ナスカの地上絵
アンデス西斜面の砂漠地帯には石を並べて作られた(或いは岩を取り除いて描かれた)地上絵が,ペルー南部のナスカ,チリ北部のアリカなどでみられる。中でも,ペルーのナスカ川とインヘニオ川に挟まれた高原に描かれた「地上絵」は有名である。
この遺跡は,1939年考古学者ポール・コソックにより発見され,ドイツの数学者マリア・ライヒエにより解明作業と保護が続けられた。いまなお,研究者らにより新しい地上絵が見つかっている。表面の岩を幅1~2m,深さ20~30cm剥ぎ取り,色の異なる岩石を露出させることにより描いている。雨が降らない気候環境のもとで長く保存されてきたのだろう。
「どうして描いたのだろう?」
「拠点の杭と思われる木片が見つかっている。杭を基点にして縄を放射状に張り,相似拡大する方法(拡大法)が使われたというのが,定説になってきたようだね」
「そういえば,どこかの小学校の校庭でナスカの地上絵を再現するというテレビ報道を見たわ」
地上絵は,紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化時代に描かれたと考えられている(ストロング博士はC14法で年代測定を行った)。大規模な図形や絵は遠くから眺めないとその全貌が分からない。地上絵の大きさは,例えば長さ46mのクモ,96mのハチドリ,55mのサル,180mのイグアナ,135mのコンドルなど,これより大きいものもある。
「何の目的で描いたのか,ミステリアスだわ。宇宙人との交信に使われたという話を聞いたことがあるわ」
「夏至と冬至に太陽が日没する方向と一致する線が多いことから,農業や祭儀と深く関係があるとの説がある。先のマリア・ライヒエらが唱えた説だがね。暦法関連説と言われている」
「それだと,数百本もある線で構成される地上絵を天体運行と一致させるには無理が出てくるわ」「豊作時に人口が増え,不作時には死亡者が出るような社会状況だったから,地上絵を描くという労働に人々を駆り出して,組織の安泰を図ったという説をイスベル等は唱えているね。社会事業説と言われる」
「日本の律令時代にも,労働力を税として提供し,公共事業を進めた事例もある」
「雨乞い儀式利用説というのもあるね。これは,地上絵が一筆書きになっていることから,雨乞いの楽隊がその線に沿って歩いたというものだ。ペルーの考古学者イスラもこの説を支持している」
「現在も,アンデスの村では,雨乞いのために人々は一列になって練り歩くそうよ」
「確かに,ペルーの田舎で雨乞いのお祭りがあるね。だけど,地上絵の中には線の幅が狭く,人間が歩くには適していないものもある。この説にも疑問が残りそうだね」
「結局は,ミステリアスと言うことか」
リマから日帰りでナスカを訪れた。ナスカでは軽飛行機に乗り,上空から地上絵を眺める。パイロットは地上絵を指さしながら,左席の乗客も右席の乗客も地上絵が見やすいようにと,機体を左右に揺らしながら飛行する。青ざめた顔の客もいる。砂漠にはパン・アメリカン・ハイウエイが横切っている。光線の関係で写真の出来映えは良くなかったが,荒涼たるアンデスの大地の地上絵は見る者に語りかける。だが,何故,何のためにとの疑問は消えない。
手元には,飛行証明書と地上絵をデザインした石ころ(空港売店で購入)が残った。
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