃には全国で52,767ha(北海道4万ha以上)の作付けがあったという。七飯町に「男爵薯発祥の地」、厚沢部町に「メークイーン発祥の地」、留寿都村に「留寿都村発祥 紅丸薯顕彰の碑」があるが、この島松の大地に「農林1号発祥の地」記念碑が建っていてもおかしくないと思って周囲を見渡した。

島松試験地育成品種の中で、近年作付面積が多く皆さんもご存知の品種は、生食用で評判の「キタアカリ」「とうや」、ポテトチップ用の「トヨシロ」「きたひめ」、フライドポテト用の「ホッカイコガネ」、サラダ用の「さやか」、でん粉原料用の「コナフブキ」等々である。また、平成時代に世に出た「インカのめざめ」「キタムラサキ」「ノーザンルビー」などカラフルポテトは馬鈴薯の市場拡大に貢献している。この地はまさに馬鈴薯の故郷と言えよう。

恵庭市は人口7万人弱、札幌圏への通勤者も多い長閑な田園都市。島松に農業試験場馬鈴薯試験地が存在し、私たち馴染みの品種がこの地で誕生したことをどれだけの市民が知っているだろうか、と疑問が頭をよぎる。

5月、試験圃では馬鈴薯の植え付けが終わり、区画を示す木札だけが立っていた。夏には色とりどりの花を観賞することが出来るだろう(道路からではあるが)。

恵庭の特産品として「カボチャ」が知られるようになり加工品開発も進んでいるが、島松で誕生した「馬鈴薯」の特産品化を考えたらどうだろう? 島松生まれ、島松育ちの馬鈴薯をメインにしたレストランがあり、スイーツがある。田園都市恵庭がさらに魅力を増すことだろう。提案である。

 

 

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